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輪廻転生の秘密: 魂は永遠か否か(カルナ編集部、光祥社)は、人は死んだらどうなるのか、輪廻転生の秘密に迫っています。

輪廻転生の秘密: 魂は永遠か否か(カルナ編集部、光祥社)は、人は死んだらどうなるのか、輪廻転生の秘密に迫っています。

輪廻転生の秘密: 魂は永遠か否か(カルナ編集部、光祥社)は、人は死んだらどうなるのか、輪廻転生の秘密に迫っています。仏教が出来た頃のインドでは「生まれ変わり」は「苦」のひとつでしたが、私たちはまた別の考えもあるかもしれません。

『輪廻転生の秘密: 魂は永遠か否か』は、カルナ編集部が光祥社から上梓しています。

本記事は、そのKindle版にもとづいてご紹介します。

人間は死んだらどうなるのか? 

死んだら何もかも終わりなのでしょうか? 

よくいわれる輪廻転生はあるのでしょうか。

本書は、

スピリチュアリズム
エドガー・ケイシー
古代ギリシャ人
チベット仏教
人智学
スピリチュアル・カウンセラー
ヨガナンダ
原始仏教

という8つの立場から輪廻転生についての見解をまとめています。

本書は2022年11月17日現在、AmazonUnlimitedの読み放題リストに含まれています。

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輪廻転生とは何だ

輪廻転生の秘密: 魂は永遠か否か。

最初に私の結論を述べると、信じる人にはそうなるかもしれないし、信じない人にはならないかもしれない、ということかなと思います。

そもそも、輪廻転生についての考え方というのは、お釈迦様の原始仏教の頃と、現在とでは捉え方が違うように思います。

お釈迦さまが生まれたといわれる2500年前のガンジス川沿いのインドでは、もう既に輪廻転生というものを当たり前のように信じて生きていたといわれます。

そして、原始仏教の頃は、当時信じられていた輪廻転生は、一言で言えば悪いことだったわけです。

つまり、生きる苦しみを繰り返さなければならないと考えたわけです。

ですから、仏教で悟りを開くというのは、煩悩を捨てることで、その輪廻転生からは外れることができるのではないか、というわけです。

しかし、現在の私たちであったら、「何にせよ、また生まれ変われるのはいいことだ」と思う人のほうが多いかもしれません。

そもそも、輪廻転生とは何かといいますと、死が終わりではなく、また四十九日という時間を経て、どこかに生まれてくるということです。

生まれては死んで、生まれては死んでという営みを繰り返すということです。

この場合、我々なら、過去も人間であったし、未来もまた人間として生まれるというふうに信じたくなります。

しかし、当時のインド人は、五道輪廻、もしくは六道輪廻といって、人として生まれ変わるとは限らないと考えたのです。

では、その五、もしくは六というのは何かといいますと、下から地獄ですね。

我々は、地獄というと「あの世」を連想しますが、インドの人たちにとって地獄というのは、この世の話なのです。

次に、常にお腹が減っている鬼のような存在の餓鬼。

次に、動物の世界の畜生。

そして人間。

一番上は天。

途中で、人間の下に修羅というのが入りました。

好戦的な鬼である阿修羅のことで、怒りに身を任せ、欲望を抑えられず、争い続けるのです。

怒りに満ちていたり、自惚れや人を疑う心を強く持った人が生まれ変わる世界だと言われています。

天というのは神々の住む世界で、最も安らかな素晴らしい世界です。

「おっ、そりゃいい」と思うかもしれませんが、よく考えてみれば、五道、もしくは六道のひとつに過ぎません。

つまり、永遠に続くようなユートピアではなく、神様にも寿命があるんです。

そして死んだ後は、また人間に生まれたり、地獄に落ちたりする可能性だってあるわけです。

相撲でいうと、地位が落ちることのない横綱ではなく、負け越しが続けば落ちる大関なんです。

照ノ富士のように、大関だったのが、序二段まで落ちて、また復活するということもあるのです。

もちろん、照ノ富士の場合は怪我であって、悪業ではないですけどね。

インド人にとっては、死というのはそれほど恐怖でもないのです。

なぜなら、死んでも新しい肉体を得て生まれるだけの話でありますから。

それよりも、生存の方が永遠に続く未来、この何度も何度もこの苦しい世の中を生きていかなければいけないという方が、この輪廻を信じる人たちにとっては問題だったわけです。

ですから、仏教で言う四苦は生老病死。

生存自体が「苦」とされています。

だからこそ、お釈迦様の説いた「涅槃」とか「解脱」とかいうのは、輪廻転生を外れた二度と生まれてこない本当の「死」だというのです。

出家者たちは、決して天を目指していたわけではなくて、その天を含む輪廻の世界から抜け出す「死」を目指していたのです。

ね、日本人の考える「仏教」や「輪廻転生」とは、少しイメージが違っているかもしれませんね。

未だに決定打は現れず

私は先日、YouTube動画で「輪廻転生」に言及している、住職や宗教家、退行催眠施術者などの見解をまとめてみました。

前世や生まれ変わりはあると思いますか。YouTube動画における、住職や宗教家、退行催眠施術者などの見解をまとめてみました。
前世や生まれ変わりはあると思いますか。YouTube動画における、住職や宗教家、退行睡眠施術者などの見解をまとめてみました。同じ「仏教」でもなぜか見解が真っ向から異なる場合もありますが、みなさんは輪廻転生についていかがお考えになりますか。

結論を述べると、これだっ!というものはありませんでした。

なぜかというと、そもそも日本の仏教は大乗仏教であり、お釈迦様のオリジナル仏教ではありません。

「お釈迦様の仏教」に上書きされること自体を否定はしませんが、大乗経典をもって、「お釈迦様がおっしゃった(もしくは否定した)」という見解は虚偽です。

にもかかわらず、ご紹介した方々は、すべて「お釈迦様は……」とまとめています。

その時点で、もう信用できません。

大乗仏教なら大乗仏教としての独自見解で良いのです。

途中、ある住職がちらっと触れていますが、「生まれ変わり」を証言する例を調べている話はたしかにあります。

それが、本当に「生まれ変わり」もしくは「憑依」なのか、もしそうなら興味深いですね。

ただそれは、売名行為を狙った嘘であったり、本人がそう思い込んだだけであったりすることがあるので、慎重に調べなければなりません。

『妻、小学生になる。』が人気漫画になったように、少なくない人はそれを待っていると思います。

『妻、小学生になる』(村田椰融、芳文社)は、10年前に亡くなった妻が、ある日生まれ変わった小学生になって帰ってきた話です
『妻、小学生になる』(村田椰融、芳文社)は、10年前に亡くなった妻が、ある日生まれ変わった小学生になって帰ってきた話です。 『週刊漫画TIMES』にて不定期連載され、2022年1月21日からTBSテレビにてテレビドラマ化されています。

『妻、小学生になる。』は、結局「生まれ変わり」ではなく「憑依」だったのですが、いずれにしても、魂は亡くなっても残る、ということですからね。

信じることは良いことだと思います

冒頭に、「信じる人にはそうなるかもしれないし、信じない人にはならないかもしれない、ということかな」と書きました、

それはどういうことかといえば、もし「生まれ変わり」だとしても、前世を覚えていなかったら意味は無いと思うのです。

「生まれ変わり」か「新規」か、本人からすればどっちでも同じわけです。

信じている人にはそう見えるし、信じていない人にはそう見えない……程度の話になってしまうわけですね。

ただ、それならそれで、死後観というものを真面目に考えてもいいかな、という気はしますね。

輪廻は煩悩次第といわれますが、要するに良い行いをすることで、来世につながるという考え方になるわけです。

その来世になったときに、前世を覚えているかどうかはともかくとして。

今現在、自分はどうして、悪いこともしないで真面目に生きているのだろう、と思うことってありませんか。

バレなきゃ、欲しい物があったらちょろまかしたっていいだろう。

今の世の中なら、よほどのことがなければ死刑にはならないし、執行猶予だってつく。

人権人権とうるさいから、報道も名前を隠してくれる。

それでも、どうして道徳的に生きようと思うのでしょう。

自分へのホコリとかプライドとか、まあそういうことですが、その理由付けに、来世に向けて徳を積んでおく、と考えると、なんか根拠が出来てホッとしませんか。

そう考えると、来世を信じるというのは、私は精神衛生上もいいことだというふうに思うんです。

良い影響のあることだというふうに思います。

来世もあの世もないということになると、刹那的になってしまうかもしれません。

前述の輪廻転生のYouTubeチャンネルで、『ヨガ・シャラ細江たかゆき』チャンネルの細江たかゆきさんは、


「輪廻転生」を考えることは良いことだとして、「生まれ変わりがある」と思えたメリットとして、次の点を枚挙しています。

これだけでも、輪廻転生を信じるのはいいことなんじやないでしょうか。

「いや、科学的根拠のないことを信じるのはオカルトだから怪しいよ」

と、思われますか。

うーん。

「神秘主義」と「非合理主義」は別物ですよね。

「非合理主義」というのは、まさにオカルトです。

なにか不思議なことがあると、すぐ科学を超えたものとみなしたり、「迷信」を信じたりすることです。

「神秘主義」というのは、何かを信じることによって、結果として順当な予想を超える結果を残すこと。

暗示効果かも知れないし、信じることでなにか神がかった力が本当にあるのかもしれないし。

ですから、繰り返しになりますが、輪廻転生を信じることで、「現世」の人生が充実する。

それだけでも十分ですが、その「善い行い」が、本当に肯定派の言う通り「来世」につながったらそれはそれでまた楽しいことだし。

「来世は絶対にある」とあまり期待しすぎないで、今を真面目に生きる「お駄賃」としてもしかしたら本当にあるかもね、ぐらいに考えたら良いのではないでしょうか。

ですから、あの世があろうがなかろうが、生まれ変わりがあろうがなかろうが、未来に目を向けていきていきましょう。

みなさんは、いかがお考えになりますか。

以上、輪廻転生の秘密: 魂は永遠か否か(カルナ編集部、光祥社)は、人は死んだらどうなるのか、輪廻転生の秘密に迫っています。でした。


輪廻転生の秘密: 魂は永遠か否か – カルナ編集部

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