毒親

毒親というのは、子にとって毒のような悪影響を及ぼす親という意味で使われる言葉です。

1989年にアメリカのセラピスト、スーザン・フォワードが『毒になる親』という書籍を上梓してから使われるようになりました。

医学や社会学など、学術上の明確な定義があるわけではない「俗的概念」ですが、社会問題というのは得てして演繹的な成り立ちを示すものです。

毒親は独り言が多い、自分の発言に責任を持たない、人や社会に対する不平不満ばかり述べている、精神年齢が低い、などの特徴があり、子に対しては、過干渉、もしくはネグレクトなどを、暴力や子の人格スポイルに至るまで行います。

一口に毒親と言っても、いろいろなタイプと度合いがあることや、日本では「親孝行」という封建的なイデオロギーが残り、民法818条で再生産されているため、自分の親についての毒親認定とは向き合わない場合も少なくないため、毒親が社会問題であることがなかなか理解されません。

しかし、子の自分への信頼を取り戻したり、毒の「相続」を断ち切ったりするために、自分の親と向き合い毒親かどうかを批評することは、決して「親不孝」なことではありません。大いに毒親批判をしましょう。

毒親

自己愛の強い人の特徴が分析されて話題。自己愛者は被害者ぶり「他人からいい人に見られたがる傾向」がある。毒親の素地も

自己愛の強い人は被害者ぶり「他人からいい人に見られたがる傾向」がある。「被害者であることを頻繁にアピールし他人の同情を得ようとする人は、他人からよく見られたがり、他人への共感能力にも乏しいナルシシスト的傾向がある」加えて毒親の素地も
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貴乃花が実父の二子山親方や花田虎上との間に溝ができたことを貴乃花の「気難しさ」に還元する中傷はおかしいんじゃないか?

貴乃花と息子の花田優一の確執が話題ですが、貴乃花が肉親とも絶縁していることを含めて貴乃花の人格に問題があるかのような中傷が絶えません。しかし、絶縁が本当に貴乃花の責任かを確かめもせず誹謗中傷してもいいんですか。
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キラキラネームと呼ばれている珍奇な名前のせいでいじめられる高校生が、名前を変えたいが親に反対されているとの相談が話題

キラキラネームと呼ばれている珍奇な名前のせいでいじめられる高校生が、名前を変えたいが親に反対されているとの相談が話題です。そこには合理的根拠のないヘイトスピーチとしての問題点と、子どもファーストではない毒親の問題が見て取れます。
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元関脇嘉風の妻の虐待報道が話題。小学校高学年長女と低学年長男に対して昨年6月に長女に対して働いた行為を週刊新潮が報じる

元関脇の嘉風の妻の虐待報道が話題です。小学校高学年長女と低学年長男に対して昨年6月、嘉風の妻が長女に対して働いた信じられない行為を週刊新潮が報じています。事実なら毒親による虐待ですが、対岸の火事を見るような気になるのはいかがでしょうか。
毒親

「貴乃花、絶縁の歴史」という冷やかし記事が話題。しかし、絶縁は相手次第です。そもそも親兄弟と絶縁しちゃ悪いの?

「貴乃花、絶縁の歴史」という冷やかし記事が話題。親、兄と絶縁、配偶者と離婚、子の勘当に貴乃花の人間性を疑っています。しかし、人付き合いは相手あってのことですから、貴乃花が全て悪い、もしくは絶縁が悪いという記事には大いなる疑問符が付きます。
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新田恵利さんが92歳の母親介護について「認知症で在宅介護の母に怒りを覚えて……それでも喜びと充実感がある」と語っている

新田恵利さんが、92歳の母親介護継続中について「認知症で在宅介護の母に怒りを覚えて……それでも喜びと充実感がある」と語っている週刊誌記事が話題になっています。親の介護は在宅か施設か、というテーマについて、「在宅派」からの意見を述べています。
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千葉県野田市女児虐待死事件、Web掲示板は「量刑が重いとはけしからん」と興奮。だが事件はそもそも別世界の「鬼畜」の仕業か

千葉県野田市女児虐待死事件が話題になっています。控訴審で弁護側は、一審判決には量刑が重過ぎると主張したとの報道。Web掲示板は「量刑が重いとはけしからん」と興奮気味ですが、そもそも事件は別世界の「鬼畜」の仕業なのかを含めて考えてみました。
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コロナ禍で夜の外食もままならず、不要不急の外出もできずで家にこもることが多くなり、DV相談が急増したとの報道が話題

コロナ禍で夜の外食もままならず、不要不急の外出もできずで家にこもることが多くなり、DV相談が急増したとの報道が話題になっています。もう気づいてほしいのですが、昨年春から夏ぐらいにかけての妊娠相談は“性の乱れ”で片付けられなかったのです。
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清水章吾が連れ子にDVを行っていたという週刊誌報道にネット民は同情的。実母が被害者として証言するのはおかしいという声

今年の1月、俳優の清水章吾が妻や連れ子にDVを行っていたという週刊誌報道がありました。本当なら大問題であるにも関わらず、ネットのコメントは清水章吾に同情的で、報道そのものが沙汰止みになりました。私はそれとは別の意味で報道に疑問を持ちました。
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毒親に限って「ご先祖がいたからこそ自分がいるのだから先祖に感謝しろ」「先祖を供養しないとバチが当たる」などと言う

「先祖あっての自分。だから感謝しろ」とよくいいます。「先祖を供養するなど大事にしないとバチが当たる」ともいいます。しかし、それは結局、「目上」の人を絶対化するための合理的根拠のない方便であり、子にそんなことを教える親は毒親の始まりと思います。
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