[評伝]“火の玉小僧”吉村道明(『Gスピリッツvol.64』辰巳出版)は、プロレスラーだった吉村道明さんのレスラー生活を回顧しています。日本プロレス史に残るミステリーである「猪木クーデター事件」で「ダラ幹」呼ばわりされた理由について論考しています。
『[評伝]“火の玉小僧”吉村道明』は、小泉悦次さんが『Gスピリッツvol.64』(辰巳出版)に書かれている連載です。
本誌は、“王道全日本プロレス”という特集テーマの寄稿(インタビュー)が載っていますが、それとは別に短期集中連載として、今号はその後編が掲載されています。
私が個人的に興味深かったのは、1971年に日本プロレスで起こった、「猪木クーデター事件」についての論考を行っていることです。
正直、今ではその事件があったことすら知らない「プロレスファン」の方が多数派ではないでしょうか。
私が子供の頃は、すでにBI砲がテレビ中継に登場していたので、その一人であるアントニオ猪木が、日本プロレスを除名されるなんて、信じがたい出来事でした。
以来、平成、令和と時代はかわり、なんと50年以上たってしまいましたが、当時の話には今も興味があります。
今日は、プロレスの専門誌、なかんずく、日本プロレス時代の話ですから、かなりターゲットを絞った記事(笑)になりますが、まあ毎日更新しておりますので、たまにはご容赦を。
アントニオ猪木の会社乗っ取り!?
日本プロレス(興業)は、力道山が作ったプロレス興行の会社です。
昭和40年代後半までは、ジャイアント馬場を日本のチャンピオンとして、アントニオ猪木、大木金太郎、吉村道明、坂口征二らが、主力選手として活躍。
日本テレビの金曜夜8時の中継は、30%の視聴率を叩き出す人気コンテンツでした。
ところが、社内では選手たちが、「血と汗を流している自分たちよりも、幹部の方が給料が高い」と不満を持っていたとされています。
たとえば、会社の経理には、5700万円(今なら2億円ぐらいか)の「仮払金」と称する莫大な使途不明金があり、ジャイアント馬場やアントニオ猪木は、それを幹部の豪遊であると考えたと『日本プロレス事件史 vol.3 年末年始の大波乱』(ベースボールマガジン社)では書いています。
現在、概ね定説とされているのは、当初は会社の刷新をアントニオ猪木と上田馬之助が考え、ジャイアント馬場にも話に乗ることを要請。
アントニオ猪木は、自分の後援会会長とともに、当時の役員、いわゆる「ダラ幹」を一掃しる会社の「改革」計画を立てましたが、それを上田馬之助から聞いたジャイアント馬場はクーデターであると気づき計画から降り、上田馬之助は寝返って長谷川淳三(芳の里)社長に報告。
選手会からも総スカンを食ったアントニオ猪木は、会社乗っ取りのかどで日本プロレスを追われた、という経緯です。
当時の三澤正和・日本プロレス経理担当部長は、「莫大な使途不明金」を「日本プロレス興行株式会社のライフラインに抵触する金だ」(ユセフ・トルコ『プロレスへの遺言状』河出書房新社)とだけ述べていますが、『日本プロレス事件史 vol.3 年末年始の大波乱』(ベースボールマガジン社)ではでは、「暴力団への献上金」の類ではないか、という説が有力」と説明しています。
だとすると、ダラ幹なんていわれていますが、少なくとも当時の幹部を一掃する必要があったのか、という点が今も疑問です。
そして、「一掃」の対象として、当時専務取締役として、現場監督と荷物(興行)の上がりを集金する仕事を担当していた吉村道明も含まれていました。
ジャイアント馬場が計画を降りた理由が、更迭する役員に吉村道明を含んでいたからともいわれているほどです。
結論から書くと、小泉悦次さんは、アントニオ猪木やジャイアント馬場は、担がれた神輿に過ぎず、実は担いだ人間である上田馬之助と山本小鉄こそが、吉村道明更迭を求めた「真犯人」であると論考しています。
理由は、マッチメーカー吉村道明の体制下で、不遇だったから、というものです。
吉村道明さんは、筋の通らない逆恨みをされたんでしょうね。
山本小鉄さんについてはわかりませんが、上田馬之助さんについては、私もかねてから怪しいと思っていました。
「弱い人」は「怖い人」
アントニオ猪木さんの、当初の言い分はこうだったといいます。
「会社の経理にきっと不正がある、儲かっているのだから、汗と血を流しているレスラーがもっと金をもらってもいいはずだ。だから今の幹部をやめさせて、レスラーが潤う会社をつくろう」
アントニオ猪木さんは、上田馬之助さんを通じて、ジャイアント馬場さんに話に乗るように依頼したといいます。
最初は、ジャイアント馬場さんも賛成したものの、猪木さんの計画では、新社長は猪木さんの後援者であり、怪しい計画ではないかと感じ、巡業で移動中の新幹線で上田馬之助さんを問いただしたところ、猪木さん乗っ取りの「クーデター」であることを確認。
上田馬之助さんは、ジャイアント馬場さんにすべてを打ち明けると、会社の幹部にも密告。
そこで、他のレスラーたちも「乗っ取り」に反発。
猪木さんを襲撃する話まででてしまい、猪木さんは仮病で入院。
新妻の倍賞美津子さんが、日本プロレスの事務所に行って、チャンピオンベルトの返還と欠場届を提出しました。←猪木さん自身、仮病だったことは認めています
シリーズ終了後に、アントニオ猪木さんは除名された、という経緯です。
事件で、アントニオ猪木さんを裏切って、計画を会社に密告したのが上田馬之助さんであるとの認識で、当時の関係者の見解はすべて一致しています。
ところが、本人の遺稿『金狼の遺言ー完全版ー』(辰巳出版)によると、上田馬之助さんは、自分が密告した裏切り者になっているが、本当の密告者はジャイアント馬場である、と述べているのです。
「当時の社内の状況ではとてもそのことを言える状態ではなく、自分が罪を被らざるを得なかった」として、「証拠となるメモも残っている」と言い張っています。
しかし、すでにジャイアント馬場さんも亡くなって「死人に口なし」で、事件から40年以上たって、真実を暴露しても今更誰も困らないのに、当時の関係者で、「実はそうだった」と、上田馬之助さんに同意する人は誰もいません。
それどころか、当時レスラーだった桜田一男さんは、上田馬之助さんが達筆な密告書をレスラー全員がいる前で芳の里淳三社長に手渡して読み上げたなど、むしろ上田馬之助さんの密告説を裏付ける新証言を行っています
そもそも、上田馬之助さんのいう「証拠となるメモ」とやらも、結局出てきていません。
しかも、桜田一男証言では、その密告書の中身でわかったこととして、「猪木さんと上田さんが会社を乗っ取ろうとしてたんだよ」と述べており、密告どころか、上田馬之助さんはアントニオ猪木さんの立派な共犯者だったというのです。
つまり、上田馬之助さんはジャイアント馬場さんを騙して、アントニオ猪木さんの計画に協力させようとしたわけです。
しかも、共犯者でありながら、ジャイアント馬場さんに移動中の新幹線で詰問されると、すぐに全部“うたって”しまい、自分の立場が悪くなったので、今度はアントニオ猪木さんを裏切って、自分は日本プロレス側に寝返った(達筆の密告書提出)とすると辻褄が合います。
それでは、アントニオ猪木さんからも、ジャイアント馬場さんからも、信用されるわけないでしょう。
思うに、上田馬之助さんがもし本当に「悪い人」だったら、ジャイアント馬場さんに詰問されても、目的を達成するまでは、騙し続けていたでしょう。
そこで、ジャイアント馬場さんや会社にばらしてしまったというのは、上田馬之助さんは、善意でいうと「根はいい人」、客観的に見ると「気が弱い人」ではないかと思います。
でも、「弱い人」というのは、「悪」を貫けない一方で、真相が何であれ、いったん事を起こした以上、自分がすべてをかぶる、という「強さ」もありません。
だから、あとになってから、亡くなった人のせいにするようなことをしてしまうのです。
ジャイアンと馬場さんが生きているうちならともかく、「口なし」になってから責任を押し付けるのは、真相がなんであれ、卑怯だと思います。
つねづね私が思うのは、人間、「性善説」「性悪説」とありますが、「性弱説」という見方があってもいいのではないかということ。
それから、世間一般で言われる「いい人」というのは、往々にして、このような「弱さ」=「怖さ」を持っているのではないか、ということです。
ですから、私は、皮相的な「いい人」という評判の人、とくに気が優しいといわれている「いい人」は、申し訳ないのですが心の中では警戒しています。
『史論ー力道山道場三羽烏』の著者
小泉悦次さんは、プロレスマニアには『史論ー力道山道場三羽烏』(辰巳出版)を書かれた方としておなじみです。
ジャイアント馬場、大木金太郎、アントニオ猪木という力道山道場三羽烏のアメリカ「武者修行」時代にスポットを当てて、誰が力道山の真の後継者だったのかを考えさせる書籍です。
こちらも興味深い読み物です。
以上、[評伝]“火の玉小僧”吉村道明(『Gスピリッツvol.64』辰巳出版)は、プロレスラーだった吉村道明さんのレスラー生活を回顧、でした。