『魔術:マンガ版』は、年の若い魔術家のインド人、マティラム・ミスラ君を訪ねた「私」が魔術を教えてほしいと依頼する話です。誰でも造作なく使えるという魔術ですが、条件は「欲を捨てること」でした。原作/芥川龍之介、漫画/Midorikodan。
『魔術』は、芥川龍之介先生の短編小説です。
例によって、人間のエゴイズムを描いた芥川龍之介ワールドに仕上がっています。
我欲を捨てる事を条件に魔術を習得しようとする「私」は、それをずっと守っていたのに、最後の最後で欲を捨てきれない展開です。
すでに、複数の作家によって絵本化、漫画化されています。
本作は、Midorikodanさんが、作画ツール『コミPo!』を使ってKindleとして仕上げました。
コミPo! とは「すべての人にマンガ表現を」という思いから生まれた「3Dキャラで組み立てる、マンガデザインツール」です。
このツールを使うことで、「絵が描けなくても、マンガが簡単に作れるのだと。とっても嬉しかった」作者が、初めてストーリー漫画を上梓しました。
フルカラーです。
もちろん、原作は青空文庫に公開されたものです。
本作は、kindle unlimitedの読み放題リストに含まれています。
最後の最後で……
魔術/芥川龍之介 #読了
インド人のミスラから魔術を習おうとする「私」。だがそのためには欲を捨てなければならないとミスラは言う。
「御婆サン。御婆サン。今夜ハ御客様ガ御泊リニナルカラ、寝床ノ仕度ヲシテ置イテオクレ」。
この言葉を合図に「私」と読者は魔術の世界に迷い込むことになる。 pic.twitter.com/H2bZy1CsQP
— トミト (@tomito__B) April 10, 2023
原作をもとにあらすじをご紹介します。
Wikiにも出ているので、結末までイッちゃいます。
主人公の「私」は、ある雨のふる陰気な秋の夜、人力車で、(現在の大田区)大森界隈の険けわしい坂を上ったり下りたりして、やっと竹藪に囲まれた、小さな西洋館に住むインドの独立運動活動家、マティラム・ミスラ君の住宅を訪れました。
余談ですが、大森の険しい坂って本当にあるんですよ。
ジャーマン通り。大田区山王。
街灯と舗装がとても良い。 pic.twitter.com/a5j2Nf6ziE— 上池台散歩日記 (@k_t0u) November 9, 2022
ジャーマン通りという、JR大森駅から都道環状七号線まで続く駅近くの通りから、馬込文士村の散策路である尾崎士郎の邸宅に向かうときの坂などはとくに急ですね。
私は、ストーリーは創作でも、舞台や登場人物などが現実に存在する設定の作品が好みなのです。
梶原一騎先生の作品の世代だからでしょうね。
虚実ないまぜの世界(笑)
それはともかくとして、ミスラ君はインド魔術の使い手であり、「私」は彼の魔術を見せてもらう約束をしていたのでした。
ミスラ君は、テーブル掛の中にあった花模様の花をつまみ上げたり、テーブルのランプをくるくる回したり、「私」が貸していた本を本棚から、翼のように表紙を開いて蝶が飛ぶように漂い「私」の手元に届いたりといった魔術を使いました。
「いや、兼ね兼ね評判はうかがっていましたが、あなたのお使いなさる魔術が、これほど不思議なものだろうとは、実際、思いもよりませんでした。ところで私のような人間にも、使って使えないことのないと言うのは、御冗談ではないのですか。」
いろいろ魔術を見せてもらった「私」は、自分で魔術ができるのか、興味が出てきました。
「使えますとも。誰にでも造作なく使えます。ただ――。ただ、欲のある人間には使えません。ハッサン・カンの魔術を習おうと思ったら、まず欲を捨てることです。あなたにはそれが出来ますか。」
「出来るつもりです。」
そら、成り行きでそう答えますよね。
「では教えて上げましょう。が、いくら造作なく使えると言っても、習うのには暇もかかりますから、今夜は私の所へ御泊まりなさい。御婆サン。御婆サン。今夜ハ御客様ガ御泊リニナルカラ、寝床ノ仕度ヲシテ置イテオクレ。」
「私」が魔術を教わってから1ヶ月後。
銀座のある倶楽部の一室で、5~6人の友人と、暖炉の前へ陣取りながら、気軽な雑談に耽っていました。
その中の友人の一人が、「君は近頃魔術を使うという評判だが、どうだい。今夜は一つ僕たちの前で使って見せてくれないか。」と依頼します。
「私」は、暖炉に手を突っ込み、燃えている石炭を取り出します。
それだけでもすごいのですが、「私」はそれを金貨にしました。
50万ぐらいはあるだろうと、友人のひとりがいいます。
今だと20億円ぐらいです。
この時点では、私は「欲」をかかず、それをまた暖炉に戻そうとします。
しかし、欲たかりの友人たちは、それを拒みました。
結局、トランプを使ったゲームで、「私」が勝ったら暖炉に戻し、友人が勝ったら戻さない、ということになってしまったのです。
しかし、「私」は勝ちまくります。
そこで、金持ちの友人が、家の権利も金など全財産を賭けるとムキになりました。
その時、「私」は、悪魔の心に。
「こんな時に使わなければどこに魔術などを教わった、苦心の甲斐かいがあるのでしょう」と、欲が出てしまったのです。
「私」は、魔術を使ってカードに勝ってしまいます。
おーっやったー
そう思った時、カードのキングが飛び出して、こう言います。
「御婆サン。御婆サン。御客様ハ御帰リニナルソウダカラ、寝床ノ仕度ハシナクテモ好イヨ。」
ふと気がついてあたりを見廻すと、「私」はまだミスラ君と向い合って坐っていました。
「私」が指の間に挟はさんだ葉巻の灰さえ、やはり落ちずにたまっている所を見ても、私が1ヶ月ばかりたったと思ったのは、ほんの2~3分の間に見た、夢だったのに違いありません。
衆生の心は清らかではない
いやー、『蜘蛛の糸』にも見られる、人間の愚かさをラストで見捨てる見事などんでん返しでした。
本作は、欲を捨てることができない人間の悲哀を描いているわけですが、一説には、当時の文壇で人気作家として活躍していたのに自分の作品に対する不安や不満を抱えて、自らの欲に囚われている姿に対する自己批判を表現したともいわれます。
私は芥川先生の作家論を究めたことがないので、詳しいことはわかりませんが、夏目漱石先生の秘蔵っ子であるということから見ても、芥川作品に共通して描かれる「衆生の心は清らかではない」というモチーフは、浄土真宗の教えではないかと思います。
仏教というのは、他の宗教と違い、神様がいて、その差配で生きている、という立場を取りません。
あくまで現実の自分の心を突き詰めるのですが、具体的には、「煩悩を知り、その原因と結果を理解し、自分の心を変えて涅槃に滅すること」を目指しています。
しかし、修行したからといって、欲得にまみれた人間の心は簡単に変わるものではない、というのが浄土教、なかでも浄土真宗の見定めなのです。
ですから、本当なら、欲得まみれの人間がラストでは心を入れ替える、という展開にしたほうが物語としてはおさまりがいいのですが、『羅生門』にしても『蜘蛛の糸』にしても『地獄変』にしても『河童』にしてもそうはなりません。
たしかに家財産賭けられたら、「悪魔の囁き」に負けちゃいますけどね。
オールカラーの3Dマンガは、すでに原作のストーリーが明らかになっていても、新たなイメージを提供してくれます。
おすすめの一冊です。
以上、『魔術:マンガ版』は、年の若い魔術家の印度人、マティラム・ミスラを訪ねた「私」が、魔術を教えてほしいと依頼する話です。でした。
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