西郷隆盛などをとりあげた『世界の偉人おもしろ雑学―――「歴史」と「人」がもっと好きになる365話』(博学面白倶楽部著、知的生きかた文庫)をご紹介します。倒幕して明治維新を果たした立役者の一人である西郷には、どんな「ウラ話」があったのでしょうか。
『世界の偉人おもしろ雑学―――「歴史」と「人」がもっと好きになる365話』(博学面白倶楽部著)は、ここのところ、よくご紹介している偉人の「ウラ話」を取り上げた書籍の一つです。
皮肉屋の揚げ足取りや、アンチではなく、タイトル通り、その「人」のことをもっと好きになるエピソードを集めています。
Amazon販売ページに書かれている内容です。
・ユリウス・カエサル――――月桂冠は「ハゲ隠し」だった?
・プラトン―――――――――大哲学者がはまった「オカルト神話」
・兼好法師―――――――――つれづれなるままに、金融業を営なみ……?
・ナポレオン・ボナパルト――フランス英雄の歯が220万円で落札
・伊藤博文―――――――――「女好き」「占い頼り」の異色の政治家
・夏目漱石―――――――――自身も「名前がない猫」を飼っていた
本書では、歴史上の「偉人」と呼ぶにふさわしい人物を、365人ピックアップし、その偉業と驚きのエピソードを紹介した。
大物政治家の意外な姿から、天才芸術家のやばすぎる性格、大発見をした科学者の変わった日常まで、知的好奇心を刺激する雑学ネタが満載だ。
……とのことです。
今回はその中で、西郷隆盛(さいごう たかもり、1828年1月23日 – 1877年9月24日)をご紹介します。
西郷隆盛は、幕末から明治初期にかけて活躍した日本の武士であり、政治家、軍人です。
薩摩藩(現在の鹿児島県)の出身で、維新三傑の一人として知られています。
西郷の生き様と功績は、日本の近代化に大きな影響を与えました。
明治維新の立役者として日本の近代化に大きな影響
1877年9月24日、西南戦争が終結しました。
s西郷隆盛を中心に鹿児島士族が起こした反乱で、明治の士族反乱の中でも最大規模のものです。
熊本城を攻めるも田原坂の戦いなどで敗れ、城山へ追い詰められた西郷は、共に戦った別府晋介に 「晋どん、もうここらでよか」 と介錯を頼み自決したといいます。 pic.twitter.com/azxlk3DwCV— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) September 23, 2024
西郷隆盛は、薩摩藩主・島津斉彬に仕え、早くから政治的な才能を認められていました。
幕府の権威が弱まり、開国を迫られていた日本は動乱期にありましたが、西郷は倒幕を目指して活動します。
特に、長州藩との同盟(薩長同盟)を結び、これが後の明治維新の基盤を作りました。
この同盟により、幕府を倒して新しい中央集権的な国家体制を作る動きが加速しました。
1868年の戊辰戦争では、薩摩藩と長州藩を中心とする新政府軍の指導者として、西郷隆盛は旧幕府軍を打ち破り、明治政府樹立に大きく貢献しました。
明治維新後、西郷隆盛は新政府の要職に就きます。
彼は旧来の武士階級の権益を守ろうとしながら、近代国家建設を目指す政治改革に関与しました。
しかし、その保守的な思想と、一方で急進的な改革を進めようとする他の政府メンバーとの間に次第に意見の対立が生じ、彼は1873年に政府を離れます。
西郷は1877年に、西南戦争という最後の内戦で明治政府に対して反乱を起こしました。
この戦争は武士階級の不満や農民の困窮が背景にあり、西郷は多くの旧武士たちに支持されました。
しかし、西郷軍は政府軍に敗北し、西郷は自刃して生涯を閉じました。
これにより、旧来の武士階級の時代は完全に終わり、日本は本格的な近代化の道を進むことになりました。
もっとも、「旧士族」は戸籍に明記され、進学、就職、結婚など、何かと上位階級としての扱いを受ける階級社会は、戦後新民法が制定されるまで続きました。
ChatGPTは、西郷隆盛をこう評価しています。
西郷隆盛は、明治維新の立役者として日本の近代化に大きな影響を与えましたが、その生き方は保守的で、明治政府との対立から晩年には反逆者としての扱いも受けました。それでも、彼の人格や武士道精神は今でも多くの日本人に尊敬されており、彼を象徴する「敬天愛人」(天を敬い人を愛す)という言葉は、彼の誠実さと人間性を物語っています。
西郷隆盛は、複雑で多面的な人物であり、日本の歴史において重要な存在です。
西郷隆盛は写真を撮らせなかった
西郷隆盛像(上野恩賜公園) pic.twitter.com/80nHGZNb9v
— さのかずき (@uXgmRJwxYXeFDjx) September 24, 2024
とまあ、その生き様と功績が長引いてしまいましたが、本書は西郷隆盛のどんな「ウラ話」を紹介しているかというと、「あの肖像画はモンタージュだった」という話です。
1883年にイタリア人の銅版画家キヨソネが描いたものですが、その時点で西郷はすでに他界しており、面識のあった人々の証言や記憶をもとに、弟である西郷従道や、いとこの大山巌らの顔を参考にしたり、他の同時代の人物の特徴を組み合わせたりして、西郷の姿が再現されたといいます。
というのも、西郷は生前に1枚も写真を残しておらず、実際の顔はどこにも残っていないのです。
薩摩藩主の島津斉彬の命を受けて、江戸でお庭方というスパイをつとめていたので、顔を知られたくないため、写真撮影はすべて断っていたそうです。
過去の偉人は、そういう人が多いですよね。
たとえば、世界中でさんざん仏像になっている、お釈迦様の顔も「想像」なんです。
教えは弟子たちによるお経とか、当時の石碑などからその活動を知ることはできますが、紀元前5世紀頃は、さすがに写真まではなかったですからね。
偉人なのに、顔写真も残っていないなんて、存在のあかしがないみたいな気になりますか。
……時は流れて、現代は、いったん自分の写った画像や動画をネットに上げられてしまったら最後、ずーっと残ってしまうデジタルタトゥーの時代です。
バカッターなんかもちろん同情しませんけど、秘め事の自撮りを、ふった相手の報復でアップとかされたら、冗談抜きでたまんないよねーっ。
本人が亡くなったら何も残らない昔がいいか、秘め事だろうが容赦なく永遠に暴かれ続ける現代がいいか。
みなさんは、いかが思われますか。