萩原朔太郎 猫町萬画版(トーエ・シンメ著)は、萩原朔太郎の原作をもとに漫画化し、さらに新たなストーリーを加えています。ヤく物の中毒である原作者が、三半規管の不具合のせいだと言い訳しながら、自分が見た幻覚について語る物語です。
萩原朔太郎 猫町萬画版(トーエ・シンメ著)は、萩原朔太郎の『猫町』に、漫画化したトーエ・シンメさんがエピソードを加えています。
ストーリーは、ヤく物の中毒に陥っている萩原朔太郎が見た世界なのですが、その事情を明らかにするために、友人の室生犀星を話の聞き役として登場させています。
トーエ・シンメさんは、著作権フリーとなったかつての名作文学作品をKindle用に漫画化しています。
これまでにも、有名な古典落語を、噺のイメージをさらに膨らませて漫画化した『落語の萬画版おちまん』、泉鏡花の代表作を漫画化した『高野聖萬画版』などをご紹介しました。
本書は2023年9月19日現在、kindleunlimitedの読み放題リストに含まれています。
温泉街に猫町があった
冒頭から、ショウペンハウエルの言葉が入ります。
蠅を叩きつぶしたところで、蠅の「物そのもの」は死にはしない。単に蠅の現象をつぶしたばかりだ。――
どういう意味だろう、というのはネットでも議論になっていますが、きっとこうだろう、という定説までは行き着いていません。
さて、久しい以前から、「私」こと朔太郎は薬物による不思議な旅行を続けていた。
空の雲の中で寝そべっていると、ペンギンが行進している。
その最後尾に、「起きたまえ、萩原くん」と言われた。
起きないでいると、起きろと頬を叩く。
気がつくと、「生涯の友」の室生犀星がアパートに訪ねてきて頬を叩いている。
「こないだは、ぼくカエルになっていたが、今日はなんだ」
「ペンギン」
「やれやれ。まあ幻覚に遊ぶのもいいが、養生しろよ」
薬に頼っている萩原朔太郎が心配で、時々様子を見に来てくれるのです。
原作には、「簡単な注射や服用ですむモルヒネ、コカインの類を多く用いたということだけを附記しておこう」と書かれています。
「健康のために散歩をシているよ。でも君も知ってるだろう、僕の欠陥を」
「なんだっけ。欠陥だらけで、どれのことかわからん」
「心理学者が言うところの、三半規管の疾病をぼくは病んでいるものであり……」
「要するに、そいつは方向オンチなんだろう。何もそんなにややこしく言うことはない。たまには温泉でも行って、さっぱりしてくるがいい」
勧められた朔太郎は、9月も末に近く、北陸地方の温泉に行きました。
ちょうど今頃ですね。
「東京から来たんだって?」「いつから来てるんだい」
湯治客に声をかけられます。
「この辺で、観光名所などあるかい?」朔太郎が尋ねると、
「このあたりは、面白いもんはなにもないよ。でも山の中に入ったらだめだぞ」
「それはどうしてだい」
「そりゃ、憑き村があるからだ」
地元の人々の話によれば、山中には町との交際を一切避けて生活する特異な集落がそこかしこにあるという。
「憑き村」の人々は、年に一度、月のない闇夜を選んで祭礼をする。その祭の様子は、彼ら以外の普通の人には全く見えない。まれに見て来た人があっても、なぜか口をつぐんで話をしない。彼らは特殊の魔力を有し、所因の解らぬ莫大の財産を隠している。等々。
朔太郎は食事が済むと、退屈しのぎに町を散歩することにしました。
汽車が出ていたので、それに乗って、木材置き場の駅で途中下車して、ひとり秋の山道を歩きます。
すると、その細い山道は、径路に沿うて林の奥へ消えて行った。
目的地への道標として、私が唯一のたよりにしていた汽車の軌道レールは、もはや何所にも見えなくなった。
しまった、また三半規管の疾病が発症した。
いま来た道を引き返せば……と、うろうろする朔太郎。
そんな中で、麓の低い平地へかけて、無数の建築の家屋が並び、塔や高楼が日に輝やいていた立派な大都会がありました。
なんだ、ここは……
街は人出で賑やかに雑鬧していた。そのくせ少しも物音がなく、閑雅にひっそりと静まりかえって、深い眠りのような影を曳いてた。それは歩行する人以外に、物音のする車馬の類が、一つも通行しないためであった。だがそればかりでなく、群集そのものがまた静かであった。
そうだ、この町に漂うのはシの匂いだ。
朔太郎は悪夢から目ざめようとして努力しながら焦燥し、声を上げようとしたその時、ネズミのような動物が、街の真中を走って行きました。
そして振り返ったネズミの顔は、朔太郎でした。
するとネズミはこつ然と消え、気がついてみると自分はねずみになり、ネコになった周囲の人々に追いかけられていました。
そして、中でも大きな猫に捕まりそうになって声を上げた時、朔太郎は温泉街に戻っていました。
「幻覚?俺は憑き村の魔神に化かされたってわけか」
東京に帰ると、飲み屋でさっそく室生犀星に報告します。
「そいつはケッサクだ。北越の山の中に猫町とはねえ。なあ萩原くん、これにこりて、もうモルヒネなんてやめることだよ。」
朔太郎は、憮然として飲み屋を出ます。
原作は、こう結んでいます。
だが私は、たしかに猫ばかりの住んでる町、猫が人間の姿をして、街路に群集している町を見たのである。理窟や議論はどうにもあれ、宇宙の或る何所かで、私がそれを「見た」ということほど、私にとって絶対不惑の事実はない。
これが、冒頭のショウペンハウエルの言葉とつながるんでしょうね。
人には、客観的には認識できない存在もあり得るのだ、と。
馬込文士村でも語られる友人
萩原朔太郎は、大田区で室生犀星とはご近所でした。
その2人だけでなく、当時の多くの作家、芸術家が東京の馬込から山王にかけての一帯(現在:大田区南馬込、中央、山王)に集中的に住んでおり、現在その地域は、馬込文士村という観光スポットになっています。
地元の人もリピートする散策コースです。
JR京浜東北線大森駅西口にあります。
馬込文士村についての説明は、公式サイトから引用します。
JR大森駅西口から池上通りを渡ったところが馬込文士村の入り口です。
説明板には、萩原朔太郎、室生犀星、宇野千代、川端康成らの名前が出ています。
散策コースにはこのようなパネルが埋め込まれています。
同業者が、情報交換しながら切磋琢磨していたんでしょうね。
室生犀星は、原作には出てこないのですが、おそらくは本作中のやりとりは創作ではなく、実際にこの2人のエッセイなどに出てきたものではないかと思います。
文学に関心ある方は、馬込文士村、1度足を運ばれてはいかがですか。
約1時間の散策コースです。