松本清張などをとりあげた『遅咲き偉人伝』(久恒啓一著、PHP研究所)をご紹介します。人生後半から頭角を現しスターになった人々を論考します。長寿社会は遅咲きの時代。本書で取り上げられている遅咲きの偉人たちの生き方、仕事ぶりは大いに参考になるでしょう。
遅咲き偉人伝(久恒啓一著、PHP研究所)は、文字通りある程度歳を取ってから頭角を現した人たちの話です。
本書で取り上げられている偉人たちは以下の通りです。
【多彩型】松本清張・森繁久彌・与謝野晶子・遠藤周作・武者小路実篤
【一筋型】牧野富太郎・大山康晴・野上弥生子・本居宣長・石井桃子・平櫛田中
【脱皮型】徳富蘇峰・寺山修司・川田龍吉
【二足型】森鴎外・新田次郎・宮脇俊三・村野四郎・高村光太郎
〇〇型、というのは詳細は本書で確認していただくことにして、枚挙された名前を見ると、「遅咲き、なるほどなあ」と思いますね。
今日は、その中から松本清張(1909年12月21日~1992年8月4日)をご紹介します。
松本清張は、日本を代表する作家の一人です。彼の作品は、現代小説、推理小説、歴史小説、ノンフィクションなど多岐にわたります。
Copilotに、代表作を尋ねてみました。
松本清張の有名な作品は数多くありますが、特に以下の作品が広く知られています:
1. 点と線(1958年)
– 時刻表トリックを駆使した推理小説で、社会派推理小説の代表作です。何度も映像化されています。
2. 砂の器(1961年)
– 複雑な人間関係と過去の秘密を描いた作品で、映画やドラマとしても人気があります。
3. ゼロの焦点(1959年)
– 失踪事件を追う中で明らかになる人間ドラマが魅力の作品です。
4. 眼の壁(1958年)
– 企業犯罪をテーマにした社会派推理小説で、緻密なプロットが特徴です。
5. 或る「小倉日記」伝(1953年)
– 芥川賞を受賞した作品で、松本清張の作家としての出発点となりました。
これらの作品は、松本清張の多彩な才能と社会問題への鋭い洞察を示しています。他にも多くの短編やノンフィクション作品がありますので、興味があればぜひ読んでみてください。
「1」が上梓されたのが49歳。たしかに遅咲きかもしれません。
ということで、詳細見ていきます。
「時間との戦い」という気持ちが名作につながったか
松本 清張の言葉
(好奇心の根源とは?という問いに)疑いだね。体制や学問を鵜呑みにしない。上から見ないで底辺から見上げる pic.twitter.com/6G5vrX5RVE
— アマデウス (@GyyARm5pyYHddh0) August 26, 2024
本書には、「命と時間との競争だ」という見出しが就いています。
作家活動は、実働40年。遅咲きでも、83歳まで生きると40年時間があるんですね。
著書は700冊。作品は1000編。
しかし、テキトーな雑文ではなく、取材や一次資料の調べ物は妥協がなく緊張感があったと言います。
本人は、「(自分は歳を取ってからのデビューなので)時間がない。他の作家がゴルフなどをやるのは信じられない」と常々語っていたそうです。
松本清張は、福岡県企救郡板櫃村(現在の北九州市小倉北区)で生まれました。
文学への関心は早くから芽生え、芥川龍之介や菊池寛の作品に影響を受けました2。
ただし、幼少期は貧困の中で育ち、様々な職業を経験しました。
15歳電気会社の給仕、19歳印刷会社の見習い職人、24歳オフセット印刷所見習い、29歳朝日新聞版下係、34歳正社員、35歳第二十四連帯入隊、39歳朝日新聞広告部意匠係、そして41歳で『週刊朝日』の懸賞小説に三等入選、44歳で芥川賞受賞、40代後半から本格的な作家活動に入りました。
1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞し、一躍注目を浴びました。
40年もひとつの仕事をすれば、そんなに短くはないと思いますが、それはあくまで結果です。
1950年頃の日本の平均寿命は、男性が59.57年、女性が62.97年でした。
当時の松本清張とすれば、「60歳で死んだら15年しか書けないじゃないか」と思って焦っていたんでしょう。
逆に、その切羽詰まった気持ちが、作品の質に奏功したのかもしれません。
松本清張は、推理小説だけでなく、歴史小説やノンフィクション作品でも高い評価を受けました。
特に『日本の黒い霧』(1960年)や『昭和史発掘』(1964年~1971年)は、戦後日本の社会問題や歴史を鋭く描き出しています。
作品は映画やドラマにも多く映像化され、多くの人々に親しまれています。
松本清張はその生涯を通じて、常に新しいテーマに挑戦し続け、幅広い読者層に支持されました。
松本清張の作品は、今なお多くの人々に読み継がれ、その影響力は色褪せることがありません。
60歳で始めても30年できるかもしれない
以前、高野山大学が、一部募集停止を決めたことをご紹介したことがあります。
高野山大学の定員割れが地味ですが話題になっています。密教学科という「つぶしのきかなさ」と、いわゆるFラン大学であることがネックらしい。でも、大学院の中では唯一、試験なしの小論文のみで選考、10月入学も受け付けてくれる「いい大学」なのです。https://t.co/EBkXcEOt1O #高野山大学 #大学院 pic.twitter.com/rMx2Ccmjgi
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) November 9, 2023
そのとき私は、「それは残念だ。Fランでも、密教の学位が取れる日本で唯一の大学なので、よその大学では代わりができない。自分も入りたいと思っていた」「大学院は試験がないから、学業から離れていた人が復帰するのに大変ありがたい」と書きました。
ところが、それに対して、「歳を取ってから大学院なんてやめた方が良い。補助金の無駄遣いだ」というメッセージを、匿名で送りつけてきた人がいました。
そうでしょうか。
大学院は、試験のあるなしに関係なく、入学させるかどうかは学校側が決めます。
つまり、「補助金の無駄遣い」かどうかは、補助金を受ける大学側が判断することです。
それはともかくとして、自分の寿命がいつまでか、なんて誰もわかりません。
だから、自分の心の中で「定年」なんか作らないで、自己実現を目指す姿勢はたとえ何歳でも持ち続けていたいですね。
これまで見てきたように、高橋是清、大隈重信、北里柴三郎……60歳過ぎてから、歴史の教科書に紹介される爪痕を残した偉人もいます。
60歳で新しい世界に入って、「もう60だし」なんていいながら、結果的に30年以上継続できるかもしれません。
第二、第三の人生設計は考えておられますか。
以上、松本清張などをとりあげた『遅咲き偉人伝』(久恒啓一著、PHP研究所)は、人生後半から頭角を現しスターになった人々を論考、でした。
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