『八甲田山消された真実』(伊藤薫著、山と渓谷社)は、歩兵第5連隊の八甲田山中遭難の真実は美しい不可抗力ではなかったという話です。隠ぺいし、ねつ造されたという「雪中行軍」の真相と真実を、最後の生き証人である著者が驚愕の新事実を指摘しています。
本書の内容
八甲田山の遭難とは、1902年(明治35年)1月、日露戦争に向けて零下40度を超えるロシアの雪原での戦いを踏まえ、寒地訓練を行うことになった日本陸軍第8師団歩兵第5連隊が、青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行事の途中で遭難した事件です。
199名が命を落とし、8名が手足を切断した八甲田雪中行軍遭難事件は、日本史上最大の遭難事故といわれています。
『八甲田山消された真実』(伊藤薫著、山と渓谷社)は、八甲田雪中行軍遭難事件の真相に迫った、青森駐屯経験のある元自衛官・伊藤薫さんの執筆です。
八甲田山の遭難は、猛烈な寒波と猛吹雪による不慮の事故として小説『八甲田山死の彷徨』(1971年、新潮社)や、映画『八甲田山』(1977年、東宝、シナノ企画)にもなりましたが、著者によると、真相は悲しく美しい不可抗力ではなかったという話です。
映画では、寒地訓練の参加を告げられたのが、神田大尉(北大路欣也)と徳島大尉(高倉健)です。
210名の大部隊で神田大尉の部隊は青森から、27名の徳島大尉の部隊は弘前からスタートし、八甲田山ですれ違う計画をたてました。
神田大尉の部隊は12名を残して遭難。徳島隊は全員生還しました。
そして、生還した隊員も結局日露戦争で戦死する、という結末です。
神田大尉(北大路欣也)の「天は我らを見放した」というCMの台詞が当時話題になりました。
そこに描かれたのは、友情と不可抗力と自然の脅威。
しかし、本書『八甲田山消された真実』は、膨大な文献と調査の結果、それを否定しています。
真相は悲しく美しい不可抗力ではなかった
著者は、1964年に最後の生き証人だった小原元伍長が、5連隊の事故報告書を疑わせる内容を証言しましたが、その小原元伍長の録音を入手し、小説とのあまりの乖離に驚き、調査を始めたといいます。
その結果、八甲田山の遭難を、知識不足、訓練不足、調査不足、さらに案内人も不在で、地図も磁石もない道具不足などと指摘。
「訓練できる練度になかった」人災であると断じています。
ではなぜそんな訓練を行ったかといえば、上官のメンツからだったと書かれています。
「誰一人として田代新湯を知らない」「経路がわからなければ遭難するのは当たり前」
「二大隊は穴が掘れず、雪の上で炭を起こすなど、露営に関してあまりにも未熟だった。食糧や燃料があったにもかかわらず、それを活かすことができなかった」
「また、大隊に円匙(注、 旧日本陸軍におけるスコップ)が四十八本ありながら、たった十本しか携行しておらず、見積不十分、訓練不十分だった」
「遭難を決定づけたのは、猛吹雪で進む方向さえわからないのに、部隊を前進させた山口少佐の判断だった」
遭難した5連隊(映画の北大路連隊)は動かずじっとしていれば、反対方向から来て全員生還している31連隊(同高倉連隊)に救助されていたでしょう。
ところが、31連隊が5連隊の遺体を発見した事実は最近まで国によって隠蔽され、しかも記念碑には、5連隊の遭難は天候による災害となっています。
上意下達パーティーの問題性
Amazonのレビューには、著者の軍に対する評価は厳しすぎると書かれているものもあります。
本書に、遭難の真相は隠ぺいし、ねつ造されたと書かれたことで、
「なんだ、北大路欣也と高倉健の友情話は創作だったのか」
と、ショックを受けた人が多かったのでしょう。
しかし、災害による不可抗力か、「知識不足、訓練不足、調査不足」による「人災」かというのは大変重要な違いですから、暴くことにも厳しさにも社会的な公益性はあります。
一方、やはりAmazonにかかれているこのコメントは、手厳しいですが正鵠を射るものだと思いました。
「軍隊という上意下達パーティーの問題性は、一枚岩の統率されたパーティー(かつては大学などでそれが多かった)の問題性と共通する。日本の企業の不祥事や倒産も同じ。八甲田山遭難のリーダーのあり方は、その後の日本を太平洋戦争に導く軍人・政治家の無能さの予兆か。科学的な知識・経験・分析・考え方の欠如」
先日の日航機123便の事故と同じ結論になってしまいますが、
為政者は重要な真実を秘匿することがある
ということを改めて考えさせられました。
以上、『八甲田山消された真実』(伊藤薫著、山と渓谷社)は、歩兵第5連隊の八甲田山中遭難の真実は美しい不可抗力ではなかったという話、でした。
コメント