『耳なし芳一』など収載『まんがで名作 日本の文学 入門編』(山下明彦著、今中陽子監修、角川まんが学習シリーズ)をご紹介します。有名な小説12作品を、作者の紹介や読むべきポイントをまとめた解説文とともに、わずか10ページほどのまんがにまとめました。
『耳なし芳一』は、日本の古典怪談の一つで、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850年6月27日~1904年(明治37年)9月26日)の『怪談』に収録されています。
Copilotは、ラフカディオ・ハーンの生涯を、こうまとめています。
ラフカディオ・ハーンは、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれ、幼少期をアイルランドで過ごしました。
フランスやイギリスで教育を受けましたが、16歳の時に事故で左目を失明しました。
19歳でアメリカに渡り、シンシナティやニューオーリンズで新聞記者として活躍しました。
特にニューオーリンズでは、クレオール文化に深く関わり、多くの著作を残しました。
1890年に日本に渡り、松江、熊本、神戸、東京で英語教師として働きました。
1896年に日本国籍を取得し、松江の士族の娘、小泉セツと結婚しました。
小泉八雲は、日本の怪談や民話を英語で紹介したことで知られています。
代表作には『怪談』や『骨董』があります。
小泉八雲は、日本の伝統文化や風俗習慣に深い理解を持ち、それを英語圏に伝えることで、日本文化の国際的な理解を深めました。
ということで、本作から、あらすじをご紹介します。
平家の怨霊に呼ばれていた芳一
「耳なし芳一は耳にだけお経を書き漏らすのは変なのではないか→僕の体にお経を書いてくれた人は「書き忘れた和尚の気持ちがすごいわかる」と言っていた」https://t.co/aRRWfONTfg
に大注目!話題のまとめをいますぐチェック! 作成者:@atomgn2911— Togetter(トゥギャッター) (@togetter_jp) August 13, 2024
この物語は、盲目の僧侶で琵琶法師である、芳一が主人公です。
芳一は、平家物語の弾き語りが得意で、その演奏は鬼神も涙を流すほどの名手でした。
『#平家物語』は鎌倉時代に成立した日本の軍記物語。京都の貴族社会の中で成立した、平家と源氏との戦い、栄華と没落などを描いています。平清盛ら平家一門が一度は全盛を極めながら、やがて源氏との戦いに敗れて滅ぶさまを平家側に力点をおいて描いています。https://t.co/9wR32UeiLv #平清盛 #源頼朝 pic.twitter.com/w3xyV6v6HE
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) September 7, 2023
ある夜、阿弥陀寺の盲目の僧侶・芳一は甲冑をつけた(と思われる)使いの武者に、「殿様が壇ノ浦の話を演奏してもらいたい」と、どこかに連れていかれます。
芳一はその場所で、宮中の上品な言葉遣いの会話がなされていることを確認し、「身分の高い家」であることを認識します。
そして、「壇ノ浦の戦い」を弾き語ると、万策尽きて8歳の安徳天皇が、外祖母の二位尼(平時子)とともに入水したシーンで、一同が取り乱して泣き叫ぶ悲しみ方に、芳一は驚きます。
「身分の高い家」はたいそう喜び、毎晩演奏を聞かせてほしいと要望します。
ただし、このことは誰にも口外しないように、とも言われます。
芳一はそれを守って、黙って出かけるのですが、寺男がその後をつけていくと、平家の一族の名が刻まれた墓の前で、芳一が鬼火に囲まれ、ベベンべンと一人で弾き語っていました。
慌てた寺男は、住職に報告。
住職が、芳一から事情を聞き出し、「それはまずいな。その人たちの言うことを聞いていたら、しまいには八つ裂きにされてしまうぞ」と警告します。
住職は、芳一の全身にお経を書き込み、「迎えが来ても、返事をしたり動いたりしてはならぬぞ」と言います。
そして、いつもの時間、芳一が緊張して座っていると、鎧武者がやってきます。
しかし、お経を書いた全身は見えません。
ところが、耳だけはお経を書かなかったために、武者は芳一の耳をちぎって持ち帰ってしまいました。
ここの不思議な事件の後、芳一は有名になり、「耳なし芳一」と呼ばれるようになった、という話です。
なぜ般若心経を書いたのか
耳なし芳一(若い子知ってる???) pic.twitter.com/DZOf4DJzRR
— あんこは正義???? (@yuuta_con) August 23, 2024
この物語は、江戸時代後期の怪談集『臥遊奇談』に収録された話が元になっています。
芳一に書いたお経が、般若心経というのは有名な話ですが、どうして般若心経が「お守り」になったかというと、大乗仏教の基本である「空の思想(色即是空空即是色)」が詠われているからだと思います。
すべての物質的なもの(色)は実体がなく(空)、逆に実体がないこと(空)がすべての物質的なもの(色)を形成しているという意味です。
たとえば、私たちは常に新陳代謝していますから、昨日どころか、1秒前の「自分」とも違ってますよね。
環境団体がうるさいプラスチックだって、変化する時間がかかるだけで、いずれは空気や熱などにあたり組織は壊れています。永遠ではありません。
ですから、私たちが見たり触れたりする有機物・無機物などすべてのものは、実際には恒常的な実体を持たず、変化し続けるものであるということです。
つまり、芳一という僧侶の恒常的な実体などはないのだ、武者よ、だったらあんたいつの芳一を探しているんだ、ということをお経で問うことで、武者は芳一を確認できないようになるというわけです。
面白いお経の使い方だなと思いますが、だったら最初から住職も一緒に待機して、隣でお経を読んで退治できなかったのか、という気もしないではありません。
それと、マジレスすると、阿弥陀寺で般若心経は読みませんからね。
阿弥陀仏を本尊とする浄土教は、浄土宗の一部を除くと、般若心経を読んだり、写経したりはしません。
どうせなら、わかりやすく「般若寺」とでも名付ければよかったと思いますが、ここは小泉八雲さん、画竜点睛を欠きましたね。
小泉八雲作品で、印象深いものはありますか。
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