『青春ドラマ夢伝説ー「俺たちシリーズ」などとTVドラマの黄金時代』は、岡田晋吉プロデューサーの青春ドラマ・刑事ドラマ制作回顧の書籍です。日本テレビの名プロデューサーとして、多くの人気番組を制作してきましたが、その背景や裏話をまとめています。
岡田晋吉プロデューサーについて
『青春ドラマ夢伝説ー「俺たちシリーズ」などとTVドラマの黄金時代』は、日本テレビでドラマのプロデューサーをつとめた岡田晋吉さんによる、プロデューサー時代の青春ドラマ・刑事ドラマ制作回顧の書籍です。
本書は、以前日本テレビ放送網で刊行された、『青春ドラマ夢伝説―あるプロデューサーのテレビ青春日誌』の改訂版です。
岡田晋吉さんといえば、『青春とはなんだ』から『われら青春!』までの青春学園ドラマ、『俺たちの勲章』『俺たちの旅』『俺たちの朝』などの青春ドラマ、『太陽にほえろ!』や『大都会』『あぶない刑事』などの刑事ドラマを手がけています。
本書は『青春ドラマ夢伝説』なので、そのうち青春学園ドラマについて振り返ってみましょう。
日本テレビの青春学園ドラマ
中でも、日曜日20時から放送された青春学園ドラマは、大河ドラマと競合する枠ながら、人気を博してシリーズ化されました。
- 青春とはなんだ(夏木陽介、1965年10月24日~1966年11月13日)
- これが青春だ!(竜雷太、1966年11月20日~1967年10月22日)
- でっかい青春(竜雷太、1967年10月29日~1968年10月13日)
- 進め!青春 (浜畑賢吉、1968年10月20日~1968年12月29日)
- (炎の青春)(東山敬司、1969年5月12日~1969年7月14日)
- ☆おれは男だ!(森田健作、1971年2月21日~1972年2月13日)
- 飛び出せ!青春(村野武範、1972年2月20日~1973年2月18日)
- ☆おこれ!男だ(森田健作/石橋正次、1973年2月25日~1973年9月30日)
- われら青春!(中村雅俊、1974年4月7日~1974年9月29日)
- ★青春ド真中!(中村雅俊、1978年5月7日~1978年9月24日)
- ★(ゆうひが丘の総理大臣)(中村雅俊、1978年10月11日~1979年10月10日)
- ★(あさひが丘の大統領)(宮内淳、1979年10月17日~1980年9月17日)
※()のドラマは、日曜20時以外の放送枠
☆は松竹製作、★はユニオン映画製作、無印は東宝製作です。
この中で、『進め!青春』と『ゆうひが丘の総理大臣』以外は、岡田晋吉プロデューサーが番組作りに関わっています。
『青春とはなんだ』は、石原慎太郎さんの小説を原作としたもので、日活が石原裕次郎さんを主演に映画化しています。
『青春とはなんだ』は50年以上前のドラマです。
今も、Googleで「青春とはなんだ ドラマ」で検索すると、2022年3月13日現在でも「約40,200,000件」抽出されます。
日本テレビが、長くNHKの大河ドラマと競いあった、日曜20時に確立した、青春学園ドラマシリーズの第一弾ということがあると思います。
日本テレビといえば青春学園ドラマ。
これは、令和の時代でもFacebookの昭和グループで取り沙汰されることです。
岡田晋吉プロデューサーは、ここで主役に若い俳優抜擢して、ドラマ・映画界に送り出してきました。
夏木陽介さんは、すでに東宝の俳優として実績を作っていましたが、2作目の『これが青春だ!』は芝居留学していた竜雷太さん、『進め!青春』では俳優座養成所出身の浜畑賢吉さん、『飛び出せ!青春』では文学座の村野武範さん、『われら青春!』では文学座附属演劇研究所(後に正式座員)の中村雅俊さん、『あさひが丘の大統領』では、やはり『太陽にほえろ!』のボン刑事に抜擢されていた宮内淳さんらを売り出しました。
有名なエピソードですが、村野武範さんが、文学座附属演劇研究所の松田優作さんを紹介して『太陽にほえろ!』に抜擢。
すると、松田優作さんは中村雅俊さんを紹介して『われら青春!』に抜擢したという「文学座つながり」のエピソードも本書では書かれています。
また、『おこれ!男だ』は、森田健作さんと石橋正次さんのW主演として作られましたが、ツートップ方式は2年後の『俺たちの勲章』(1975年4月2日~1975年9月24日)で、松田優作さんと中村雅俊さんによって再び採用しています。
石橋正次さんは、『おこれ!男だ』では高校生役でしたが実年齢で25歳。
岡田晋吉プロデューサーは、本書で石橋正次さんの出演に感謝しています。
さらに、岡田晋吉プロデューサーは、抜擢した俳優をその一作で放り出すのではなく、仕上げとして「その次」のしごとまで世話をしました。
村野武範さんや中村雅俊さんは、当時日本テレビの人気ホームドラマだった『つくし誰の子』に出演。
文学座の杉村春子さんは、中村雅俊さんとの共演に、「あなたも文学座だったの」と驚かれたというエピソードもあります。
正式座員になったときには、すでに『われら青春!』に主演し、舞台俳優というよりドラマ俳優として活躍中でしたから、無理もないことかもしれません。
懐かしいドラマばかり
それにしても、私には、どのドラマもそれぞれ思い出深いですね。
葛藤が頂点に達すると、理屈抜きに走り出してすっきりする、という青春学園ドラマの定番ムーブメントを最初に行ったのは、『これが青春だ!』の第2回でした。
このときは、海ではなかったのですが、先生と生徒(土屋靖雄)で校内を走ってましたね。
『おれは男だ!』は、諸事情から初めて見たのが中学1年のときの再々放送でしたが、「女と男のユーモア学園」というキャッチコピー通りの、多感な思春期にハマってしまうツンデレラブコメでした。
今では、高校は進学や就職の通過点でしかないようですが、当時は高等学校の3年間は人生を決める大切な時間でした。
生徒会長(小野千春)や、剣道のライバルでありガールフレンドでもある丹下竜子(小川ひろみ)は、家庭の事情や結婚で高校を卒業間際で中退してしまうのですが、今なら考えられないことでしょうね。
『飛び出せ!青春』は、青春ドラマの金字塔などともいわれていますが、生徒の方もすでに実績を積んだ役者ばかりで、ドラマとしても完成されていた印象があります。
一方、『われら青春!』は、ドラマ初主演の中村雅俊さんをみんなでもり立てるという趣きで、若い役者が劇団の課題作を発表するような初々しさを感じました。
『俺たちの旅』のエピソード
『俺たちの旅』(1975年10月5日~1976年10月10日、ユニオン映画/NTV)については、すでに一昨日の記事で書きました。
本作については、『週刊現代』(2015年1月17・24日号)の、『あの「TVドラマ」最終回はこうでした』という特集ページにおける、岡田晋吉さんと柏原寛司さん(脚本家)の対談で、エピソードが触れられています。
記事によると、ストーリーについてこう書かれています。
放送当時は、「オメダと洋子を一緒にしてくれ」という投書が多くて迷ったそうです。
これは初耳でしたが、少なくとも鎌田敏夫さんが考えていたのは、決して三角関係ではなく、あくまでカースケと洋子の「すれ違い」であったと私は思っています。
ドラマのヒーローは体制派でも反体制でもいけない
岡田晋吉プロデューサーは、こうしたドラマ作りを通して、一貫しているヒーロー像があります。
曰く、ドラマのヒーローは、体制派でも反体制でもいけない
創作の世界なのだから、と言ってしまったら身も蓋もありませんが、徹底的にとんがったキャラクターにするために、反体制の方が思い切った表現ができるじゃないかと思うのですが、そう単純なものではないのです。
現状維持(体制派)では、もちろん面白くありません。
かといって、頭から体制を否定してしまう(反体制)のは、政治的な偏向のイメージがあるだけでなく、ルールも価値観も無視した無原則なものになってしまう。
だから根本的な葛藤が生じにくいというわけです。
ドラマというのは葛藤が基本なんです。
善玉と悪玉のたたかいとか、恋敵との争いとか、出自の悩みとか、その活写から表現される苦悩やせつなさや挫折感などが視聴者に共鳴されるわけです。
それが、反体制だったら、何も悩むことはなく何でもあり、になってしまうわけですね。
青春学園ドラマでも、「型破りな教師」はいろいろ登場しました。
『あさひが丘の大統領』の主人公の教師、あだ名はハンソクは、落ちこぼれが先生になったという設定でした。
そこで、学校の細かいルールには自分の体験から「型破り」に噛み付くのですが、学校の意義や教育行政を頭から否定はしないのですね。
そこまで否定してしまうと、ただの無法者になってしまうわけです。
岡田晋吉プロデューサーの話で、なるほどなあと納得しました。
これはもう、昭和のドラマファンなら必読の一冊だと思います。
以上、『青春ドラマ夢伝説ー「俺たちシリーズ」などとTVドラマの黄金時代』は、岡田晋吉プロデューサーの青春ドラマ・刑事ドラマ制作回顧、でした。
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