高楠順次郎ー仏教学者、世界を駆けるー(弘兼憲史、武蔵野大学創立100周年記念事業委員会)。タイトル通り高楠順次郎の生涯と業績を描いた漫画をご紹介します。原作編集は学祖となった武蔵野大学、作画は弘兼憲史&ヒロカネプロダクションです。
これまで、大学の創設に関わった偉人をご紹介してきました。
福沢諭吉、大隈重信、津田梅子。
今日ご紹介する高楠順次郎(1866年~1945年)は、中央学院大学と武蔵野大学の創設に尽力し。現在の『中央公論』のもととなる媒体を作った人です。
日本の仏教学者およびインド学者であり、サンスクリット語の和訳に貢献しました。
ネパールで仏教関連のサンスクリット写本を収集し、その一部が東京大学附属図書館に所蔵されています。
上座部仏教(初期仏典に基盤を置く仏教)は、パーリ語で書かれているのですが、インドの古典語として、ヒンズー教の聖典や学問的な作品、また大乗仏教の聖典も、サンスクリット語で書かれています。
日本の仏教諸派は、大乗仏教ですから、原典であるサンスクリット語(梵語)の和訳なしには、日本の仏教を究めることはできません。
たとえば、仏教の研究には、「阿弥陀仏」の原語はなんだったんだろうというテーマがあるのですが、「アミターユス(無量寿仏)」と「アミターバ(無量光仏)」の、2語の音写が由来といわれており、どちらもサンスクリット語です。
私は語学が大変苦手なのですが、サンスクリット語は避けて通れないので、高楠先生や、その弟子諸先生方の和訳書のお世話になりながら、現在も脂汗をかきながら取り組んでいます。
ただし、高楠順次郎はたんなる学究の徒ではなく、経済活動に関しても前向な人でした。
「お教と算盤」
文豪とアルケミスト 文学全集を読んでいたら、芥川龍之介の追想夏目先生 に、夏目漱石と高楠順次郎のやりとりが出てて ファッッッ!?てなった。高楠順次郎氏は私の母校(中高)の創設者です。やっぱすごい人だったんだなあ。 pic.twitter.com/NWBFzIg9wL
— 檍ゆ。 (@kan_sochan) February 28, 2018
高楠順次郎は、広島県篝村(今の三原市)に、沢井梅太郎として誕生しました。
幼少期から頭が良かった梅太郎は、なんと13歳で小学校の教諭になり、京都の普通学校(今の龍谷大学)からスカウトされます。
京都に、新島襄の同志社大学(キリスト教プロテスタント派)ができたので、浄土真宗本願寺派の龍谷大学としても負けたくなかったわけです。
で、龍谷大学時代に、浄土真宗の信徒で資産家の高楠孫三郎と出会いました。
高楠孫三郎が、娘と結婚したら、留学の金を用立ててくれると言ったので、梅太郎は高楠孫三郎の娘・霜子に婿養子に入り、その際、下の名前も「順次郎」に改名しました。
こんにち、選択的夫婦別姓推進派で、改姓は不便だとか、アイデンティティが壊れるとかハチノアタマとか、文句言ってる人はいるのですが、今回に限らず、これまで見てきたように、過去の偉人で、ペンネーム使用などを含めて、生涯同一の名前だった人のほうが少数です。
社会的背景や、その時時の事情による「選択」で改名することは、なんら特別なことでも恥ずかしいことでもありません。名乗る名前が何であるかは本質ではないのです。
変わることの方が、変わらないことに比べたらおかしいとする思考は、カビの生えた「家制度」のイデオロギーに縛られているからです。
少なくとも現行より、「選択的」の方が「新しい」と考えるのは、そうした現実から誤った意識だと私は思います。
現行制度がいいかどうかは別としてね。
それはともかくとして、お釈迦さま時代の仏教の僧団には、反省会があったのですが、普通学校(龍谷大学)で高楠順次郎は、禁酒と仏教徒の綱紀粛正を目的としてその「反省会」を採り入れ、会の機関誌は今も『中央公論』という商業雑誌として続いています。
ロンドンに留学した高楠順次郎は、本当は金儲け目的だったのですが、留学先で世話になる人に対する建前として、「学問のため」と言い、インド学を学修するためにオックスフォード大学に入ります。
そこで、サンスクリット語を身につけ、帰国後は東京大学で定年までサンスクリット語の講義を行いました。
インド学を含めて海外で本格的に学修した人は少なかったので、通信大臣の秘書官を兼ねた時期もあったそうです。
しかし、それだけでなく、オックスフォード大学時代の同期生だった貴族院議員・南岩倉具威にこう相談します。
「日本は江戸時代の士農工商の名残で、とくにビジネスマンは金儲けばかりを求めるという偏見がある。国力をあげるのに必要なのはビジネスマン。経済を強くするために真のビジネスマンを作りたい」
そして、実学系の「日本橋簡易商業夜学校」を設立しました。今の中央学院大学です。
渋沢栄一が「論語と算盤」なら、高楠順次郎は「お教と算盤」といったところでしょう。
そんな高楠順次郎の人生にも、暗い部分があります。
一男四女を亡くしているのです。
とくに四人もの娘を亡くしたことで、「女子教育」への尽力が生きがいとなり、それが高等女学校の武蔵野女学院の創設に繋がり、戦後、武蔵野女子短大⇒武蔵野女子大⇒武蔵野大学に発展していったのです。
「女子教育」への尽力が平成に結実
【16.03.09】3月の聖語を掲載しました。
我々が努力して成し遂げたものは
そのままで終わりを告ぐべきものと思ふのは間違いである
この後に成すべきものの第一歩である
高楠順次郎 pic.twitter.com/w3MvMWRBKC— 武蔵野大学 (@musashino_univ) March 9, 2016
1980年代の「教育改革」にうまくのった武蔵野大学は、昭和から平成・令和にかけて、もっとも化けた大学と言っていいでしょう。
お台場キャンパスを増設し、国際化、情報化に資する学際系分野や、福祉や看護に関する看護系分野など、時代にマッチした専攻課程を新設。就職状況の良好さが受験生の人気急上昇につながっています。
フリーアナウンサーが何人も出ているので、そういうパイプがあるのかもしれません。
乙葉、渡辺裕太(故・渡辺徹と榊原郁恵の長男)といった人たちの母校でもあります。
従来からの有名大学もいいですが、上昇株の同大学も将来性があります。
英語はジョン万次郎、サンスクリット語は高楠順次郎なくして、日本でそれらの言葉や文化が明治時代に理解されることはなかったでしょう。
こんにちの仏教諸宗派の、理解と研究が進んだことにおいて、高楠順次郎の功績は大きいと思います。
高楠順次郎さん、ご存知でしたか。
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