『1つずつ自分を変えていく捨てるべき40の「悪い」習慣』(午堂登紀雄著、日本実業出版社)は悪い欲求や習慣は捨てよと唱えます。そして、それを捨てられないとどうなるか、逆にそれを捨てるとどうなるか、といったことを解説しています。
「友人」も「人脈」も「捨てられた人」になるべき?
『1つずつ自分を変えていく捨てるべき40の「悪い」習慣』(午堂登紀雄著、日本実業出版社)は、根源的な「生き方」における40の方法に言及しています。
そして、「捨てるべき40」を捨てられないからどうなるか、逆に捨てられるとどうなるか、が示されています。
たとえば、「忙しい」という口グセを「捨てられない人」。
市場や会社の変化に気づけなくなり、「捨てられた人」は、俯瞰力と業務処理能力が高まるとしています。
嫉妬を「捨てられない人」。
想像力が低下して伸びなくなり、「捨てられた人」は、「すべての人の『いいところ』に学ぶことができる」といいます。
同様に、「いい人でありたい」「友人は多いほうがいい」「ギブ&テイク」「人脈は増やすもの」といった考え方も、「捨てる」ことを説いています。
とまあ、物品ではなく、価値感や行動面の断捨離を唱えた書籍です。
午堂登紀雄さんは、「いい人」と見られたくて、浅い付き合いでしかない「友人」をふやしたって、むしろ自分の人生にはマイナスですよ、ということを述べています。
私も大賛成です。
でも中には、年賀状や名刺が多いことがいいことだと思っている人もいますよね。
異論のある方は、ぜひ本書で午堂登紀雄さんの主張をご確認ください。
自分の体験から、人生の蓄積には不要なものがあるとわかった
これまでにも何度か書いてきたように、私は2011年に火災を経験し、無一文になりました。
金銭だけではありません。
たとえば、学校時代の卒業アルバムや卒業証書、人生その時時の記念の物品や資料といった「資産」、また妻子も命は助かりましたが、原状復帰は望めない後遺症を抱えました。
そんな状態になり、公私共に、従前の生活や人間関係を継続することが困難となりました。
つまり、私は、人生それまでの蓄積を、自分の身柄以外はほぼすべて失ったわけです。
それ自体、大変な打撃で、火災以前と同じ生活に戻ることは、もはや不可能だと思います。
ただ、そうなったことで、大きな不幸に比べればまことにささやかな「成果」ではありますが、以前よりもはっきり見えたものも、あります。
それは、「人生の蓄積」の中には、なくても困らないもの、捨てたほうが良いものもあるということです。
メタボではありませんが、生きるということは新陳代謝が必要なのに、それが十分でないと、無駄な蓄積が生じてしまうのです。
それは客観的に存在する「物」だけでなく、欲求や価値観や行動など、精神的な部分に生じたものも含まれます。
人生で要らないもの、必要のない「悪い習慣」や「悪い欲求」をきちんと見定めておくことが、健全な人生の新陳代謝には必要だということです。
ですから、私は本書のコンセプトが理解できます。
本書は、まさに「悪い習慣」や「悪い欲求」を40条枚挙。それらの「捨てる勇気」を授けてくる構成になっているのです。
人生に悩み、局面を転換したい方にはぜひお勧めしたい一冊です。
他人軸ではなく自分軸で生きる
たとえば、午堂登紀雄さんは、自己啓発書を「捨てるもの」のひとつに挙げています。
自己啓発的な書籍というと、「すべてに感謝しろ」だの、「絶対悪口を言うな」だのといった善人であることを勧めたり、逆に宗教的な非合理を持込み「他人に迷惑をかけることなど気にするな」と開き直りのような「悟り」を説いたりするものを見かけます。
しかし、本書はそのどちらでもありません。
違法、不道徳、非合理、不条理なことは一切勧めていません。
では何が書かれているかというと、自分を合理的に見つめ、自分の「軸」を決め、それに基づいて判断・行動する。
他者に翻弄されないように生きればいい、というまっとうな話が書かれています。
自分軸で生きる。
この反対にあるものが、他人軸で生きるということです。
価値観、生き方に関わる書籍はこれまでたくさん出ていますが、決定的に意見が別れるのが、対人関係に関する考え方です。
簡単に述べると、従来の書は、人間関係、人脈は最上位で大切にすべきものとし、人間関係を豊かにすることが成功だという考え方が主張されていました。
しかし、昨今は、誰からも好かれ、人間関係に波風を立てない「いい人」になることや、「人脈作り」に励むことは、むしろ成功から遠ざかる「べからず」の部類に入るとする主張が出始めています。
本書も、その後者にあたります。
「いい人」であろうとするのはやめなさい
また、本書はこう述べています。
「いい人」であることを捨てられない人は、誰かの後ろを歩く人生になる。
捨てられた人は、ふつうの人が気づけないバリューを見出せる。
理由はこう書かれています。
なぜ「いい人」が成功をつかめないかというと、他人との摩擦を恐れて、非常識なアイデアを打ち出したり、信念ある自己主張をしようとしないため、周りからの反対があると、打ち負けてしまうからです。午堂登紀雄さんは、「いい人」などというのは、しょせん「他人から見て都合のいい人」にすぎないといいます。
いいかえれば、「いい人でありたい」というのは、「他人の都合(顔色)で生きていきたい」わけです。
そんな、自分の「軸」がない(主体性がない)人間が、自己実現なんてあり得ません。
したがって、その人は幸福にはなれません。
まったくもっともですね。
午堂登紀雄さんは、「賛否両論を巻き起こす人が時代を変える」とも述べています。
私は別に、時代を変えようなんて大それた事は考えませんが、「いい人でありたい」なんてまっぴらだと以前から思っていました。
「いい人」というのは、正確には「どうでもいい人」のことなんだと思っているからです。
女の人にフラれる時も、「いい人なんだけどねえ……」っていうじゃないですか。
人間なんて、自分や自分の主観が一番ですから、つきつめれば他人に対する評価は、その人にとって「安心できるか」「しゃくにさわるか」のどちらかだと思います。
「安心できる」というのは、絶対的な信頼をおけるか、もしくは自分には牙をむかないアウトオブ眼中の安全牌扱いか、のどちらかです。
だったら、「しゃくにさわる」で結構と思っていたわけですが、まあこのへんの私の考え方も、本書と軌を一にするところかもしれませんね。
人脈は、作るものではなくできるもの
さらに、午堂登紀雄さんは、人脈作りも「捨てろ」と述べています。
捨てられない人は、結局人脈ができない。
捨てられた暁には、必要な人脈が自然にできる、といいます。
私がFacebookを始めた時、一番最初に「友達」になってくれたのは、和佐大輔さんなのですが、やはり彼も、異業種交流会などで、「私は人脈を作りたくてやってきました」といわんばかりの態度をとっていても、人脈はできないし、逆に敬遠されるだけだ、とよく言います。
もちろん、人の力が不要だ、人脈そのものが無意味だ、といっているわけではありません。
午堂登紀雄さんによれば、要するに人脈は作るものではなくできるものだというのです。
人脈作りが目的化したことに時間やお金をかけるのなら、目の前のことにしっかり取り組もう。
それを認めてもらえば、人は集まってくる、と述べています。
午堂登紀雄さんも起業したての頃は、相手が著名人だったり、大きな会社の経営者だったりすると、無理に人間関係を作ろうと思ったそうです。
しかし、そうやって作る関係は、決して長続きしなかったそうです。
人間は、打算を含めて、自分の価値観で求める人と付き合いたいと思うわけです。
つまり、相手から「お知り合いになりたい」という気持ちを持ってもらえるようになることが大切だということです。
偉いから知り合っておこう、名刺交換をしまくって名刺ホルダーをいっぱいにすればなんかいいことあるだろう、ということでも、その人たちが将来力になってくれる可能性が絶対にないとはいえませんが、その可能性にかけるよりは、自分を磨くことに時間とコストを掛けたほうがいいだろうという話です。
午堂登紀雄さんは、「人脈作り」に励むことは、自分に大切なことからの逃げにすぎない、と手厳しくまとめています。
でも、そういう話を読むと、それは特別な「できる人」の話だ、ととたんに逃げ腰になる人っていますよね。
「人脈」なんて大仰なものではありませんが、たとえば、私はここ3年間、無休でブログを更新していますが、ときどき、著名な作家や俳優などから、こちらが申請したわけでもないのに、記事のURLをツイートするツイッターのアカウントにフォローをしていただける(つまりブログの告知を求められている)ことがあります。
そういう方々は、むやみにフォローはしませんから、私のツイートやブログを目に止めてくださったんでしょうね。
ですから、午堂登紀雄さんが書いていることは、決して理想論ではなく、特別デキる人の話でもなく、現実に有り得るかも、と前向きに受け取ることはできます。
特別な話と棚上げする前に、虚仮の一念の心境で実践してみることでしょうね。
以上、『1つずつ自分を変えていく捨てるべき40の「悪い」習慣』(午堂登紀雄著、日本実業出版社)は悪い欲求や習慣は捨てよと唱えます、でした。
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