橋田壽賀子さんの納骨が済んだと報じられました。愛媛のご両親の墓に納骨され、夫婦用に用意した静岡の墓は分骨と夫の形見を納めるそうです。あなたは誰とどんな墓に入りますか。それとも、墓の話は“縁起が悪い”と思われますか。でも究極の「終活」が最近は地味に話題になりつつあるようです。
夫との墓と両親との墓に分骨
日刊ゲンダイによると、橋田壽賀子さんの納骨について、こう書かれています。
まず、橋田壽賀子さんの遺骨は、両親が眠る愛媛の寺に納骨されたそうです。
【人生100年時代の歩き方】女性専用墓地が人気「死んでまで同じ墓に入りたくない」 https://t.co/e0XWOnvnSv #日刊ゲンダイDIGITAL
— 日刊ゲンダイDIGITAL (@nikkan_gendai) April 19, 2021
生前から、夫の姑から「あなたは墓に入れない」と言われていたので、「夫一族の墓には入らない」と明言していたそうです。
それを守ったわけです。
記事では、夫や妻の死後に「縁戚関係を切りたい」と考える配偶者は増えていることを指摘。
夫婦でも、一緒の墓に入らないケースが増えてきた(4人に1人の女性がそう思っているとの統計)ことを紹介しています。
配偶者の死後、「姻族関係終了届」を本籍地または住所地の市区町村役場の窓口に提出すると、死亡した配偶者とは戸籍上の他人となることも説明しています。
墓の在り方が多様化しているのは、すでに21世紀になる前から言われていましたが、ただ橋田壽賀子さんは、追悼番組では夫と仲睦まじかったことを報じられていたので、その点がしっくり行きませんでした。
が、記事によると、要するに、夫が嫌なのではなく、夫の親族と合わなかったようです。
げんに、静岡に買ってあった墓には、夫の形見と橋田壽賀子さんの分骨を埋葬するそうです。
墓は“縁起が悪い”で逃げる話ではない
かなり旧聞ですが、『週刊朝日』(2013年12月6日号)には、「夫、子供がいても一人で集合墓に 人生の収穫期を迎えた女たちが“墓友”仲間と集うワケ」というタイトルの記事が掲載されています。
要するに、先祖はおろか、家族とすら同じ墓には入らない人もいる、という話です。
私の親類に、生きているうちに墓地を確保した方がいいという話をすると激怒する人がいます。
“縁起が悪い”というのです。
そんなの死んでからでいいだろうと。
この記事をご覧の方にも、おられるかもしれませんね。
父を亡くした経験がある私に言わせていただくと、それは家族のために考えを改められたほうがいいかもしれません。
亡くなれば、はやくて2日後には荼毘に付しますが、その後お骨をどうするのでしょうか。
居間に飾っておきますか?
私の父の先祖代々の墓は福島にあるのですが、私は福島在住ではないし、田舎の墓で土葬のところなので、父は生前から東京に別に墓を作るつもりでした。
でも作る前に突然亡くなってしまったので、しばらく檀家でもない近くのお寺にあずけることになったのですが、母子家庭ではお墓も作れず、貧乏人の質入れではありませんが、かなり長く預けることになってしまいました。
都営の墓地は競争率の高い抽選だし、都内は古くからの檀家でないと確保できないし、都心を離れた郊外の霊園は、同じ場所なのに時間の経過とともにどんどん永代使用料が値上がりするからです。
結局、東京を少し離れた宗派を問わない霊園に墓を作ることになったのですが、その経験からも、どうせいつかおさまるところなら、生前のうちに手を打ったほうが、コストの面からも精神的な面からも、そして残された家族のためにも望ましいことではないかと思います。
どうせ人間いつかは死ぬのに、縁起が悪いもへったくれもないのです。
おひとりさまでも実家の墓には入らない
『週刊朝日』の記事には、自分が亡くなったらどうするのか、そのお墓について、新しい選択を希望している人の話が書かれています。
たとえば、ひとつの墓を複数の人とシェアする集合墓、樹木の下に集う樹木葬などが紹介されています。
先祖代々の墓はもちろん、実家の墓も否定し、“墓の世界観”が一致する他人同士で一緒にお墓に入りたい、と希望する人々がいるという話です。
そうした墓友のサークルやNPO法人もあり、おひとりさまだけでなく、夫や子供がいても、そうした他人との共同の墓を希望する人もいるそうです。
「メンバーが集まるたびに必ず出たのが『最後が心配』という声。最後ってなにかといえば死とお墓の問題です。シングル女性は自分が入る墓もない人が多いし、実家の墓はあっても、そこには入りたくない。じゃ、みんなで一緒に入れるお墓を作っちゃおう、と」(女性だけの墓友NPO法人SSSネットワーク・松原惇子代表)
日本の法律は戦後、家制度から家族制度になりました。
そして、さらに個人の権利を重視する方向にある。
墓の在り方がかわっていくのも、私は時代の必然だと思います。
私個人は別に墓友がほしいとは思わないので、父が入っている墓でもいいと思いますが、本人が希望するなら、入る墓は基本的に自由でいいんじゃないかと思います。
自由な共同墓が増えることで、先祖代々の墓はいずれ廃れるかもしれません。
でも私は、それによって墓守を背負わされる「ほしのもと」の人も減るから、いいことだと思います。
私は長男ですが、先祖代々の墓を、生まれた時から守らなければならない「ほしのもと」に生まれたことが大変に苦痛です。
これ、罰当たりな物言いでしょうか。
でも、それは墓守をしていない人はいう資格のない罵倒です。
○○家だの先祖がどうしただの、そんなことに縛られず、せっかくの人生は生まれた時から死ぬまで、さらには死んでからも自由な「ほしのもと」であることが望ましいと思うからです。
みなさんは、将来のお墓、決めていますか。
以上、橋田壽賀子さんの納骨が済んだそうです。愛媛のご両親の墓に納骨され、夫婦用に用意した静岡の墓は分骨と夫の形見を納めます、でした。
こんな樹木葬で眠りたい 自分も家族も幸せになれるお墓を求めて – 上田裕文
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