『藪の中』は、平安時代に盗人に襲われた夫婦の事件を、目撃者や当事者たちが検非違使(裁判官)に一人ずつ語っていく形式の物語です。今で言えば裁判モノです。というより、現在の公判を舞台にした映画やドラマのもとになっている作品と言えるかもしれません。
『藪の中』は、芥川龍之介の小説を、杉本武さんが脚色、荒木浩之さんが作画して剣名プロダクションが作品として仕上げました。
いくつかの文学作品を漫画化した『漫画ですぐ読む名作文学』(SMART COMICS)の中に収録されています。
その中には、先日ご紹介した『吾輩は猫である』も含まれています。
本作は、サツ人事件の容疑者や参考人が7人も尋問を受けますが、検非違使(裁判官)に向かって一人ずつ語っていく形式で物語が進んでいきます。
7人のうち3人が男の殺害を自供。
ただし、登場人物の証言には矛盾があり、犯行動機も犯人も、全員の証言がすべて食い違っています。
聞けば聞くほど分からなくなる。
そこで、現代ではアタリマエのように使われている比喩的表現、真相はまさに「藪の中」というわけです。
平安時代が舞台になっているのは、説話集『今昔物語集』巻29第23話の翻案だからでしょう。
原作は青空文庫に公開され、本書はkindleunlimitedの読み放題リストに含まれています。
7者7様の証言、被害者もシ霊として登場
物語は、7人の証言ごとに7章に分かれており、それぞれタイトルが付いています。
最初が「木樵りの物語」。藪の中で木樵り(きこり)が、金沢武弘という若狭の侍のDシ骸を発見します。
「胸元に傷がある男が、藪の中で仰向けに倒れていた。太刀はなく、縄と櫛が落ちていた」と証言。
旅法師は、事件の前日の昼頃、ガイシャは「馬に乗った女と一緒にいた」ことを目撃。
「女は牟子(むし。平安時代の女性が旅行の際に用いていた布)を垂れていたため、顔は見えなかった。コロされた男は太刀と弓矢を持っていた。あんな強そうな方が、こんなことになろうとは」
盗賊を捉えた放免(検非違使の部下)はこう証言します。
「召し捕ったのは、たしかに多襄丸という悪名高い盗人です。馬から落ちて橋の上で唸っていた。ガイシャの持っていた太刀と弓矢を持っていた。橋の先にはおそらく女が乗っていた馬がいました」
「一緒にいた女とは、金沢武弘の妻である真砂。19歳です。武弘は優しい婿で、ひとサマから恨みを買うようなことはございません。娘は子供の頃から男勝りで勝ち気ですが、これまで武弘以外に男は知りません」と証言するのは、真砂の母親です。
では、容疑者の多襄丸はどう自白したのか。
「女はひと目見て気に入った。夫婦にはうまいこと言って藪の中に誘った。藪の中で、男に猿ぐつわを噛ませて木にくくりつけた。女は小刀で向かってきたが、そんなものはすぐに取り上げて、男の見ている前で事に及んだ。男を殺す気はなかったから、事が済んで立ち去ろうとしたら、女が『このままでは生きていかれないから、どちらか一人がシんで、生き残った方と私が連れ添う』と言い出した」
コろし合いは正々堂々と行われ、多襄丸が勝ちます。が、勝負が終わった頃には、女はどこから逃げてしまったと言います。
うーん、でも騙し討ちなしなしの決闘で、武器を持っている武士がヤられるとは考えにくいのですが。
一方、真砂は、「多襄丸に手ごめにされたあと、痛めた身体を引きずるように夫のもとへ寄ったが、夫の瞳にはさげすみの色が浮かんでいた。あまりのショックに気を失ったあと、目覚めたときには多襄丸は消えていた。夫と一緒に死のうと思い、夫もコロせというので足元に落ちていた小刀で夫を刺した。そして夫の縄をとき、自分もシのうとしたがシに切れなかった」と涙ながらに言いました。
私は、この証言がもっとも怪しいと思っています。
そして、ここが物語らしいところですが、なんと亡くなった被害者・金沢武弘の死霊としての証言もありました。
「くそっ、くそっ、サツ人者め。奴は妻を手籠めにした後、いろいろなテクニックで妻を慰め、妻を離れられなくしやがった。そして、自分の妻になれと言い、妻も了解したが、私はその時ほど美しい妻を見たことはなかった」
それどころか……妻はその前に、夫をコロしてくれと頼んだそうです。
多襄丸がびっくりしている間に、妻は逃げ出し、多襄丸もこれ以上面倒になるのはゴメンだと金沢武弘の縄をほどいて後を追うように逃げます。
そして、残った金沢武弘は、妻の本性に絶望して、自分で命をたったという証言です。
事件そのものは、たしかにアリバイや遺留品などで解明が困難そうですが、たぶんここが真相としたかった可能性が高いでしょう。
お盛んだけど神経質な芥川龍之介先生が描きたかったのは、女性はリアリストである、幻想を抱くと裏切られる、ということではなかったかと私は思っています。
今なら何十人もの警察による現場検証や、指紋やDNAの鑑定などもあるので、簡単に「藪の中」とはならないでしょうけど、人の心は簡単に変わらないから、案外今も動機や経過には似たような事件はあるかもしれませんね。
名作を6作漫画化
昔ありましたよね、法律事務所で働いていた妻が、そこの弁護士と関係して、夫が頭にきて弁護士のアソコをちょん切ってトイレに流してしまった事件。
罪名が単なる「傷害事件」というのも気の毒になあと思いましたが、2人の男の人生を台無しにした女性は、どうせほとぼりがさめたら、また何事もなかったかのように別の男と幸せに暮らすんだろうなあ、なんて寂しく考えたものです。
これが女性作家なら、今度は男がずるい的な話になるのかもしれませんが、いずれにしても芥川先生はそうした「愛とはなんだろう」というような思いを書き留めたかったのかなという気がしました。
■在庫紹介 目録7-103 「(雑誌)新潮 第36巻第1号 大正11年1月号 芥川龍之介「藪の中」 」芥川龍之介 他 1922 ( 大正11年 ) 新潮社 目録送付希望の方はご連絡ください https://t.co/HY1CEf0kzh
— 古書 書肆田髙 (@shoshitakou) September 9, 2023
もちろん、原作では、犯行動機も犯人も、全員の証言がすべて食い違う。聞けば聞くほど分からなくなる描写になっています。
本書は、以下の作品が収録されています。
『風立ちぬ』(堀辰雄)
『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)
『桜の森の満開の下』(坂口安吾)
『吾輩は猫である』(夏目漱石)
『走れメロス』(太宰治)
『藪の中』(芥川龍之介)
それぞれ、単作で1つの書籍にもなっていますが、6作収録のほうがたくさん読めていいと思います。
ずでに他の書籍でご紹介した作品もありますが、『風立ちぬ』や『桜の森の満開の下』などは、まだご紹介したことがないので、また機会を見つけてご紹介できればと思っています。
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