28歳 意識不明1ヵ月からの生還ーみんなのおかげで』(内田啓一著、コモンズ)は、28歳の新聞記者が1ヵ月の昏睡から社会復帰した話です。急性硬膜外血腫で倒れ、意識不明1ヵ月の昏睡状態を1ヶ月送りながらも、遷延性意識障害にならずに回復しました。
『28歳 意識不明一ヵ月からの生還』は、内田啓一さんがコモンズから上梓した体験談です。
『ーーみんなのおかげで』というサブタイトルが付いています。
28歳の宮崎日日新聞報道局記者が、急性硬膜外血腫で倒れ、昏睡状態を1ヶ月送りながらも、遷延性意識障害にならずに社会復帰する話です。
急性硬膜外血種で一命をとりとめたものの……
本書『28歳 意識不明一ヵ月からの生還』は、急性硬膜外血種からの社会復帰をまとめた体験談です。
急性硬膜外血種、ご存知ですか。
人間の頭蓋骨を想像してください。
その内側には、すぐに脳があるわけではなく、硬膜があり、さらにその内側にはくも膜があります。
その硬膜の外側に出血して血腫ができるのが、急性硬膜外血腫です。
同様に、硬膜の内側に血腫ができるのが急性硬膜内血腫です。
では、どうして血腫ができるのか。
急性硬膜外血種というのは、高所や階段からの転倒、もしくは交通外傷などによって、強く頭部を打撲することで、脳を覆う硬膜という膜と頭蓋骨との隙間に血液が貯留した状態です。
重症度は出血部位と出血速度に相関し、最重症のものは一刻を争う状態で、緊急手術の適応にもなります。
出血源は、硬膜に存在する動脈(中硬膜動脈)または静脈(静脈洞)といわれています。
血腫ができることにより、頭蓋骨の内側の圧(頭蓋内圧亢進)が高まり、脳が圧迫されます。
それが激しい頭痛、嘔吐などをもたらします。
時間の経過とともに出血が続けば、血腫が増大して意識障害に至ります。
脳ヘルニア(脳が頭蓋骨内のすきまに向かって押し出される)の状態にまで進行すると、脳幹が侵されて呼吸障害などが起こり、最終的には死に至るのです。
そう、命を脅かすのです。
そして、かりに一命をとりとめたとしても、脳幹が侵されることで障害が残る場合があります。
本書『28歳 意識不明1ヵ月からの生還ーみんなのおかげで』の著者は、急性硬膜外血腫、急性硬膜下血腫の両方ができ、とくに急性硬膜外出血は広範に進んでいたものの、1ヶ月もの昏睡から回復することが出来たという話です。
はやい対応で急性硬膜外血腫、急性硬膜内血腫から回復
著者は、連日取材活動を行って疲労困憊だったそうです。
そして、取材後、上司と食事をしましたが、遅れて駆けつける記者を迎えに待っていたところ、急に気を失い尻餅をつき、頭を打ったといいます。
その日からすでに記憶を失い、翌日は出社も出来ない。
つまり、その「気を失った時」か「頭を打った時」から、硬膜の内外で出血が広がっていったようです。
著者の妻は医学部助手ですが、その日は学会で千葉・幕張出張していました。
翌日も著者は出社予定でしたが、出社がなかったので、同僚が著者の自宅を訪ね、失禁したまま泡を吹いて倒れている著者を発見。
緊急搬送されて診断の結果、急性硬膜外血腫の診断がくだされたそうです。
もちろん緊急手術されるものの、硬膜外の出血が広範に進んでいただけでなく、急性硬膜下血腫も見つかった。
それだけ大量の出血があったというわけです。
医師からは、「助かっても植物症」の宣告をされます。
植物症。遷延性意識障害のことです。
以下の6項目が3か月以上続いた場合を「遷延性意識障害」といいます。
自立移動ができない
自立摂食ができない
し尿失禁がある
声を出しても意味のある発語ができない
簡単な命令にはかろうじて応じることはできるが、意思疎通はほとんどできない
眼球は動いていても認識することはできない
しかし、1ヶ月の昏睡後、徐々に回復して、7ヶ月後に退院。
1年後に職場復帰したといいますから、これは奇跡的です。
脳を受傷した場合、より速い対応ができるかどうかで明暗を分けます。
著者の場合も、結果として社会復帰できたわけだから、対応が早かったことになります。
著者の見解では、妻とは、家をあけている時も必ずメールのやり取りを行うことと、倒れた日が出社の日だったことが幸いしたと述べています。
著者の妻は、著者が尻餅をついた日にメールのやり取りで、著者の記憶がとんだことを知り、心配になって翌日著者の会社に連絡を取っています。
メールのやり取りをしていなかったら、夫の異常を知ることはなかった。
そして、新聞記者の勤務形態には休日出勤もあり、同僚も出社していた。
全員揃って休みを取る会社だったら、著者の妻は同僚と連絡を取れず、同僚は著者の異常を発見できなかったかもしれなかった。
著者は、泡を吹いて倒れていたのだから、そのまま誰も気づかなければ絶命していたでしょう。
脳障害の後遺症は残った
著者は、回復までの経緯を述べるとともに、看護する人に対して、および脳神経疾患になってしまった本人に対して、「体験に基づくアドバイス」を、それぞれ簡潔にまとめています。
たとえば、「本人」に対しては、「その時の自分を受けいれる」「できなくなった、ではなく、変化したと考える」と書かれています。
以前できたことが、これからの人生ではできなくなる。
その現実は大変に厳しいことです。
本来なら1ヶ月も昏睡が続けば、著者のように職場復帰できる可能性はかなり下がります。
やはり著者は「不幸中の幸い」「九死に一生」だったと思います。
もし、当初の診断通り、遷延性意識障害になったら、「できなくなった、ではなく、変化したと考える」ではすまない。
理屈としてはわかりますが、職場復帰できたからそう言えるんじゃないの? といういささか意地悪な感想も抱けるところであります。
もっとも、急性硬膜外血腫、急性硬膜下血腫で1ヶ月昏睡していたわけですから、「回復」「社会復帰」といっても、原状復帰というわけにはいきませんでした。
右半身の麻痺、バランスの悪さ、右目と左目の像が合わない「複視」など、典型的な脳障害の後遺症を残しました。
労災申請をしたものの、結果は「不支給」。
労災が認められるのは、業務中で、かつクモ膜下出血や脳内出血のときだけだそうです。
社内業務中ではなく、繁華街で尻餅をついて頭を打った時に発生した可能性もある急性硬膜外血腫、急性硬膜下血腫の著者は不支給だったそうです。
つまりですよ、社用であっても、歓送迎会で倒れたら労災にならないのです。
これは覚えておきたいですね。
身体障害者手帳は、身体障害者手帳を申請して、上肢五級、下肢四級を認められたそうです。
手帳が出たのに労災が出ないとは、なんか矛盾していますね。
もっとも、自動車免許も更新できたのは、脳障害では「不幸中の幸い」なのです。
なぜなら、自動車を運転できるということは、脳障害の後遺症としてありがちな「てんかん発作」がなかったからです。
たとえば高次脳障害では、「てんかん発作」が必発であるといってもいいでしょう。
書籍には、著者の回復までの写真も掲載されています。
たとえば、事故直後、まぶたも瞳孔も開いたままのため、湿った綿を眼にあてている一葉もあります。
脳に受傷すると、覚醒し、目をあけている時でも、視線が定まらない。追視が出来ません。
付きそう夫人の心労も察するに余りあります。
著者は、報道記者の仕事を離れ、整理部で復帰したそうです。
整理部というのは、紙面をレイアウトするのだから、新聞社ではもっとも重要なセクションです。
しかし、取材記者として走り回っていた者が、それができなくなるのは無念でしょう。
アナウンサーが、人事異動で別の部門に「出世」しても、フリーになってしまうのはよくある話です。
著者は、これからは報道局への復帰を目指すことになるのでしょう。
「不幸中の幸い」で復帰
今回、なぜ本書をご紹介したかというと、もちろん、誰でもいつでもなり得るリスクだからです。
本書を読んで、著者がなぜ回復して社会復帰できたのかを考えてみました。
1.早い発見と処置(手術)
2.妻や同僚などの励まし
といったところでしょうか。
ただ、脳については、今の医学でも無力、とまではいいませんが、受傷者の予後をきちんと診断できるとは限りません。
回復できるか、植物症になってしまうかは、正直なところ、運としか言いようが無いのも現実だと思います。
同じように、急性硬膜外血腫、急性硬膜下血腫になり、植物症になってしまった人もいるはずです。
著者には、「不幸中の幸い」で復帰できたのだから、これからの人生、希望を持って頑張って欲しいと思います。
以上、28歳 意識不明1ヵ月からの生還ーみんなのおかげで(内田啓一著、コモンズ)は、28歳の新聞記者が1ヵ月の昏睡から社会復帰した話、でした。
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