なにもないシアワセ大東京ビンボー生活マニュアル(前川つかさ著、イースト・プレス)は、無職男性の気取らない生活を描いています。ただ、やはり現実感の乏しさによる説得力のなさは否めず、もう少し主人公の人生の陰翳を描いても良いのではないかと思いました。
『なにもないシアワセ大東京ビンボー生活マニュアル』は、前川つかささんがイースト・プレスから上梓した漫画です。
バブル真っ只中の1986年に、『モーニング』で連載されていたそうです。
物欲を思うがままに謳歌した時代にありながら、「ビンボー生活の楽しみ方を描いた穏やかな作風で大好評を得た作品」だそうです。
ただまあ、いくらバブル期のアンチテーゼと言っても、さすがに物語展開には現実感の乏しさによる説得力のなさは否めません。
いや、基本のストーリーはこのままでも、少なくとも、なぜ主人公がビンボー生活をバブル期から少なくとも2011年まで続けているのか、また続けられるのか、説得力を持たせるエピソードを少しずつでもいいから積み重ねたほうが良かったのではないかと思いました。
今回はベストセレクションに加え、その後のコースケを描いた描き下ろし6編と、作者インタビュー、作中に登場する店や食べ物を紹介する企画ページなど、新しいページも大増量しているそうです。
本書は2023年5月12日現在、KindleUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
主人公の生き様をもっと掘り下げてほしかった
正直、リアル底辺貧乏人の私からすると、作品全体に説得力がありませんでした。
だって、コースケは大学を出ても、就職や進学をしないどころか、アルバイトも頼まれて1日ぐらいするだけ。
何で食ってるんだろうと思いますし、なぜ働かないのか、なにを目的に生きているのかもさっぱりわかりません。
つまり、感情移入できるきっかけがありません。
たとえば、『働かないふたり』(吉田覚、新潮社)は、対人恐怖症の妹とインテリで友達もいる“エニート”な兄というニート兄妹の暮らしを描いた漫画ですが、兄は普通に働けるのに、妹のことを思ってニートをヤッているということがわかりますし、実家住まいなので、経済的な後ろ盾もあることがわかります。
ところが、本作はそれらが不明です。
やたら知り合いが多いようですが、それをうかがえる人格の描写も不十分です。
『東京都北区赤羽』(清野とおる著、ビーグリー)は実話ですが、著者は新たな出会いを積極的に求めているので、その積み重ねによる「人脈」であることがわかります。
働かない、人生の目標も使命感もない、ただ善人だと言うだけで、人は寄ってきませんよ。
というか、善人かどうかは、そうした「生き様」から判断するものです。
ひろ子さんという女性が、よく訪ねてきては、差し入れをしたり、ドライブに連れて行ってくれたりするのですが、著者によると、「ひろ子さんが二股かけてるとか……そんなことはないです(笑)」というインタビューが掲載されています。
で、お互い一人暮らしで、バブル時代から2011年まで「友人」として付き合ってるって……
終電に間に合うよう、帰っちゃうんですよ。
若い男女なのに、セックスシーンはないんですよ。
コースケの性欲処理はどうなってるんですか。
こんな現実感のない関係、見たことありません。
だって、ひろ子さんの年齢は、バブル期で20代前半としても、2011年時点で50歳近いはずです。
その間、ずっとそんな関係で何も変わらず、お互いが歳を取り続けるなんてありえねーだろう、と思いませんか。
少なくとも女性なら、結婚とか、出産とか考えますよ。
コースケが本命なら、「このままプータローでいいのか、結婚とか考えないのか」と迫るときだってあってもいいはず。
で、それに対して、コースケが変わらなければ、普通の女性なら去っていきます。
結婚も出産も考えないような悟った生き方。
ある程度色々経験した年齢の女性ならわかりますが、20代からその心境なんておかしいと思いませんか。
たとえば、ひろ子さんに本命の男性が別にいて、たまに「息抜き」としてコースケと会う、ということならわかりますけどね。
その意味で、著者の「二股かけてるとか……そんなことはないです」なんていう解説は、むしろ作品の説得力を失う蛇足です。
二股でいいじゃないですか。
息抜きくん、雨宿りくんの方が、ずっとリアリティがあります。
無職無目的で生きている人間には、むしろその方がお似合いです。
無職だからバカにしているんじやないですよ。
あだや人生の貴重な時間を、何も考えず過ごしているというのは、もったいなさすぎるし、他者が魅力を感じる動機もないでしょう。
本作はバブル期に描かれたそうですが、そのアンチテーゼのつもりだとしても、さすがに無職はちょっと……。
あとは「マニュアル」というタイトルですが、ちっともマニュアルになっていません。
だって、何も学べないし。
出前を手伝ったから、かつ丼代がただになったとか、現実生活でそんなことないですよ。
学生時代、ちょっと通った常連だからといって、普通、客にそんな事させないし。
もしさせたとしても、ずーっと常連であり続けたら、そういうこともあるかな、というぐらいで、久々に来たのにいきなりそれはないでしょう。
つまり、本作は、常識とか現実とか無視して、「ああ、こんなふうだったらいいのにな」という読者の幻想を具現した物語といっていいかもしれません。
もちろん、それはそれで十分に読み物としての価値はあると思います。
リアルなツッコミ
そして、物語には2つ「間違い」がありますね。
ひとつは、炊いたご飯をスズメにヤッたこと。
これはスズメをそのう炎で苦しめます。
鳥のそ嚢は、消化管の一部です。
人間で言うと、食道が憩室状に膨らんだものです。
エサを一時貯留、水和、軟化、唾液や細菌の作り出す酵素によって食物の分解などを行います。
そ嚢自体は、消化酵素の分泌は行われませんが、ブドウ糖や一部のアミノ酸、βカロテンの吸収が行われることが分かっています。
野鳥の母鳥が、巣で待つ雛に餌を採って溜めておくのも“そのう”です。
スズメはいうまでもなく野鳥ですから、そのうを持っています。
そのうは胃ではないので、人間の胃酸のようなものは出てきません。
つまり、殺菌能力が弱く、細菌が繁殖してカビや食物の腐敗を起こしやすいということです。
そのうに溜めた食べ物が、腐敗して炎症を起こす場合があります。
それは“そのう炎”と呼ばれます。
スズメには、玄米や小麦、トウモロコシのように乾燥した硬い実のままなら問題ありませんが、炊飯したご飯、茹でた麺類、パンなどを与えると、発酵して真菌性そのう炎になりやすいので、炊いたご飯、パンなどを与えてはいけません。
そのう炎に掛かったスズメは、食欲不振になり元気をなくして体重が減ってしまいます。
食事を十分に摂れなくなるから、衰弱してしまいます。
もとの体が小さいので、それが命取りになるかもしません。
ことに、コースケが上げたのは、自分の食べ残し、もしくは食べながらのごはんつぶですから、炊いてからかなりの時間が経っています。
もうひとつは、お地蔵さんにお供えをしたこと。
これは、科学的根拠はありませんが、お地蔵さんにお供えは普通はしません。
繰り返しますが、科学的根拠はないので、それが正しいということではなく、そのように言われることがある。ということです。
そもそも、お地蔵さんに手を合わせてはいけないと言われています。
手も合わせず、お供えをすることはありませんから、お供えをするということは、手を合わせるということですよね。
お供えそのものも、称賛はされていません。
科学的根拠が無いので、どうしてからはいちいち書きませんが、とにかくそういうことです。
みなさんは、いかが思われますか。
以上、なにもないシアワセ大東京ビンボー生活マニュアル(前川つかさ著、イースト・プレス)は、無職男性の気取らない生活を描く、でした。
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