虔十公園林(宮沢賢治著)は、周りから馬鹿にされていた虔十少年の植えた杉が、本人が亡くなった後も大きく育ち公園林になった話です。知的障害者に対するあふれる家族愛とともに、「仏の十力」が表現された宮沢賢治さんらしい仏法的童話です。
『虔十公園林』は、生前未発表だった宮沢賢治さんの短編童話です。
いつも笑っていて、周りから馬鹿にされていた虔十少年は、実は生き物や雨や風から多くを感じとることができる人でした。
そこで、杉の苗を植えることにこだわりを見せます。
その後も、杉林の成長を巡って周りと軋轢も生みますが、伐採を拒み杉を守ります。
20年後、すでに、虔十は亡くなりましたが、地元の子供たちの一人が博士となってこの地に戻り、今でも残る杉林をみて感動。
同地は、博士の発案で、公園林になります。
主人公の虔十少年は、『法華経』に出てくる常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)といわれています。
浄土真宗を入り口に、法華信者になったといわれている宮沢賢治は、これまでにも宗教(仏教)を感じるモチーフの作品を発表しており、このブログでもご紹介しています。
『銀河鉄道の夜』(原作/宮沢賢治著、漫画/バラエティ・アートワークス、Teamバンミカス)は、銀河鉄道の旅を描いた童話を漫画化しています。
本作は、臨死体験を描いたと言われています。
異論も一部にはありますが、タイタニック号沈没を具体的に語った人たちが乗っているということは、臨死体験を舞台としたと解してもよいのではないかと私は思います。
漫画で読む文学『注文の多い料理店』(原作/宮沢賢治、漫画/だらく)は、狩猟に来た青年2人が入った奇妙な西洋料理店の話です。
本作は、みだりに動物を撃ち殺し、自然をあたかも自分のものであるかのように勘違いすることを戒めた、といわれています。
仏教には五戒と言って、不殺生戒(ふせっしょうかい)・不偸盗戒(ふちゅうとうかい)・不邪淫戒(ふじゃいんかい)・不妄語戒(ふもうごかい) ・不飲酒戒(ふおんじゅかい)という5つの禁止事項があります。
五戒の第一は不殺生戒で、人間の生命を保つ最小限以外の不要な殺生を禁止しています。
生命自体は、諸行無常と言って、亡くなる摂理は否定していません。
しかし、無用な殺生は、諸法無我に抵触すると考えられます。
本作は、すでに著作権保護が法律の期限を過ぎており、青空文庫で公開されています。
書籍については、2023年1月17日現在、KindleUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
たれがかしこくたれが賢くないかはわかりません
知的障害があると思われる虔十少年は、いつも笑っていて周囲からバカにされています。
そんな虔十少年が、農家である父親から杉苗700本を買って貰い、家の裏手にある痩せた広場に植林します。
広場は粘土質の痩せた土地だったので、杉の木は高さが2~3m程度までしか育つことができませんでした。
それでも、小学校の校庭に隣接していたため、子供たちにとって背丈の低い杉林は、格好の遊び場になっていきました。
虔十少年は、チブスにかかって死にました。
それでも、「お話はずんずん急ぎます。」
虔十少年が亡くなり、町全体がかわっても、杉林だけは残ったということです。
十数年後、子供時代に杉林で遊んだ博士が里帰りしました。
変わってしまった町の中で、杉林が残っていることに驚き喜びます。
杉林は、虔十少年の父親が、虔十少年の形見だと考え売却しなかったために、そのまま残っていました。
ただし、隣接する学校の子どもたちは学校の付属の運動場のように利用していました。
博士は言います。
「ああさうさう、ありました、ありました。その虔十といふ人は少し足りないと私らは思ってゐたのです。いつでもはあはあ笑ってゐる人でした。毎日丁度この辺に立って私らの遊ぶのを見てゐたのです。この杉もみんなその人が植ゑたのださうです。あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。たゞどこまでも十力じふりきの作用は不思議です。こゝはもういつまでも子供たちの美しい公園地です。どうでせう。こゝに虔十公園林と名をつけていつまでもこの通り保存するやうにしては。」
芝生のまん中、子供らの林の前に、「虔十公園林」と彫った青い橄欖岩の碑が建ちました。
常不軽菩薩をモデルに「仏の十力」を描く
この主人公の虔十少年のモデルは、常不軽菩薩といわれています。
常不軽菩薩というのは、『法華経』常不軽菩薩品第二十に登場する菩薩です。
本作は、いわばその童話化作品というわけです。
菩薩というのは、仏でありながら、さらに悟りを求めるもので、
仏像は4種類ありますが、
如来(にょらい)
菩薩(ぼさつ)
明王(みょうおう)
天(てん)
の序列があり、つまり如来を目指す仏の立場です。
仏陀の第二候補といったところです。
『別冊NHK100分de名著集中講義大乗仏教こうしてブッダの教えは変容した』(佐々木閑著、NHK出版)によると、「まわりの人たちからどれほど軽んじられても、 「なんとかして人々を救いたい」と願う虔十の思いの根底にあったのは、『法華経』の世界観にほかなりません。」と、説明されています。
『法華経』というのは大乗仏教のお経であり、日本の仏教諸宗派に影響を与えています。
「すべての人々は、平等に仏陀になることが可能である(衆生成仏)」という教えです。
私たちは、過去(世)において仏陀と出会い菩薩になっており、現世で善行を積めば仏陀になれる、というのが大乗仏教の教えです。
『法華経』には、「お経の神秘性を信じて、自分が菩薩であることを自覚しなさい」という悟りへの思いが込められているといいます。
そこで、『法華経』の信者の多くは、『法華経』を広めることが菩薩である自分の仕事と考え、『法華経』が説く世界をこの世に実現することを使命と考えます。
もっもと、その信仰のない人からすれば、それは迷惑な話ですから、信者は邪険にされます。
が、『法華経』によると、「迫害を受けている状況こそが、『法華経』の正しさの証拠である」としています。
真実を説くお経は、俗世の愚かな人々の目には邪説のように映って、迫害の対象になるから、日蓮宗開祖の日蓮上人も、数々の法難に遭ったということです。
その『法華経』の『常不軽菩薩品』という章に、その名も常不軽菩薩が登場しますが、誰かと会うたびに、「私はあなた方を軽蔑していないし、あなた方は人に軽んじられる人間ではありません。同じ菩薩道を歩んでいて、やがては仏陀となることが約束されているので心配しないでください」と語りかけるというのです。
聞き方によっては、マウント取られたような上から目線ですし、別に信仰がなければ、心配もへったくれもありません。
当然、「余計なお世話だ」と罵られるわけです。
しかし、常不軽菩薩はそれにもめげずに『法華経』を説き歩き、やがて立派な仏陀になって、人々の尊敬を集めることになる、のだそうです。
信者にとっては、迷惑がられることも功徳というわけです。
物語は、「苦労しても報われないのが菩薩の正しい姿だ」ということを示唆しており、それは、つらい状況にある人が、なぜ『法華経』を信仰するのか、という根拠にもなっているのです。
さらに、物語の中で、博士は虔十少年の行為について「十力の作用」という言葉を呟きます。
十力とは、仏(如来)のみが持つ10種の智力のことです。
具体的には、深心力(探心力)・増上深心力(深心力)・方便力・智力(智慧力)・願力・行力・乗力・神変力(遊戯神通力)・菩提力・転法輪力のことです。
法華経を熱心に信仰していた宮沢賢治らしい『常不軽菩薩品』の翻案作品です。
以上、虔十公園林(宮沢賢治著)は、周りから馬鹿にされていた虔十少年の植えた杉が、本人が亡くなった後も大きく育ち公園林になった話、でした。