落語の萬画版おちまん(トーエ・シンメ著)は、有名な古典落語を、噺のイメージをさらに膨らませて漫画化したKindle版です。目黒のさんま、蒟蒻問答、そば清、皿屋敷、化け物使い、猫の皿、ねずみ、死神などの演目がイキイキと描かれています。
『落語の萬画版おちまん』は、トーエ・シンメさんが描いた、有名な古典落語の演目を漫画化したものです。
つまり、タイトルの『おち』は「落語」の「おち」、『まん』は「漫画」の「まん」です。
落語家の噺は、話者のセリフとナレーションで進みますが、漫画は、すべてのコマで、背景や話者以外の人物の表情やリアクションなどもきっちり描き切らなければなりませんから、噺家の世界とは一味違う世界がそこに展開されます。
落語の漫画化については、以前、『名作落語50席がマンガで読める本』(版東園子/著、二ツ目ユニット「成金」/解説)をご紹介したことがあります。
本作は、よりアンニュイなギャグ漫画のタッチで、選んだ演目にマッチしている画風だと思います。
本書は2023年1月22日現在、KindleUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
目黒のさんま
目黒のさんまは、殿様がいきなり目黒不動参詣をかねての遠乗りにでかけたところから始まる場合と、あまり美味しくない膳に不満を言うところから始まる場合がありますが、本作は後者です。
泰平の世のお大名なんてのは実に退屈なものでして……
という枕から噺は始まります。
「殿、お食事のご用意ができましてございます」と、老中。
「うむ。今日は何じゃ」と、殿様、
「鯛でございます」
「昨日はなんじゃった」
「鯛でございます」
「一昨日は……」
「鯛で……」
「もういい」
殿様にお出しする膳は、粗末なものであってはなりません。
また、食中毒なども絶対に許されません。
毒味をじーっくり行います。
結果として、せっかくの豪華食材が、冷めきった状態で出てるのが常です。
美味しいものも美味しくなくなるなんて、もったいないですね。
「お味はいかがでございますか」
「まずい。いつも通りじゃ」
こればっかりは、殿様のわがままともいえないですよね。
そんなある日。
「おー、今日はいい天気じゃのう」
御用人たちに
「これ、おまえたち。これより遠乗りをする。供をせい」
張り切る殿様。
陰口を言うご用人たち。
「おいおい、どうするよ。また殿のわがままが出たぜ」と、面長でやや長身の家来。
「チェッ、行くしかねえよ。機嫌損ねちゃ、下手したら切腹だぜ」と、背が低く丸顔でぽってりまぶたの家来。
このへんは、古典落語の紹介本には出て来ないシーンで、作者のオリジナリティだと思いますが、話が膨らんで面白いですね。
馬に乗って「それ走れ」と、調子づく殿様。
その後ろを「ひー」「宮仕えは辛えや」と悲鳴を上げながら追いかける御用人たち。
「山じゃ、田舎じゃ、ここはどこじゃ」
「め……め……目黒にございます」
「いや、こんなに遠くまで走ったのは、はじめてじゃ。腹が減った。弁当を出せ!」
走ったのは馬であって、殿様ではないのですが、じぶんどきだったのでしょう。
しかし、家来たちは慌てます。
「は…」と面長。
「べ、弁当?」と、ぽってりまぶた。
「いや、なにせ急なことでございますゆえ」と、面長。
「弁当の用意は……」と、ぽってりまぶた。
とたんに機嫌が悪くなる殿様。
チャキッと、鞘から刀を取り出す音をさせ、声を低くしておもむろに……
「……なに。弁当はないと申すか」
慌てる家来たち。
「い…い…、いえ」と、慌てる面長。
「ただちに用意いたします。しばしお待ちを」と、ぽってりまぶた。
その場を離れる家来たち。
「おいおい、どうすんだよ。こんなイナカに、殿のお口にあうものなんてないぜ」と、面長。
「でも用意できなきや、打首だぜ。宮仕えは辛えなあ」と、ぽってりまぶた。
そんなとき、家来たちは焼き魚のいい匂いに気が付きます。
そして、面長が、ニオイを出しているところを突き止めます。
ある民家の庭先で、老人がさんまをじゅ~っと焼いていました。
目黒は山の手ですから、海もありません。
ぽってりまぶたが尋ねます。
「これ、年寄り。これはさんまだな」
「へえ、町に出たついでに買ってきたものでごぜえますだ」
面長は、さんまをもらえないかと頼みます。
「いや、こりゃ、あっしの昼飯ですぜ。いくらお侍の頼みでも」
「たのむ。人助けと思って。この通り、礼はするから」
と、ぽってりまぶたは、老人に小判を2枚握らせます。
小判1枚、今の貨幣価値で4万円として、8万円です。
焼いたサンマ2匹。
今なら、せいぜい500~600円ぐらいかな。
居酒屋で1000円ちょい。
それが8万円。
老人も、これから「ご無体な」とはいえないでしょう。
一方、弁当を待っているのは殿様。
「あー、腹減った。弁当はまだかなあ」
一人で待っておりました。
ツッコミを入れると、家来のうち、一人は残るべきではないでしょうか。
一人で待たせて、殿の身になにかあったら……。
ちょっと、抜けている家来たちなのかもしれませんね。
とにかく、そこへ家来たちが帰ってきます。
「遅い!ん?なんじゃこりゃー」
殿様は、焼きさんまを見て、松田優作ばりに訝ります。
「そ、それは、さんまという魚でごさいます」
「ほぅ、この世に鯛以外の魚がおったとは」
殿様は、焼きたてのサンマをくんくんと匂いをかいで、一口運びます。
毒味もしないんですね。
ちゃんと焼けているか。ハラワタから食ったりしないのか、見ないのでしょうか。
うーむ、この家来たち、やっぱりちょっと抜けてますよーっ(笑)
しかし、とにかくここで殿様は、熱々のさんまを「うまい!!」と大喜び。
「鯛などより、よほど美味いではないか」
「そりゃ、腹減ってりゃ、何食ってもんまいよ」と面長。
「しっ。余計なこと言うな」と、口止めするぽってりまぶた。
この漫画は、やはり家来たちのリアクションが、噺に面白みを加えていますね。
そして明くる日。
まるで恋煩いのように、ため息をつきまくる殿様。
「殿。昨日からため息ばかり。何か殿のお心を煩わせることでもおありでございますか?」
「老中よ、わしは鯛よりも美味なる味を知ってしまったのじゃ。その味がもう、恋しくて恋しくてたまらんのじゃ」
「なんと!それはいったい……ん、さんま?」
「昨日の遠乗りに出かけたときに、食したのじゃ。あの味にまた会いたい。あいたいのじゃ」
家来たちをぎろっとにらみつける老中。
上目遣いで見ていたが、さっと顔を伏せる家来たち。
別の部屋で「事情聴取」する老中。
「おまえたちーっ。殿に下魚など、お出ししたのか」
「す、すみません」
「下」という文字で想像つきますが、下魚というのは、下等で値段の安い魚という意味です。
現在とは、魚の評価が違いまして、鮪(マグロ)、鰯(イワシ)、鯵(アジ)、鯖(サバ)、秋刀魚(サンマ)、河豚(フグ)、さらに甲殻類の蟹(カニ)などが含まれました。
フグなんて、今や高級中の高級魚になっちゃいましたよ。
DNA/DHAやキチンキトサンの含まれた、健康食品でもあるんですけどね。
「うぬう、しかし、殿がご所望とあらば、致し方あるまい」と老中。
「おまえたち。急いで最高級のさんまを持ってこーい」
「ええ?」
「おいおい、何だよ。最高級のサンマってよ」と面長。
「オレはもう、転職したいよ」とぽってりまぶた。
いや、江戸時代に「転職」なんて概念すらなかったと思いますが、それはもちろん、作者のユーモアです。
家来たちは、水戸からさんまを氷漬けにして運んできました。
しかし、下魚をただまるごと塩焼きというわけにもいくまいと、豪華な料理になるよう、いろいろ手を加えてしまいました。
もちろん、毒見しますから、いつものように冷めてしまいます。
「さんまなんて、塩焼きで食うのが一番だと思うけどな」と面長。
「あれじゃ、さんまも浮かばれねえなあ」とぽってりまぶた。
案の定、料理に箸をつけた殿様も、期待外れという表情に。
「老中。これはどこでとれたさんまじゃ」
「はっ。水戸から取り寄せた最高級のさんまでございます」
「なに?水戸?それはいかん。さんまは目黒に限る」
低級な下魚として扱われていたさんまを、塩焼きで庶民的に調理すると美味しいのに、なまじ丁寧に調理したばかりに不味い、という滑稽噺でした。
このように、以下、蒟蒻問答、そば清、皿屋敷、化け物使い、猫の皿、ねずみ、死神などの演目が本書ではイキイキと描かれています。
噺のイメージがどんどん膨らんでいく
落語は、噺家の芸によってイメージをふくらませるものですが、漫画として描く世界も、なるほどこんなにおもしろいのか、と思いました。
たとえば、そのシーンで誰かが話している時、当然ですが噺家はそのセリフしか表現できません。
しかし、漫画なら、そのシーンで殿様のセリフに対して、背後にいる家来たちがどんなリアクションを示すかも併せて描かれます。
ですから、なるほど、あの噺のあのシーンでは、他の人はこういう感じなのか。そりゃ、家来たちもこんな顔になるよな、なんて思いながらぐんぐんストーリーに引き込まれていきます。
たとえば、殿様から「さんまを食した」と聞いて、慌てる老中。後ろで焦っている御用人というコマなどはそれにあたります。
もちろん、話のイメージは、聞く側が自力で膨らませられますが、噺の場合、ずっと進んでしまいますから、イメージを膨らませそこねるとそれっきり。
でも、漫画だったら、コマを遡れますからね。
いずれにしても、落語を漫画にした新鮮な面白さは、読んだ方誰もが感じられると思いますので、強くおすすめいたします。
以上、落語の萬画版おちまん(トーエ・シンメ著)は、有名な古典落語を、噺のイメージをさらに膨らませて漫画化したKindle版です。でした。