人生は「生まれ(遺伝)」が大事か「育ち(環境)」が大事かというテーマの記事が話題です。「生まれと育ちはどちらが重要なのか」脳科学者が出した最終結論、という話がトレンドに入っていました。中野信子さんと内田也哉子さんの対談形式の記事です。
要するに、生まれ(遺伝=DNA)と育ち(環境)はどちらが重要なのか、たとえば、頭の悪い親から生まれても秀才になれるか、貧乏な家庭で育っても金持ちになれるか、といった話です。
記事は、遺伝だけではすべては決まらない、としています。
私は、「遺伝」というよりも、「ほしのもと」の影響によると思います。
ラットでは「すべてが遺伝で決まるわけではない」
もと記事は、プレジデントオンライン 2021年4月19日 9時15分更新のものです。
内田也哉子・中野信子『なんで家族を続けるの?』(文春新書)の一部を再編集したものだそうです。
あっという間に同サイトの人気記事の一番上に来ていました。
脳科学者の中野信子さんと、エッセイストの内田也哉子さんの対談形式で構成されています。
「生まれと育ちはどちらが重要なのか」脳科学者が出した最終結論 すべてが遺伝で決まるわけではない #POL https://t.co/CqHSS0kysr
— 石川良直 (@I_yoshinao) April 19, 2021
それによると、内田也哉子さんは、「血のつながりから解放されたいという思いもある」から、「「血縁」と「生まれたときからずっと共有してきた時間」というものは、価値を比べるのも変だけれども、人間の脳内ではどう整理されるのかなと」いう質問をしています。
つまり、人間のアイデンティティは、「生まれ(遺伝)」か「育ち(環境)」かという話のようです。
それに対して、中野信子さんは、「ラットのストレス耐性の実験」を例にひき、「育ててもらったお母さんの影響が大きい、接した時間のほうが大事」、つまり、「生まれ(遺伝)」よりも「育ち(環境)」が大事だと述べています。
さらに、ラットの実験によると、
- すべてが遺伝で決まるわけではない
- 知性を司る大脳新皮質は主に母側と考えられています。内臓などの、他の身体の部分はお父さん。情動の部分もそうかもしれない。
といったことが語られています。
これがまとめサイトです。
【脳科学】「生まれと育ちはどちらが重要なのか」脳科学者が出した最終結論[中野信子(脳科学者)・内田也哉子] [すらいむ★]
https://t.co/uqTZbl6Okb pic.twitter.com/Oifbdrtvor— 石川良直 (@I_yoshinao) April 19, 2021
主なコメントを引用します。
2名無しのひみつ2021/04/19(月) 11:03:26.72ID:nAkM6oPd>>4
野いちごをどんなにいい環境で育てても
あまおうにはならない19名無しのひみつ2021/04/19(月) 11:19:21.08ID:JXteqCpW
排他的なものでも無いのになんで対立構造にするのか意味不明
非科学的で感情的な切り口自体が不自然
アホな読者向けなんだろうけど対象も対談も登場人物が全て女のアホ記事でした~23名無しのひみつ2021/04/19(月) 11:32:55.56ID:fF35GirW
ふむ
結局どっちも大事って事か(´・ω・`)27名無しのひみつ2021/04/19(月) 11:36:31.43ID:i0skIV17
希林と裕也の子供って地獄だったはず血縁は否定したいんだろ30名無しのひみつ2021/04/19(月) 11:37:41.61ID:LNRhIm3/>>72
分けようとしても自動的に関連してしまう要素だからな
良い家の子と貧乏な家の子が新生児の時に取り違えで
そのまま育てられた例とかそんなに豊富なデータ無いだろ46名無しのひみつ2021/04/19(月) 12:31:21.89ID:qk+H/X6Q
両方必要だろ
でもって環境は親の知能に左右されるから
つまりはなから先祖代々の遺伝によってすべてが決定づけられているということになる64名無しのひみつ2021/04/19(月) 14:12:50.38ID:iatz4BAV
良い生まれでもDQNは生まれるし
貧困家庭でも天才は生まれる
偶然性こそ至上69名無しのひみつ2021/04/19(月) 14:46:39.88ID:bBobOPiD>>73>>96
今どき、親はめちゃくちゃ頭は良いが、家が貧乏なんて、普通は無い。
その逆に、家はめちゃくちゃ裕福だが、親はバカ、なんてのも無い。
生まれ(遺伝)が良ければ育ち(環境)も良いのが普通。
この記事を見る限り、ちっとも「最終結論」になってないんですけどね。
失礼ながら、「19」など一連のツッコミコメントの通りです。
ただ、毒親に悩む人、逆に子育てで迷う人などが、人生は「生まれ(遺伝)」か「育ち(環境)」か、ということを知りたいのかもしれません。
人生は必然と偶然
記事は、「生まれ(遺伝)」か「育ち(環境)」かとしています。
コメント「30」にもある通り、それらは分けられるものではないと私も思います。
そもそも、「生まれ」は「遺伝」という狭い捉え方ではなく、もっと広く「ほしのもと」という捉え方をしないと、人間の人格反映の因子を正しく見ることはできません。
たとえば、同じ親のもとに生まれたとしても、その親が不幸な身の上出身なのか、もともと身分が高いとされてきた家柄なのか、毒親か、そうでないかなどの違いで、子の人格や人生は間違いなく変わってきます。
つまり、脳だの遺伝だのによる能力が、いかなる価値観のもとで発揮されるかで、人間の人生はかわってきます。
ラットの脳みその解剖だけやってても、そういうことはわからないですよね。
もちろん、一部の病気は遺伝によって起こりやすとされているので、遺伝そのものが人生に直接の影響を与えることもありますが。
私は、人生は「ほしのもと」が大前提だと思います。
「ほしのもと」というのは、「遺伝」もありますが、両親・親類含めた一族の文化水準とか社会的地位とか人格といった「環境」も含まれます。
そういう意味で、コメント「46」の通り、「生まれ(遺伝)」と「環境」の対立で考えて、「さあどっちでしょう」とする当該記事は問題の立て方がおかしいと思います。
人生には、「生まれ(遺伝)」も「環境」も「両方」関わってくるのです。
たとえば、脳の構造がどうだろうが、旧家の跡取りや財閥の御曹司として生まれたか、極貧で両親は喧嘩ばかりの家に生まれたかでは、考え方も人生も違ってきて当然でしょ?
様々な「ほしのもと」の中で、人は「よし、世間を見返してやる」と思うか、「まあなりゆきの人生でいいさ」と思うかは、その時の人や書物との出会いや経験などによりますし、「見返してやる」と思ったところで、それがうまくいくかどうかはさらに偶然の因子によります。
ただ、それはすべて、まったく不可抗力のハプニング的偶然かと言うとそうではなくて、その人の心がけという「必然」を変えることで「偶然」の内容がかわってくることはあると思います。
哲学的な難解な表現になってしまいますが、私の持論は、人生は「必然と偶然」の長く重層的な系列によって構成されており、中でも「必然」は「ほしのもと」を前提としているという意見です。
まあそこからしたら、脳みその解剖学的構造というのは、ごくごく小さな必然だと思いますね。
もちろん、そういう学問をバカにしているということではなく、人生航路の一要件に過ぎないという意味です。
必然を変えるためには……
「必然」を変えるためには、もちろん人の話を聞いたり本を読んだりするなど、情報や経験を増やすことは大事だと思いますが、時間と能力は有限ですから、無原則というわけには行きません。
たとえば、先祖調べをして、自分の生まれるまでのストーリーを知っておくことで、自分の「ほしのもと」とはどうなっているのか、それはいったい自分の人生にどんな影響を及ぼしてきただろうか、といったことを考えていみるのも有用な試みだと思います。
以上、人生は「生まれ」が大事か「育ち」が大事か。『「生まれと育ちはどちらが重要なのか」脳科学者が出した最終結論』が話題に、でした。
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