『落語家見習い残酷物語』(金田一だん平著、晩聲社)という書籍が1990年に発行されました。落語家に弟子入りしましたが、結局残れなかった者の「私怨と私憤満載の不思議本」(版元宣伝コピー)です。私はその「不思議」とは何かを改めて考えてみました。
『落語家見習い残酷物語』とはなんだ
金田一だん平『落語家見習い残酷物語』(1990年、晩聲社)は、上智大学のオチケン(落語研究会)に在籍していた著者が、立川談志が好きだったにもかかわらず、尊敬していたわけでもない6代目三遊亭圓窓に弟子入り。
入門後、師匠と兄弟子たちに不満はたまるものの、師匠を勝手に代えられない世界のため、齟齬や不満から飛び出して林家正蔵には過去を隠して再入門したもののバレて破門。
落語家を諦めざるを得なくなったことを、三遊亭円窓に対する怨嗟で総括している、元三遊亭窓太の無念さをぶつけた落語界暴露本です。
[ログ速]金田一だん平氏は今 #2ch #logsoku https://t.co/GqXWkXDWTv pic.twitter.com/EemhSs8PF8
— 畠中由宇・相互フォロー100% (@hata_follow) October 5, 2020
しかし、ネット掲示板にたったスレッドは、著者に対する疑問や批判でほぼ埋め尽くされました。
たとえば、落語界は閉鎖的な徒弟集団であり、師匠を取り替えることはできない世界であることはわかっていたにもかかわらず、立川談志への入門にこだわらず、どう見てもタイプの違う三遊亭円窓に入門してしまった安易さ。
著者の挨拶が小声だったことに対して、三遊亭円窓が「あなた、損しちゃう」と注意したことを、「この師匠は物事を損得でしか考えない」となどと決めつける、社会人として未熟な自己愛。
それ以外にも、自分にとって面白くない人物はすべてネガティブに書く独善性。
書籍が出たのは1990年。すでに1983年に立川談志は落語協会を脱退しており、著者が本当に落語と立川談志が好きなら入門できる状況にあったのに、そのような話も出てきません。
もっとも、落語界における著者の評価や評判から、立川談志が関わり合いになりたくなくて一門入りを断ったのかもしれません。
私は本書を、刊行直後に読んだときは、たしかにそうしたネットの書き込み同様、懐疑や批判の思いが強くありました。
それは今も変わりません。
しかし、人格が疑われるほど、人として未熟で自分勝手な総括を、なぜわざわざ著者は本にしたのか、それがわかりませんでした。
発行元の晩聲社は、「私怨と私憤満載の不思議本」というコピーを付けて売っていますが、つまり「不思議」というのは、私が思ったように、なぜそこまで「私怨と私憤満載」なものを上梓したのか、ということだと思います。
私なりに、それを考えてみました。
「不思議」の真相
版元がいう「不思議」は、2つ考えられます。
ひとつは、著者が指摘する「師匠を選べない」落語界の仕組みは明らかなのに、安易に師匠を選んで、案の定不平不満を書く自虐的な展開です。
もうひとつは、同書は暴露本のはずなのに、著者の立場や価値観から一方的に不平・不満・悪口雑言などを書かれた人たちが、著者の意図に反して(?)、いい人、ほほえましい人格に感じられることです。
たとえば、最初の師匠の6代目三遊亭圓窓がそうです。
三遊亭圓窓は、著者が通い弟子であるにもかかわらず、朝ごはんをふるまい、箸の上げ下げから注意をしていたと書かれています。
社会人経験のない弟子に対しては当然のことと思いますが、著者に言わせると、いつも何か文句を言いながらご飯を食べるので、いたたまれない著者はいつも一膳でやめ、そのかわり来る前に立ち食いそばでお腹を満たしたと書かれています。
耳元でブツブツ言われたから飯がまずくなった、ということらしい。
しかし、考えても見てください。
何の義理もコネもない、いつ逃げ出すかもわからない押しかけの通い弟子 (住み込みではないということ!)に、毎日の朝ごはんの面倒まで見る三遊亭圓窓を、私は悪い人には思えませんでした。
何より、師匠が不愉快だから飯がまずい、ではなくて、不愉快な師匠の心を和ませてあげることこそ、弟子としてすべき修行でしょう。
6代目三遊亭圓窓は、本当は三遊亭窓太に対してそれを待っていたのではないでしょうか。
徒弟制度の師弟関係は、学校や塾の先生とは違います。
教室で教科書をなぞりながら芸を教えるわけではなく、日常生活や人格全体で教えてくれる、もしくは盗むものでしょう。
脚本家の鎌田敏夫氏は、井出俊郎氏の住み込み弟子になったとき、脚本の書き方など技術的なことはほとんど教えなかったが、食事や日常の会話などで、生き方やふるまいなど示唆を与えてくれたと自著で述べています。
つまり、6代目三遊亭圓窓の問題ではなく、たんなる著者の力不足による機会損失に過ぎない「もったいない話」なのです。
「弟子だって、飯ぐらいゆっくり食いたい」と思いますか。
それがいいか悪いか、合うか合わないか、ではないのです。
落語界の師弟関係というのは、そういうものだということです。
著者はそれについていけなかったわけです。
また、有名大学(青山学院大)を出た三遊亭楽太郎(現円楽)については、キザで上から目線の威張っている人のような描き方をしています。
人としてどう見るかは著者の自由ですが、なぜ三遊亭楽太郎(現円楽)が若いのに周囲から認められているのかを、前向きにあやかる姿勢があってもいいのではないでしょうか。
それがない自己愛まる出しの著者は、落語家でない私から見ても、見込みがない人のように思えてなりません。
落語家に限らず、自分で活路を見出そうとする視点がない人は駄目です。
一方、その時点ですでに斯界の注目を集めていたホープでありながら、無名の新弟子に声をかけるという行為に、「楽太郎、意外といいやつじゃないか」という優しさを私は感じました。
このことだけで、私には人としても芸人のポテンシャリティとしても、三遊亭楽太郎>三遊亭窓太、であると感じます。
三遊亭楽太郎(現円楽)に対する悪しざまな言い方はきっと、自分はもっと偏差値の高い上智を出たのに“たかが落語家の世界”に入ったのだ、というプライドが言わせているように私には感じられました。
一事が万事、こんな感じです。
自己愛の人にありがちな不平不満と、若い人らしい世間知らずの書き物といったところです。
もしかしたら自己批判書かも……
その意味では、ネット民が本書を叩く「恩知らず」等々の批判の否定はできません。
ただ、著者の意図や自覚はともかくとして、本書が手前勝手な自己正当化だけしか伝わらなかったかというと、実はそうでもないのです。
というのは、著者の自分勝手な視点ではあるにしても、出来事を正直に書いているからこそ、6代目三遊亭圓窓を始め、書かれている人たちの人柄も読む者は感じることができるからです。
本書は、三遊亭円丈の『師匠、御乱心!』(小学館文庫)の影響を強く受けているように思えますが、同書は三遊亭円生一門の問題であるにも関わらず、なぜか先代三遊亭円楽の「ご乱心」を口汚く罵る展開になっており、つまりその点で、事実と著者の記述にずれがあり、誰かを再評価するという気持ちにはなりませんでした。
いずれにしても、作品としての賛否はどうあれ、事実に基いて正直に書いたものなら、そこからはちゃんと真実を察することが出来るのだということがわかりました。
そして、今はむしろ、自分が落語界でモノにならなかったことを自己批判して、あえて当時の自分をデフォルメして独善的な悪人という視点で書き、師匠や先輩へのやオマージュとしているのではないか、というツンデレすら感じました。
ま、それは買いかぶりかもしれませんけどね。
著者については、被害者意識を感じやすい自己愛の強い人であり、それゆえむしろ自分が苦労する方へわざと行ってしまう生き方なのかなとも思いました。
いずれにしても、一方的な断罪でも、読んだ後にほのぼの感が残るような暴露本であることは確かです。
私もそんな器用な書き物をしてみたいものです。
以上、『落語家見習い残酷物語』(金田一だん平著、晩聲社)は落語家に弟子入りしたが残れなかった「私怨と私憤満載の不思議本」、でした。