ゆうひが丘の総理大臣【大合本版】(望月あきら、オフィス漫)は、あけっぴろげな型破りな教師によるお騒がせスクール・コメディです。1978年にはテレビドラマ化されましたが、「養護施設育ち」という共通のキーワードを元にそれぞれ独自の世界を繰り広げました。(画面キャプチャは、放送したBS日テレより)
ゆうひが丘の総理大臣【大合本版】は、望月あきらさんがオフィス漫から上梓した漫画です。
過去全17巻の単行本を全2巻にまとめました。
第1巻は1~9巻、第2巻は10~17巻です。
過去に、単行本はご紹介したことがあります。
このときは、マンガ図書館Zの無料リストに入っていたのですが、それが外れてしまいまして、寂しい思いをしていたところ、今度は大合本になってAmazonUnlimitedの読み放題リストに登場しました。
『ゆうひが丘の総理大臣』は、『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)で1977年12号~1980年16号まで連載された、望月あきらによる日本の漫画作品です。
単行本は全17巻で、1978年にはテレビドラマ化(1978年10月11日~1979年10月10日)されています。
日本テレビで放送されましたが、従来の青春学園ドラマとは違い、つまりスクールドラマというよりも、青春ヒューマン・コメディとしてのモチーフでした。
たとえば、青春学園ドラマの金字塔といわれている『飛び出せ!青春』は、熱血教師(村野武範)が生徒たちや同僚教師と織りなす“学園の物語”です。
一方、『ゆうひが丘の総理大臣』は、大岩雄二郎(中村雅俊)という教師をやっている“一人の人間を描く物語”です。
主演が中村雅俊さんのため、『俺たちの旅』の津村カースケの教師版といっていいでしょう。
本書は2022年11月25日現在、AmazonUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
「養護施設育ち」が共通のキーワード
では、本作『ゆうひが丘の総理大臣』と、ドラマ版の『ゆうひが丘の総理大臣』は、どこが同じでどこが違うでしょうか。
原作は中学校を舞台に、テレビドラマ版は高校が舞台です。
主要登場人物は一致していますが、中心となる生徒や、下宿屋さんなどドラマ版独自のキャスティングもあり、、原作とはほぼ別の作品となっています。
原作のストーリーをかんたんにご紹介すると、主人公は大岩雄二郎といい、角刈りに無精髭を生やし、くわえタバコ。そして養護施設出身いう設定です。
中学校の教師に赴任し、後輩の多野木念、百田桜子、伊井加一など同僚の先生や、百田てる学園長、東剛教頭、大宮や針山などの生徒たちと巻き起こすドラマツルギーを1話完結でまとめています。
難しい年頃の子供達と、細かいことはあまり気にしないソーリ先生とのやり取りには、昭和のマンガらしい温かさが感じられます。
舞台は、あくまでも職場の中学校でした。
大岩雄二郎は短髪で、イメージ的には、当時の俳優でいうと、勝野洋さんの方が合っていました。
それだけに、中村雅俊さんというのは意外でしたが、「孤児院育ち」という共通キーワードをもとに、津村カースケワールドを40話にわたって繰り広げてくれました。
一方のドラマ版。私個人の推理では、制作側は室生犀星を意識しているように思います。
室生犀星は、非嫡出子として生まれて、7歳で室生家の養子になるなど不幸な生涯を送ったにもかかわらず、健全に生きようという詩を残しています。
大田区の馬込文士村の案内板には、家族思いで、子どもの健康を気遣い、家族サービスを怠らない人であると書かれています。
その一方で、「ふるさとは遠きにありて思うもの」という有名な句を残したように、決して故郷には帰らなかったといいます。不幸な過去は振り返らないという強い気持ちがあったのでしょう。
室生犀星を意識したドラマ版
ドラマ版『ゆうひが丘の総理大臣』の主人公、大岩雄二郎は、母親に捨てられて養護施設で育ったため、「不幸は見飽きた」と、他人のことに親身になり、他人の心の痛みがわかる人です。
そして、自分を捨てた実の母と会っても、恨み言も言わないかわりに自分が息子であることも名乗らず別れました。
第26話(1979年4月25日放送)の『総理先生しっかりして!』では、室生犀星が書いた「朝を愛す」の一節が、諳んじられるシーンがあります。
僕は朝を愛す漫画しか読まない元不良という設定であるはずの中村雅俊演じる大岩雄二郎が、どうしていきなり室生犀星を諳んじることができるのだろう、と放送当時は思いましたが、室生犀星の生き様を知ったとき、むべなるかな、と思いました。
日のひかり満ち亙る朝を愛す
朝は気持が張り詰め
感じが鋭どく朝
何物かを嗅ぎ出す新しさに餓ゑてゐる。
朝ほど濁らない自分を見ることがない、
朝は生れ立ての自分を遠くに感じさせる。
第21話(1979年3月7日放送)の『子は親を求めているか?』の巻から。
下宿屋のおばさん・ふく(樹木希林)が、ソーリ(中村雅俊)を座敷にひっぱってきて、離れ離れだった親子を対面させる番組を見せます。
ソーリ(中村雅俊)は、子供の頃、自分が母親に捨てられたことを思い出します。
ふく(樹木希林)は、親切心からソーリ(中村雅俊)の代わりに離れ離れになった母親探しを番組に応募。
それらしき人がいたから確認してほしいという局からの電話に、ソーリは「余計なことはするな」と激怒しますが、
同僚の大坂先生(名古屋章)の説得で、結局は局に行くことに。
ふくは、局まで付き添いますが、残念ながら「それらしき人」は人違いでした。
マッチ棒を少しずつ積み上げて待ちますが、「人違い」を暗示する失敗したシーン。いいコンテです。
ソーリ「おばさん、あんみつ食おうか」
ふく「食おうか」
ソーリ「俺くらいの息子を探してる母親ってのは、いるんだね」
ふく「そうだねえ」
ソーリ「その人さあ、俺が人違いだとわかって、がっかりするんだろうね」
ふく「……あんた、他人の身になって考えられるんだねえ」
この話が伏線となったのが、第36話の『やさしさって何ですか?』。
まさに「ふるさとは遠きにありて思うもの」というモチーフでストーリーが展開されます。
母子家庭だった大岩雄二郎(中村雅俊)は、妹ととともに養護施設に預けられ、母親は姿を消し、妹(山本ゆか里)も養親がすぐらあらわれて、一人ぼっちで子供時代を過ごしました。
その後、単身アメリカに渡り、後輩(神田正輝)が教員をつとめている夕日が丘学園高校で英語教師となりました。
アメリカ時代の友人(戸井田稔)の招きで、生徒たちと北海道へ行った際、実は近くに、雄二郎の母親と思しき女性(南風洋子)が働いているが会ってみないか、といわれます。
雄二郎は、「俺たちを捨てたおふくろなんか会いたいものか」と拒否するくせに、生徒たちを先に帰して滞在を延ばし、チョロチョロ母親を覗きに行きます。
ボヤッと歩いて、走っている車に泥をはねられ、母親から「これで拭きなさい」とタオルをもらったことも。
しかし、結局名乗ることはせず、東京に帰ります。
女性は、自分を訪ねてきた人が雄二郎であることに気づき、走り出す電車の窓から息子の名を呼びますが、
雄二郎は気づかず、ホームを出た電車の車内で、もらったタオルをギュッと握りしめながら「お母さん、さようなら」とつぶやき、涙を流します。
原作のエッセンスも少しずつ織り込んでいるので、原作と読み比べると面白いかもしれません。
以上、ゆうひが丘の総理大臣【大合本版】(望月あきら、オフィス漫)は、あけっぴろげな型破りな教師によるお騒がせスクール・コメディ、でした。
ゆうひが丘の総理大臣【大合本版】(1) 1~9巻収録 (オフィス漫のまとめ買いコミック) – 望月あきら
ゆうひが丘の総理大臣【大合本版】(2) 10~17巻収録 (オフィス漫のまとめ買いコミック) – 望月あきら
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