徳島ラジオ商殺し事件など、未解決事件を様々な角度から推理しているのは『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)です。現在も10件に1件の割合で未解決事件が存在します。未解決事件解決のため、同じ悲劇を繰り返さないための「戦後犯罪史考」です。
『日本人を震撼させた 未解決事件71』は、グループSKITがPHP研究所から上梓した書籍です。
日本の戦後殺人事件の検挙率は、一貫して安定して高水準といわれ、90.0%~98.3%の間で推移していると発表されています。
しかし、その中には、冤罪も含まれているかもしれません。
そもそも逆の見方をすれば、多いときには10件に1件の割合で、検挙できなかった未解決事件が存在するということです。
2010年4月の法改正で、殺人事件に関しては時効が廃止されました。
つまり、解決しない限り終わっていない事件は、今後も起こる可能性があるということです。
未解決事件が一刻も早く解決されるために、また同じような悲劇を繰り返さないために上梓されたのが本書です。
「戦後犯罪史考」を標榜しています。
本書は2022年9月15日現在、AmazonUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
事件名を聞けば、「ああ……」と思い出すものばかり
本書がとりあげている事件を、目次からご紹介します。
どれも、事件名を聞けば、「ああ……」と思い出すものばかりです。
第1章 2010~2001
01 福岡バラバラ殺人事件
02 島根女子大生死体遺棄事件
03 首都圏連続不審死事件
04 板橋資産家夫婦放火・殺害事件
05 蟹江一家殺傷事件
06 琵琶湖バラバラ殺人事件
07 京都精華大学生通り魔殺人事件
08 ライブドア元取締役不審死事件
09 プチエンジェル事件
10 石井紘基刺殺事件
11 歌舞伎町ビル火災事件
第2章 2000~1991
12 世田谷一家惨殺事件
13 桶川女子大生ストーカー殺人事件
14 和歌山毒物カレー事件
15 坂出送電塔倒壊事件
16 神戸連続児童殺傷事件
17 東電OL殺人事件
18 柴又女子大生放火殺人事件
19 池袋駅構内大学生殺人事件
20 八王子スーパー強盗殺人事件
21 日本テレビ郵便爆弾事件
22 井の頭公園バラバラ殺人事件
23 歯科助手挙式直前失踪事件
24 東海道新幹線墨子事件
25 和D-53号事件
26 大阪府熊取町連鎖自殺
27 三重小2女児失踪事件
28 小説『悪魔の詩』訳者殺人事件
第3章 1990~1981
29 足利事件
30 SOS遭難事件
31 徳島県男児行方不明事件
32 女性教員宅便槽内怪死事件
33 名古屋妊婦切り裂き殺人事件
34 リクルート事件
35 赤報隊事件
38 高崎幼児誘拐殺人事件
37 豊田商事会長刺殺事件
38 グリコ・森永事件
39 中川一郎怪死事件
40 ロス疑惑事件
41 パリ人肉食事件
第4章 1980~1961
42 1億円拾得事件
44 長岡京殺人事件
44 青酸コーラ無差別殺人事件
44 ロッキード事件
46 佐賀女性7人連続殺人事件
44 甲山事件
48 金大中事件
44 大阪ニセ夜間金庫事件
50 よど号ハイジャック事件
51 土田・日石・ピース缶爆弾事件
52 「マルセル」盗難事件
53 3億円事件
54 和田心臓移植事件
55 布川事件
56 狭山事件
57 草加次郎事件
58 名張毒ぶどう酒事件
59 チ-37号事件
第5章 1960以前
60 BOACスチュワーデス殺人事件
61 松山事件
62 島田事件
63 徳島ラジオ商殺人事件
64 金閣寺放火焼失事件
65 財田川事件
66 二俣事件
67 国鉄三大事件
68 光クラブ事件
69 免田事件
70 帝銀事件
71 津山事件
ということで、いくつかはすでに別の書物でご紹介しています。
今回は、冤罪事件としてとくに有名な、徳島ラジオ商殺し事件について振り返ります。
徳島ラジオ商殺し事件は検察による冤罪事件だった
徳島ラジオ商殺し事件とは、1953年(昭和28)11月5日未明、ラジオなどの電気製品を商う男性(50)が、刃物で刺されて死亡した事件です。
目星をつけた容疑者の容疑が固まらず、検察は内縁の女性を犯人と決めつけたものの、実は強引な自白による冤罪事件だった。
しかし、内縁女性は亡くなったために、生きているうちに名誉回復された生活を謳歌することはできなかった、という話です。
「ラジオ商」というと、現在では事業のイメージが難しいかもしれませんが、要するに電気店です。
現在のようにAmazonや量販店はありませんでしたから、当時生活のインフラといえたラジオは売れ行きがよく、しかも、当該事件で殺された被害者は、創世記のテレビに着目してテレビ徳島の設立を計画するやり手でもありました。
犯行時、被害者男性と内妻の冨士茂子さん、および三女が同じ部屋に寝ており、男性は9箇所メッタ刺しによる出血多量の即死。
冨士茂子さんも負傷したものの致命傷はなく、三女も難を逃れました。
冨士茂子さんが叫び声を上げると犯人は逃走。
冨士茂子さんは室内の電灯をつけようとしましたが、電話線も電灯線もすべて切断されていました。
冨士茂子さんは、2人の知らない男性が侵入して犯行に及んだと証言。
徳島市警も外部からの犯行を前提に捜査を進めましたが、逮捕して自白させた暴力団員は証拠がなく起訴できませんでした。
事件後、1年経っても犯人が捕まらないためマスコミや市民の非難が警察に集中。
そこで、徳島地検が捜査の主導権を握り、外部犯行説から内部犯行説へ180度転換しました。
最初から、冨士茂子さんが夫を殺したという線で絵を描いた地検は、17歳と16歳の住み込み店員を別件逮捕した上で、1人は45日間、もう1人は28日間という常軌を逸した身柄拘束で自白を強要。
検察は店員が犯行の一端を担ったとでっち上げ、冨士茂子さんを主犯と決めつけ、1954年8月13日に逮捕しました。
いやあ、こういう話を読むと、「捜査の可視化」がいかに大切かがわかりますね。
たとえば、あなたが、配偶者や恋人と寝ていたときにゾクが入ったとして、あなただけが命は助かった。
犯人が見つからなかったからと言って、検察に同じことをされたらどうですか。
いつ、誰が同じ目に合うかわからないんですよ。
結局、冨士茂子さんはそんな狂った取調べに参ってしまい、いったんは「自白」をしてしまいます。
それを前提とした裁判を行い、彼女は犯行を否認したものの、徳島地方裁判所は1956年、被告に懲役15年の有罪判決を言い渡し、二審の高松高等裁判所も控訴を棄却しました。
1956年4月18日……懲役13年(徳島地裁)
1957年12月21日……冨士茂子さんの控訴を棄却(高松高裁)
冨士茂子さんは上告しようとしたが、長引く裁判費用に困るようになり、1958年5月10日に上告を取り下げざるを得なくなり、被告の実刑判決が確定してしまいました。
ところが、その直後に、証人であった少年店員が、「検事に強要されて偽証した」と告白。
さらに、真犯人を名乗る男性が、沼津警察署に出頭しました。
男性は信憑性の高い自供を行いましたが、証拠不十分で不起訴になってしまいます。
本書によれば、今更真犯人などが現れたらメンツが丸つぶれになってしまうという検察の意向が強く働いたと言われています。
メンツ……
先日ご紹介した、北関東連続幼女誘拐殺人事件もそうでしたね。
冨士茂子さんは、模範囚として服役しながら再審請求を行います。
ここがすごいところですね。
ここで懲罰など出したら、自分はますます立場が悪くなると思ったのでしょう。
1966年11月30日、冨士茂子さんは仮出所し、姉弟や市民団体の支援のもと、再審請求を続けました。
1970年に行った再審請求では、有罪の根拠とされた2人の店員が、「冨士茂子さんが犯人といったのは嘘だった」と語るテープが新証拠として提出されたにも関わらず、なぜか認められなかったといいます。
それでも偽証に基づく起訴が知れ渡ったことで世間の風向きは変わり、市民グループや女性議員の市川房枝さん、作家の瀬戸内寂聴さんらも冨士茂子さんの支援に立ち上がりました。
その後も再審請求を続けたものの、第5次再審請求中の1979年11月15日に、冨士茂子さんは腎臓がんで亡くなってしまいます。
享年69歳でした。
しかし、冨士茂子さんの遺志は姉弟が受け継ぎ、再審請求は継続。
姉妹弟への請求者警鐘に伴う第6次再審請求がなされ、1980年12月13日に徳島地裁が再審開始を決定。
そして、ついに1985年7月9日には、徳島地裁が冨士茂子さんに対して無罪判決を言い渡しました。
事件発生から32年後のことです。
書いていても泣けて来るような、長い長い道のりでした。
やはり、少年店員に自白の強要をしたことや、外部犯行を伺わせる証拠が多いことや、冨士茂子さんが手にかける動機も見当たらなかったことなどが無罪につながつたそうですが、そんなことはもつとはやくからわかっていたことです。
いずれにしても、惜しまれるのは、検察のメンツで、沼津警察署に出頭した男性を真面目に調べなかったことですね。
真犯人については未だにわかっていません。
最初に逮捕した徳島市の暴力団関係者だったのか、沼津警察署に出頭した男性だったのか。
それ以外なのか。
本書は、そうした事件をいくつも紹介しています。
また別の機会に、それらもご紹介したいと思います。
以上、徳島ラジオ商殺し事件など、未解決事件を様々な角度から推理しているのは『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)、でした。
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