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野口英世を論考した『心を鍛える偉人伝』(濤川栄太著、中経の文庫)は、偉人たちの生き様を著者の独自の視点で紹介する書籍です。

野口英世を論考した『心を鍛える偉人伝』(濤川栄太著、中経の文庫)は、偉人たちの生き様を著者の独自の視点で紹介する書籍です。

野口英世を論考した『心を鍛える偉人伝』(濤川栄太著、中経の文庫)は、偉人たちの生き様を著者の独自の視点で紹介する書籍です。マザー・テレサ、聖徳太子、ヘレン・ケラー、ケネディ兄弟など、光と影が取り沙汰される偉人たちの生き様を考えさせます。(本文中敬称略)

本書は、元教員の著者が、偉人を独自の視点で紹介するものです。

「独自の視点」とあえてお断りしているのは、いずれも、功績だけでなく、人間的に悪い評判、もしくは「功績の真実はこうだった」といった怪しい話も多い人々だからです。

その中のひとりが、野口英世(のぐち ひでよ、1876年(明治9年)11月9日 – 1928年(昭和3年)5月21日)です。

お札にもなった人ですが、かなり評判の悪い偉人です。

Copilotに、野口英世の悪評をまとめてもらいました。

1.研究の信憑性: 野口の研究成果の多くが後に否定されました。特に、彼が発見したとされる病原体が実際には存在しなかったり、誤った結論に基づいていたことが指摘されています
2.金銭問題: 野口はしばしば借金を重ね、その資金を遊興費に使っていたとされています。彼の浪費癖は周囲の人々に迷惑をかけることが多かったようです
3.人間関係: 彼は自己中心的で、他人の意見を聞かない性格だったとされています。また、研究仲間や支援者との関係が悪化することも多かったようです

これらの点から、野口英世はその功績とともに多くの批判も受けています。

それでも、彼の努力と情熱は多くの人々に影響を与え続けています。

ということで、著者は、批判が多いから逆張りしたのかもしれませんね。

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研究していた黄熱病に感染


野口英世は、福島県の猪苗代町で生まれました。幼名は清作。

貧しい農家の家庭に育ち、幼少期に囲炉裏に落ちて左手の指が、てのひらに癒着する大火傷を負いました。

この怪我は、学業や人間関係に支障をきたしましたが、同級生の募金による手術で、不自由ながらも左手が使えるようになり、彼の医療の道に進むという決意を強めるきっかけともなりました。

成績が優秀だったことは間違いないようで、1900年、野口は上京し、日本医学校(現在の東京大学医学部)で勉強を開始しました。

医師の資格を得ると、北里柴三郎の研究室で働きながら、細菌学に対する関心を深めました。

北里は、日本で初めて破傷風菌を発見したことで有名であり、野口はこの指導の下で大きな影響を受けました。

1904年にアメリカに渡り、ペンシルベニア大学の研究室で働くようになります。

彼はアメリカで梅毒の研究に取り組み、1909年に「梅毒スピロヘータ」の純粋培養に成功しました。

この功績により、彼は梅毒研究の第一人者とされ、国際的な名声を得ます。

その後、ニューヨークのロックフェラー医学研究所に招かれ、ここで黄熱病などの熱帯病研究に取り組むようになります。

黄熱病の原因を特定するため、彼はアフリカに何度も赴き、患者や感染者との直接的な接触を通して研究を進めました。

しかし、彼の研究は成功せず、むしろ彼自身も黄熱病に感染し、1928年にアフリカで亡くなることとなります。

野口がが発表した黄熱病の病原体は、実際には黄熱病ウイルスとは異なるものであったため、本人に抗体ができておらず、その点については批判も受けています。

しかし、彼の献身的な研究姿勢と科学への貢献は多くの人々に評価されており、日本だけでなく世界的にその名が知られて偉人となりました。

研究者としてどう見るか


野口の人格については、婚約不履行とか放蕩三昧の借金癖とかいわれますが、第三者的にはよくわかりません。

野口は実業家の娘・久米ハナと婚約しましたが、その後、結婚生活が研究に支障をきたすとの理由で婚約を解消します。

その際、持参金も返さなかったということで批判が集まりました。

また、野口は浪費家で、特に社交や衣服にお金をかける癖がありました。西洋的な生活スタイルに憧れ、社交の場では贅沢な振る舞いをしたため、支出が増える一方でした。

また、金銭的に困窮するたびに、日本の知人や親戚、支援者に借金を申し込みました。師である北里柴三郎や他の日本の支援者たちは、野口の研究を支援するために資金援助をしていましたが、無計画な支出の多さには苦言を呈することもあったといわれています。

ただまあ、これらは医学者としての評価とは別の話ですから。

生き様と功績については、すべてが虚偽というわけではないように思いました。

野口が取り組んでいたいたのは、当時の光学顕微鏡で観察可能な細菌学であり、その後より精緻な電子顕微鏡が発明され、ウイルス学が飛躍的に発達したことにより、業績のほとんどが否定されたわけです。

でもこんなことは、どんな学問分野にもあることだと思います。

ある研究成果を議論し、否定し、その結果より高次の説が登場し、ということの繰り返しで、過去の学説として否定されたものなど、歴史上数え切れないほどあります。

より高次な新説を生み出す契機という意味では、現在否定されているから医学者野口英世(の説)に意味がなかった、ということにはならないのです。

ですから、たとえば学位論文からして盗作だった小保方さんとは、根本的に違うと思います。

みなさんは、どう評価されていますか。野口英世。

以上、野口英世を論考した『心を鍛える偉人伝』(濤川栄太著、中経の文庫)は、偉人たちの生き様を著者の独自の視点で紹介する書籍、でした。


心を鍛える偉人伝 (中経の文庫) – 濤川栄太

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