『不幸なスター・有名人レコジャケ・厳選100人OTAKARAファイル』(鹿砦社)をご紹介します。せっかくスターとしてのスポットライトを浴びるところまでたどり着きながら、ケガ、事故、自殺、病気など不幸を経験した100人のヒット曲レコードジャケットです。
不幸なスターに共通するものは……
「スターに憧れる」のは今も昔も同じです。
自分のレコード(CD)が出せて、ファンから愛されて、テレビに出られて、そのうえ富と名声を得られる。
「そんなスターが羨ましい」と、ごく平凡な一般人がそう思っても不思議はないでしょう。
本書『不幸なスター・有名人レコジャケ・厳選100人OTAKARAファイル』は、いったんはさこに到達した憧れられる存在で、しかも人生を謳歌していた「選ばれし人たち」100人のレコードジャケットです。
ただし、この方々は、ひとつの共通項があります。
それは、事故死、自殺、病死などで、志半ばの夭逝をしていることです。
しかも、人としての摂理というより、有名人であるがゆえの不幸・不運としてそれらを経験しているといっていいでしょう。
したがって、本書は、成功と幸福の象徴のようなレコードジャケットの裏に、彼らの苦悩と葛藤、凄まじい生き様が描かれていることを読む方にお伝えすることとなっています。
「はじめに」より引用します。
病気、事故、災害、自殺、事件、怪我、詐欺被害・・・一般人と同じように運命的に免れないものから、有名人であるがゆえに苦しめられた事件まで、ここには選出した100人の有名人、芸能人がリリースしたレコードジャケットとともに、人が避けられない「不幸」が綴られている。
かつて「レコード」というものが、人々の夢と希望を乗せた円盤であったころ、そのころの輝いていた有名人たちの笑顔とともに、ここには様々な人間の生き様が結集しているのである。
早逝ですから、テーマとしては暗いかもしれませんが、人として避けて通ることのできないテーマです。
構成
では、本書から何人かを「立ち読み」的にご紹介しましょう。
自殺
日本人の自殺率は、2009年現在では一年間に3万人を超え世界的に見てもとても高い。
芸能人・有名人の中でも自ら命を絶ってしまう人が毎年のように出てきています。
「田宮二郎『酒は大関』」
【A面タイトル】酒は大関
【B面タイトル】ワンカップ大関
【歌手名】田宮二郎、加藤登紀子、コーラス(ザ・シャデラックス)
【作詞者】A面:小林亜星 B面:淡の圭一
【作曲・編曲者】A面:小林亜星 B面:泡の圭一
【レコード会社】田宮企画・制作
【リリース年月日】1970年
【ジャケット体裁】二つ折り 表カラータイトル&写真、裏モノクロ歌詞掲載、裏カラー写真掲載
【備考】酒造メーカー大関のCMソング
田宮二郎(1935~1978)俳優、司会者。妻は元女優の藤由紀子。長男は俳優・テレビレポーターの柴田光太郎。次男は俳優の田宮五郎。代表作は、映画「悪名シリーズ」・『白い巨塔』、テレビドラマ『白い巨塔』、クイズ番組の司会者として『クイズタイムショック』などがある。このレコードは酒造メーカー「大関」のテレビCM曲。『酒は大関 心意気』がキャッチコピーのCMは田宮出演が最初で、6本のCMに出演し、同曲を自らも歌った。1970年代に『白い巨塔』をはじめ、俳優として大成功を収めたことから、実業家へ転身を試み、自らを「日本のハワード・ヒューズになる」と公言し始め、ゴルフ場やマンション経営に乗り出したが、失敗する。1977年には日英合作映画『イエロー・ドッグ』の製作・主演も行ったが不入りのために失敗し、それも積み重なって多額の借金を抱えてしまう。そのころから精神的にも追い込まれ、躁鬱病と診断される。その後も借金返済のためにいかがわしいビジネスに手を染め、さらに借金を重ね執拗な債権取立てに追い立てられる生活の中、『白い巨塔』がテレビドラマ化される話がきて、神経質なまでにその仕事に打ち込み始める。ドラマを取り終え、『白い巨塔』の放送があと二話となった1978年12月28日、田宮は家族と別居して一人で住んでいた港区元麻布の自宅で猟銃自殺を遂げた。享年43歳。死後も放送された『白い巨塔』は注目を集め、高い視聴率を獲得した。
「岡田有希子『哀しい予感』」
【A面タイトル】哀しい予感
【B面タイトル】恋人たちのカレンダー
【歌手名】岡田有希子
【作詞者】A面:竹内まりあ B面:竹内まりあ
【作曲・編曲者】A面:竹内まりあ(編曲:松任谷正隆) B面:竹内まりあ(編曲:松任谷正隆)
【レコード会社】キャニオンレコード
【リリース年月日】1985年7月11日
【ジャケット体裁】袋とじ表カラー印刷のり付け 表カラータイトル&写真、裏カラー写真、内モノクロ楽譜掲載
岡田有希子(1967~1986)80年代を代表するアイドル歌手の一人だった。1983年にオーディション番組『スター誕生!』の第46回決戦大会チャンピオンとなり、1984年4月21日に『ファースト・デイト』でデビュー。愛くるしい童顔とかわいい声、均整のとれたスタイルと引っ込み思案な雰囲気で、多くのファンを魅了した。愛知県名古屋市出身であり、当時近隣にいた筆者は彼女の祖母が経営していた洋食のレストランの客として通ったことがあった。そのおばあさんが、「今度、うちの孫が歌手としてデビューすることになったんですよ」と、そのデビュー前のブロマイドを見せてくれたことがあった。そこにはあまりに初々しく儚げな美しい少女が写っており、「この子なら絶対に売れますよ」と断言したのを覚えている。それは彼女がまだ中学生だったころだ。しかし、その後、おばあさんは顔を曇らせ、「でもね、この子はとてもおとなしくてやさしい子なんで、芸能界なんかで生きていけるか、私は心配でたまらないんですよ」とつぶやいたのが印象的だった。そのおばあさんの心配が現実になってしまったことに、後の筆者は深い哀しみに襲われた。彼女が自殺する前年にリリースされたこの「哀しい予感」というタイトルが、まるで彼女の死を暗示するかのように思われた。1986年4月8日、自宅マンションで手首を切りガス自殺未遂。治療の直後、所属事務所であるサンミュージックが入居しているビルの屋上から飛び降り自殺した。享年18歳。
夭逝
惜しまれて夭逝してしまった才能ある有名人たちも枚挙されています。
「美人薄命」とは本当だと思わざるを得ません。
「夏目雅子『Oh!クッキーフェイス』」
【A面タイトル】Oh!クッキーフェイス
【B面タイトル】ディスコ・ラブ
【歌手名】ティナ・チャールズ
【作詞者】A面:ビドゥー B面:ビドゥー
【作曲・編曲者】A面:ビドゥー(編曲:ビドゥー) B面:ビドゥー(編曲:ビドゥー)
【レコード会社】CBSソニー
【リリース年月日】1977年
【ジャケット体裁】表カラータイトル&写真、裏モノクロ歌詞掲載、裏モノクロ写真掲載、裏曲と歌手解説掲載
【備考】カネボウ化粧品夏のキャンペーンテーマ曲
夏目雅子(1957~1985)(写真・向かって右下)女優。1976年、日本テレビドラマ『愛が見えますか』のオーディションで486人の応募者の中からヒロインに選ばれ、本名(小達雅子)で女優デビュー。1977年、カネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり、このレコードの「クッキーフェイス」のCMで注目を集め、この時、夏の注目の目玉商品になることで、芸名を小達雅子から夏目雅子へと改名する。小麦色で健康的、大胆なセミヌードで話題になる。その後、アイドル女優から脱皮して、本格的な大女優の道を歩み、1978日本テレビ系『西遊記』では三蔵法師役を好演したり、1982年、『鬼龍院花子の生涯』の大胆ベッドシーンや、台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語となるなど、女優としての道を突き進んでいた。1984年、作家伊集院静と結婚。19歳のときにブレイクのきっかけを作った「クッキーフェイス」のCMディレクターが伊集院静であった。だが、幸せもつかの間、1985年2月14日、舞台『愚かな女』の公演の最中に体調不良を訴え、翌2月15日慶應義塾大学病院に緊急入院。急性骨髄性白血病と診断され、約7ヶ月という長い闘病生活を送り、一時は回復の兆しも見せながら、1985年9月11日、抗がん剤の副作用等が原因とみられる肺炎を併発し、突然逝去。27歳の若さだった。
全15章の不幸
このような構成で、各章合わせて合計100人のスターたちが紹介されています。
第一章・自殺
第二章・自殺未遂
第三章・夭逝
第四章・孤独死
第五章・急死
第六章・がん死
第七章・殺傷沙汰
第八章・殺人事件被害
第九章・レイプ被害
第十章・誘拐・拉致事件被害
第十一章・失踪事件
第十二章・暴漢事件被害
第十三章・転落事故
第十四章・不慮の災害・被害
第十五章・金銭トラブル被害
必ずしも亡くなった人だけではありませんが、「不幸」という共通項でくくれます。
以上、『不幸なスター・有名人レコジャケ・厳選100人OTAKARAファイル』(鹿砦社)は不幸を経験した100人のレコードジャケット集、でした。
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