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証言・臨死体験(立花隆著、文藝春秋社)をご紹介します。病気や事故で、生命の危機に瀕した23人の臨死体験をした人々の体験談

証言・臨死体験(立花隆著、文藝春秋社)をご紹介します。病気や事故で、生命の危機に瀕した23人の臨死体験をした人々の体験談

証言・臨死体験(立花隆著、文藝春秋社)をご紹介します。病気や事故で、生命の危機に瀕した23人の臨死体験をした人々の体験談をまとめたものです。人類にとって、「シんだらどうなるのか」は、興味深い未知のテーマですが、この記事はその中の木内鶴彦さんの証言をご紹介します。

臨死体験。

実は、私には身近に証言者がいます。

妻が、火災による一酸化炭素中毒で心肺停止をして、その後も1週間深昏睡しました。。

しかし、巷間よく言われる、三途の川やお花畑は出てきたのか、と尋ねましたが、そんなものは出てこなかったそうです。

まあ、脳の後遺症なく生還しているので、停止時間が短くて、そういう体験をする時間はなかったのでしょう。

本書23人の体験者の中では、医師から、「お亡くなりになりました」とシ亡診断されてから30分後に息を吹き返し、その前後に、いわゆる幽体離脱をしただけでなく、「あちらの世界」で様々なものを見たという、木内鶴彦さんの体験談が話題になり続けています。


初出から20年以上ももたっているのに、現在もYouTubeで、この体験談が多くの人に紹介されるだけでなく、ご本人もたまに出演されて、自らの口で語っています。

ということで、以下は木内鶴彦さんの体験談について、かいつまんでご紹介します。

木内鶴彦さんは、1976年、2009年に臨死体験を経験。

1976年の時は、自衛隊のディスパッチャーをつとめていた22歳で、原因不明の病で生死をさまよい、臨死体験、というよりシ亡体験をしました。

その中で、宇宙の創世や五次元の世界、過去や未来に瞬間移動する体験をしたとされています。

また、タイムトラベルで子供の頃の自分に会ったり、宇宙の始まりを見たりしたと語っています。

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時間と空間を自由に移動


木内鶴彦さんは、聞いたこともない腸閉塞に属する奇病で突然入院。

医師からは「余命1週間」と言われ、家族が駆けつけます。

その1週間目に検査を行った時、木内鶴彦さんはそのまま気を失い、暗闇を歩き、遠くに光を見つけました。

光の先には草原が広がり、川があったので、船で向こう岸に渡ります。

すると、向こう岸には、ナくなった従兄弟など数人がいて、しばらく話をしたそうです。

その後、その中のひとりの中年女性に「ついておいで」といわれ、しばらく歩いていると女性を見失い、気がつくと病院のベッドに戻っていました。

間もなくして、脳波や心臓が停止。しかし、木内鶴彦さんは、痛みも苦しみも感じなかったので、ベッドの足元で柵を握りしめている父親に、「大丈夫だよ」と言おうとしましたが、シんでいるので伝わるわけがありません。

なんとかして伝えたいと思った瞬間、自分は父親に憑依して、父親の目を通して自分で自分のイタイを見つめる状態になり驚いたといいます。といっても、父親のタマシイはもちろんそのままで父親も何も気づきません。

「母さんはどこへ行ったんだろう。ねえさんのところに電話でもしに行ったのかな」

木内さんがそう思うと、今度は病院の公衆電話を使っている母親に憑依したそうです。興奮している母親は、プッシュボタンをうまく押せないので、木内さんは番号を読み上げてあげたそうですが、もちろんそれは母親には聞こえません。

まるで、『もーれつア太郎』の父ちゃんみたいですが、一般的に言われる憑依と違うのは、その人に代わってその肉体に入るのではなく、その人に重なるように体に入り込むのです。

さらに、時間軸を超えて、木内さんは過去の自分も見えたといいます。

子供の頃のことです。

姉と川に遊びに行き、どこからともなく「危ない」という声が聞こえたので、姉を押すと姉は足に怪我をシてしまいました。たしかに、石が上から落ちてきたのです。

しかし、そのとき、ふざけて姉を押して怪我をさせたように家族には思われ、ずっと悔しい思いが残っていたそうです。

木内さんがその時を思い出すと、なんとその場面を見下ろしていました。

そして、実際に石が落ちてきたので、木内さんは「危ない」と声を上げると、幼少期の自分が姉を押していました。

なんかSFドラマみたいですが、タイムスリップはこれだけではありませんでした。

過去にタイムスリップし、ある場所に「来た証拠」としていたずら書きをしたところ、生還後にそのいたずら書きが残っていた、しかもそれまでなかったのに急に現れたと、そこでは大騒ぎになったそうです。

木内さんは、シ後の世界を経験したことで、

1.魂は生き続け、死後も意識が存在すること、
2.肉体が魂の乗り物であること、
3.魂は瞬間移動が可能であり、死後の世界では思った場所や時間(時代)に即座に移動できる

と説明しています。

さらに、55歳のときに、木内さんは2度目の臨死体験もして、その思いを確信したといいます。

臨死体験で考えた世界観

時間や空間の移動が自由なのは、実はすべてがひとつの意識体を形成しているからではないか、と木内さんは推理しています。

つまり、実は、私も、みなさんも、木内鶴彦もない。

肉体に乗っかった一時的な姿であり、私達すべてのおおもとは、意識が「我」としてつながり、ひとつの大きな意識体を形成している。

その中には、過去から未来に至る、生きとし生けるもののあらゆる記憶経験が集まっている。

逆に言うと、あらゆるものはひとつで、そこから生物が肉体という乗り物を使って生まれている、という考え方です。

木内鶴彦さんが語る臨死体験の世界は、物理学的には量子力学の「ゼロポイントフィールド」という仮説と重なります。

ゼロポイントフィールドというのは、簡単にご説明すると、そこには宇宙界の過去・現在・未来のすべての情報が記録されているという仮説です。

それとともに、詳しい説明は省きますが、概念的には老荘思想(汎神論)を思い起こさせ、哲学的には仏教(諸法無我)と軌を一にしていると思います。

本書では、肉体は魂の乗り物である、と表現していますが、その考え方は、神道やキリスト教の立場でもあります。

つまり、木内さんの体験が、もし再現性ある真実とするなら、科学はもちろん、既存の宗教も決して創作ごとではなく、実は真実の一面をあらわしていたわけです。

では、その臨死体験は信じてもいい話なのでしょうか。

木内さんは、科学、宗教、哲学を、うまく融合した世界を創作して「臨死体験」と言いふらしているのでしょうか。

いや、世界観の異なるそれらを、うまく融合させるのは、かりにそれらに精通した学者でも困難なことです。

少なくとも、宗教や哲学を長く研究してきたとは考えにくい、素行不良で高校を中退した当時22歳の自衛隊員だった木内鶴彦さんです。

臨死体験は、知識による創作ではなく、体験の正直な告白であろうとのリアリティを信じたいところです。

もし、作り話だとすると、それはそれで、木内さんは相当高度な形而上学の大家であり、もうSF作家は飯の食い上げではないかと思いますけど、みなさんは、木内さんの臨死体験は、いかが思われますか。

木内鶴彦さんについては、臨死体験をきっかけとしたその後の人生についても、また別の機会にご紹介したいと思っています。

以上、証言・臨死体験(立花隆著、文藝春秋社)をご紹介します。病気や事故で、生命の危機に瀕した23人の臨死体験をした人々の体験談、でした。


証言・臨死体験 – 立花 隆

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