「盆踊り」の季節になりましたが、最近は「盆踊り」と呼ばずに「夏祭り」に名称変更していると取り沙汰されています。踊り自体が変わるわけでもないのに、なぜ行事名だけを変えるのかというと、宗教的な行事を自治体が開催するは好ましくないからとか。
先日、気になるポストが目に入りました。
最近“盆踊り”が“夏祭り”と言い換えられる例が全国で増えているそうだ。役所が関与する盆踊りは“お盆”が宗教的との理由で変更されるらしい。「こうやって段々と日本的なものが失われていきます」と一色正春氏。左翼にネジこまれたら何でも聞くお役人。“あんた何言ってるの?”と一蹴すればいいだけの話。… https://t.co/Unp56nGZVy
— 門田隆将 (@KadotaRyusho) July 25, 2024
失礼ながら、ポスト主が「保守」を自他ともに認める門田隆将さんなので、政治的意図があるかもしれないと思い、Copilotに確認してみました。
はい、確かに「盆踊り」を「夏祭り」と言い換える風潮があります。特に地域や個々の人々によって、夏の祭りを指して「盆踊り」と呼ぶことがあります。ただし、正確な名称は地域や祭りによって異なるため、注意が必要です。
否定はしていません。ほかにも、そういう例はありそうです。
すると、今度は門田さんのポストにリプライが。
これは今に始まったことではなく、忌まわしき政教分離の履き違えからの国柄破壊。豊橋でも招魂祭が豊橋まつり(漢字「祭」はNG)になり、氏神様の秋季例祭&神事のはずの手筒花火が切り分けられて、神社例祭&〇〇町秋まつり花火大会になったという。 #大切なものって当たり前にあるものじゃない #豊橋 https://t.co/fcrcToCPAS
— 古山よしはる(豊橋市/暮らしと絆を守る。郷土の誇りと価値を高める。) (@furuyama4486) July 26, 2024
このポストのキーワードは、「政教分離」です。
つまり、特定の信仰に基づいた行事を、自治体が主催するわけには行かない、という言い分から、「盆踊り」や「招魂祭」という名前が消えてしまったというのです。
今度は、Copilotに、「「盆踊り」を「夏祭り」と言い換えることが政教分離になるの」か確認してみました。
「盆踊り」を「夏祭り」と言い換えることが政教分離にはなりません。実際には、国や自治体が主体となり、公共工事の地鎮祭や災害・事故の犠牲者を追悼する慰霊祭を行う際にも、それらが社会的儀礼の範囲であれば、政教分離違反ではありません。盆踊りは、先祖供養という意味合いのほかに、地域交流や夏祭りのイベントとして楽しまれています。
ということです。
そもそも、実質的な「祭り」自体はそのまま開催するのに、開催名称だけ「非宗教」にしても意味ないですよね。そういうのをおためごかしというのです。
由来は仏教の「念仏踊り」
盆踊りは、平安時代に流行した「念仏踊り」が由来とされています。
念仏踊りは、仏教を広めるために「空也上人(くうやしょうにん)」が考案したものです。
空也上人は、仏教の堅苦しく難しいイメージを払拭しようと、念仏に節を付け、歌いながら布教活動していました。
念仏ですから、もとは浄土教です。
空也上人は、観想を伴わず、ひたすら「南無阿弥陀仏」と口で称える称名念仏(口称念仏)を日本において記録上初めて実践したとされ、日本における浄土教・念仏信仰の先駆者と評価されます。
念仏踊りと「お盆」が組み合わされて、「盆踊り」になったのですが、空也上人は別に「お盆」用に踊ったわけではありません。
そもそも、「お盆」とは何でしょうか。
「お盆」は仏教宗派で様々な考え方
「お盆」というのは、かえってきたご先祖の霊をお迎えして供養し、ふたたび送り出す日本特有の風習です。
なぜ「日本特有」かというと、そもそも釈迦仏教では「霊魂」の存在は認めていないからです。
日本に伝わった大乗仏教の一部が、追善供養という民間信仰の行事を取り入れて、「お盆」という行事が生まれたのです。
「一部」と書きましたが、空也上人の信仰する浄土教(浄土宗や浄土真宗など)自体、そもそも「お盆」の考え方が違います。
浄土教(浄土宗や浄土真宗など)は、亡くなるとすぐに成仏し、阿弥陀仏の浄土に往生すると考えられています。
そのため、先祖の霊が特定の期間に戻ってくるという概念はありません。
浄土真宗では、お盆は「歓喜会(かんぎえ)」と呼ばれることもあり、先祖や故人を供養するのではなく、彼らが縁となって念仏の教えに出会えたことを喜ぶ日とされています。この期間には、阿弥陀如来の教えに触れる機会として法要が行われることが多いです。
浄土真宗では追善供養を行わず、迎え火や送り火、精霊棚の飾り付けなども行いません。代わりに、お墓参りや仏壇の飾り付けを通じて、仏様との縁を深めることが重視されます。
つまり、浄土教(浄土宗や浄土真宗など)にとって「お盆」というのは、故人供養ではなく、自分が仏門と向き合う日、という行事なのです。
特定の宗教的教えがないのに「政教一致」?
いろいろまわりくどく書きましたが、結論を述べます。
1.「お盆」というのは、仏教というプラットホームを借りて発した民間信仰である
2.「盆踊り」は、本来「お盆」とは別の意味でおこなれていた「念仏踊り」を「お盆」と組み合わせた
ということです。
つまり、もとの行事はたしかに仏教からスタートしていますが、結論としての「盆踊り」に仏教的な意味は特定できません。
仏教のどの宗派も、「盆踊りとはわが宗派の教えだ」と言ってるわけでもないし、言えるわけもないということです。
仏教の影響を受けた、日本の昔の民間の人々が自然発生的に行った行事ですから、国や自治体がその名で開催したからと言って、政教一致にはならないでしょう。
いったい、「盆踊り」を開催したところで、いかなる宗教的狙いがあるというのか。
つまらない言葉狩りです。
みなさんは、いかが思われますか。「盆踊り」という呼び方について。