もく星号墜落事故は、1952年(昭和27年)4月9日に起こった航空事故。佐藤まさあきさんが『不死鳥は飛ばず』で漫画化しました。佐藤まさあきさん自身が取材を重ねて事件の全容を明らかにした『実録昭和猟奇事件6』(グループ・ゼロ)に収録されています。
もく星号墜落事故(もくせいごうついらくじこ)は、1952年(昭和27年)4月9日に起こった航空事故です。
大阪を経由し福岡に向かう予定だった日本航空の301便(マーチン202型機)、通称もく星号というプロペラ飛行機が、伊豆大島に墜落しました。
戦後の日本の民間航空史上、最初に起こった事故ですが、現在なお原因不明の未解決事件です。
『実録昭和猟奇事件6』の『不死鳥は飛ばず』では、唯一人の女性搭乗者といわれた小原院陽子さんを事故の鍵を握る人物として描いています。
もく星号墜落事故とはなんだ
1952年(昭和27年)4月9日午前7時34分、大阪経由福岡行のマーチン202型機、通称もく星号が、乗客33名、乗務員4名を乗せて、羽田空港を離陸しました。
機長は、アメリカ人のアーネスト・スチュワード36歳。
約8000時間の飛行時間を持つパイロットです。
副機長は、同じくアメリカ人の、レーマンド・クレベンジャー31歳。
こちらも、約4900時間の飛行実績がありました。
当時の日本は、戦後のアメリカ軍占領下にあり、日本航空は営業面のみを担当。
航空機の整備と運用は、ノースウエスト・オリエント航空に運航を委託していたのです。
航空管制官も全てアメリカ人でした。
ただし、事務長は関山哲雄(36)、客室乗務員は権田節子(36)と日本人が担当しました。
乗客には、三鬼隆八幡製鉄社長や、労働組合書記長、森直次自由党事務局長、漫談家の大辻司郎などの名前もありました。
当日は、暴風雨と濃霧という悪天候で、東海地方から伊豆半島にかけて、地表6000メートルまで雨雲が垂れ込めていました。
出発前に、管制官は「飛行高度6000フィート、館山通過後10分後には高度2000フィート」と指示を出しました。
もく星号は、本来なら羽田空港離陸後、すぐに6000フィート(1828.8メートル)まで上昇するはずでしたが、この日は米軍機が10機以上付近を飛行していたので、高度を下げるように指示していたと思われます。
が、アーネスト・スチュワード機長は、「羽田離陸後、高度2000フィートを10分維持してから上昇」と訂正します。
館山まで2000フィートを維持すると、2474フィートの三原山にぶつかってしまうからです。
そこで、管制官は、館山ではなく羽田出発から10分後まで2000フィートを維持して、その後6000フィートまで上昇と訂正します。
この指示を受けて、午前7時57分にはもく星号から、「館山通過、高度6000フィートで雲中飛行、8時7分大島上空予定」との報告が管制官に入りました。
ところが、わずか2分後の午前7時59分頃、もく星号は伊豆大島上空で消息を絶ったのです。
当時は、フライトレコーダーもボイスレコーダーもなかったため、その2分間に何があったのかはわかっていません。
午前11時には、海上保安庁が巡視艇を出港。
東京湾、伊豆半島、伊勢湾方面の探索を開始しました。
午後3時には、アメリカ空軍横田基地から名古屋航空保安所に、もく星号が静岡県舞阪沖で遭難しているとの報告を受け、航空庁に伝えられます。
つまり、日本の機関ではなく、アメリカ占領軍のほうが、先に遭難を知っていたということです。
ところが、悪天候による濃霧のため、海上保安庁の巡視船や、救援機は、もく星号を発見できませんでした。
いったんは、静岡県警にアメリカ軍が舞阪沖上で同機体を発見して「全員救助」という情報があったのですが、後にその事実は確認されませんでした。
翌10日の8時25分に、捜索活動を行っていたてんおう星号(ダグラス DC-4)によって、伊豆大島の三原山噴火口の東側1Kmの御神火茶屋付近の山腹に、もくせい号が墜落しているのが発見。
乗客・乗務員37名全員死亡が確認されました。
いったんは救助したかのような米軍からの不可解な情報と、墜落原因など、事故に謎が残りました。
「航空管制か操縦者のミス」ということで片付けられていますが、調査はアメリカ軍が行っているため、日本は未だにこの事故で真相に接近できずにいるのです。
『不死鳥は飛ばず』で描いた「誤報」の背景
佐藤まさあきさんの『実録昭和猟奇事件』(グループ・ゼロ)は、帝銀事件を描いた『劇画 帝銀事件』が第4巻に収録されていることをご紹介しました。
今回のもく星号墜落事故は、第6巻に『不死鳥は飛ばず』というタイトルで収録されています。
今回は「実録」とついていません。
ただ、モデルは存在します。
唯一人の女性搭乗者といわれた小原院陽子さんです。
地元の郷土史本に「もく星号事件」(1952年)で“ダイヤの女”として語られる小原院陽子の写真が。初めて顔を見た……。彼女が主人公となった漫画「不死鳥は飛ばず」(佐藤まさあき)とはえらい違いだ。 http://t.co/DcNdBsGPzJ
— 内田名人 『超ファミ漫』発売中 (@tuyama_30) July 16, 2014
戦争が終わり、貴族院議員の陸軍中尉が割腹自殺。
母親も首を吊りましたが、「私は生き抜いてみせる」と決意したその娘が主人公の小原院陽子さんです。
娘は、連合国軍の幹部に近づき、体を張って復讐しようと考えます。
前述のように、もく星号墜落事故は、いったんは「全員救出」と報じられたのに、実際には全員死亡していました。
なんと、ある新聞には、搭乗者の一人だった漫談家、大辻司郎さんの事故体験の談話まで発表。
誤報というより、たんなる捏造記事まで作られたのです。
なぜそのようなことになったのかを、小原院陽子さんをキーパーソンとして解き明かしています。
詳細は、本書をご覧ください。
『実録昭和猟奇事件6』(グループ・ゼロ)は、マンガ図書館Zで全巻無料で読むことができます(2022年2月24日現在)。
また、AmazonKindleUnlimitedでも読み放題リストに入っています。
以上、もく星号墜落事故は、1952年(昭和27年)4月9日に起こった航空事故。佐藤まさあきさんが『不死鳥は飛ばず』で漫画化しました。でした。
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