仏教では、他者のために尽くす「利他の善行」が現世利益や成仏につながるとされていますが、実は長寿につながるとの脳科学研究が特集されています。宗教として「信じるものが救われる」のではなく、科学的にそれが証明されたとなれば注目すべき話ではあります。
まず最初に、仏教の話から。
なるべく簡単に書きます。
釈迦仏教の『大般涅槃経』というお経では、お釈迦さまが弟子の阿難に、遺言としてこう告げています。
「自分の葬式には、僧侶たちは関わるな。そのような時間があったら修行に励め。ただし、在家信者のために葬式はきちんと行え」
お釈迦さまが、在家信者のために葬式をやれと言ったのは、「自業自得」「因果応報」を標榜する仏教では、在家信者が、葬式に参列して、布施という「善行」を施すことで、その後の生活に果報をもたらすと考えたからです。
ただし、僧侶は、涅槃寂静のために修行しているので、いまさら現世の果報などは欲しがらずに修行しなさい、という教えです。
一昨日の、富永仲基がいうように、釈迦仏教は大乗仏教に架上されていきますが、大乗仏教では、「善行」には「回向」という概念が加わっています。
例を上げると、人助けなどの「善行」の果報で、その人自身にいいことがあるというのが釈迦仏教。
大乗仏教では、布施をした人だけでなく、その布施を「いいことをしましたね」と、気持ちよく受け止めてくれる第三者にも果報のおすそ分けがあるといわれ、それを「回向」といいます。
つまり、「自業自得」の枠を超えて、関わりのある人全てに果報が広がるのが、大乗仏教の「因縁」という概念に基づいた「回向」なのです。
ですからね、他人の成功を、妬まずに自分のことのように喜ぶことで、自分にもあやかれる(果報が回向される)チャンスが回ってくるというのが、大乗仏教の「回向」に基づいた考え方です。
他人に嫉妬したり、他人の足を引っ張ったり、ひとさまのブログ記事に揚げ足取りの「意地悪」コメントなんかに熱中してると、そういう「回向」にはあずかれないんですよ(笑)
それはともかくとして、前置きが長くなりましたが、今回の記事は、その善行は、実はたんなる信仰ではなく、脳科学的に、長寿につながる「果報」があるという内容です。
“利他性”に関する神経回路を活性化させ幸福になる
『女性セブン』2024年9月19日号には、「『人助け』が遺伝子と人生を活性化させる」という記事が掲載されています。
今店頭に出ているのは26日号なので、最新号ではなくなってしまいましたが、AmazonKindleの読み放題リストに入っています。
生物学者の福岡伸一さん(青山学院大学教授・米国ロックフェラー大学客員教授)によるインタビューを交えたもので、人助けがどのようにして私たちの遺伝子や人生にポジティブな影響を与えるか、について詳しく説明されています。
福岡さんは、人助けが遺伝子の活性化を促し、健康や幸福感を高めると述べています。
具体的には、他人を助ける行為がストレスを軽減し、免疫機能を向上させることが科学的に示されているとのことです。
「人間の寿命がここまで長くなったのは、私たちが持つ“利他的な脳”の賜物」
「つまり、積極的に他者を助けて脳に存在する“利他性”に関する神経回路を活性化させることで、自分自身としても生物的に強く、また幸福に生きられるのです」
また、人助けを通じて得られる感謝の気持ちや社会的なつながりが、精神的な健康にも良い影響を与えるとされています。
要するに、利他の精神で善行を施すことで、ストレスを軽減し、免疫機能を向上させ、幸福になるメカニズムが人間の脳内にはあるというのです。
ただし、利他性を発揮するための脳の回路は、気温の上昇や水不足と言った環境に左右されたり、利己的な人と付き合って低下したりするデリケートなものだそうです。
たとえば、ふだんは、「おすそわけ」をするような人が、最近のコメ不足でこっそり米を買い占めるようになるとか、人間はちょっとした環境の変化で「魔がさす」「煩悩に転落する」弱さをもっています。
そうならないためには、自己犠牲まではしないこと。
自分だって持っていないのに、「いい人」であろうとして分け与える善行などすると、自分に余裕がなくなるのです。
120持っていたら、20を利他に回せばいいといいます。
他に、脳の「利的性」を活性化させる方法は、
「リスペクトできる、接していて気持ちがいいと感じる人、こういうふうに生きられたら素敵だと思う人をロールモデルとして真似した見る」
付き合う人を選べ、ということでしょうか。
「受け取り上手になることも大切です。相手がしてくれた利他的行為をしっかり受け止め、誰かに渡す。そうして絶えず利他的な行為を循環していくことこそが社会を発展させることにつながります。」
「利他的行為をしっかり受け止め」ということは、相手が利他的行為をしてくれたことに、自分が気づかなければならないわけです。
ということは、他者の立場になって考えられる人になれと言っているんでしょうね。
他者から、色々してもらいっぱなしで、後ろ足で砂かけていくようなやつになってはならない、ということです。
笑顔も「利他的善行」になる
#TOKYOFM
この時間は #篠原ともえ の
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— tokyofm_space (@tokyofm_space) September 7, 2024
冒頭に「布施」と書きましたが、仏教の「布施」(ふせ)というは、他者に対して物や心を施す行為を指します。
「利他的善行」と同意語と思ってもいいでしょう。
布施には主に以下の3種類があります。
1. 財施(ざいせ):物質的なものを施すこと。例えば、お金や食べ物、衣類などを他者に与えることです。
2. 法施(ほうせ):仏教の教えを説き与えること。知識や智慧を分かち合う行為です。
3. 無畏施(むいせ):他者の恐れや不安を取り除くこと。安心感や安全を提供する行為です。
また、布施には「無財の七施」(むざいのしちせ)という考え方もあり、これはお金や物がなくてもできる布施の方法を示しています。
たとえば、優しい眼差しや笑顔、親切な言葉などが含まれます。
布施の行為は、施す側にも受け取る側にも大きな功徳(くどく)をもたらすとされます。
小さな布施でも、その善行が積み重なることで大きな幸福や悟りに繋がるとされています。
いかがですか、日常的に、「優しい眼差し」や「笑顔」「親切な言葉」など心がけていますか。
女性セブン 2024年 9月19日号 [雑誌] 週刊女性セブン – 女性セブン編集部