通信制高校というと、佐々木ミノルさんの漫画『中卒労働者から始める高校生活』で注目されるようになりました。スポーツ選手や芸能人など研鑽する分野に時間を使いたい生徒、不登校や病気による長欠者、障碍のある生徒などが自分のペースで学べる課程です。
従来のイメージからは変わってきている
佐々木ミノルさんの漫画『中卒労働者から始める高校生活』は、中卒で工場で働く18歳の男性主人公が、妹と一緒に通信制高校に通い始めるストーリーです。
さまざまな人々に囲まれながら成長していく兄妹や、通信制高校で出会ったお嬢様との関係などが描かれています。
もう高校生活はとうに終わった人でも、青春を追体験できると高い評価を獲得した作品です。
1巻無料『中卒労働者から始める高校生活』工場で働く18歳の片桐真実は、自分を中卒だと笑い捨てた周囲を見返すべく、高校受験に失敗した妹の真彩と共に人種のルツボ“通信制高校”に入学する―ムキダシのリアル青春ラブコメ!https://t.co/nfU3umupou
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通信制高校と言うと、全日制よりも格下の見方をしていませんでしたか。
従来の高等学校に対する評価は、まず「当たり前の進路先」として全日制。
次に、学力が足りない、家が貧乏、など「可愛そうな人」「落ちこぼれた人」が定時制に進み、さらに深刻な「ほしのもと」の生徒は一応高校に在籍したことにする位置づけで通信制に、ということになっていたと思います。
今も、それが完全に変わったわけではありません。
少なくとも、旧来の、「有名高校に入って有名大学に入って」という揺るぎないエリート主義を唯一無二の価値観とする親御さんから見れば、誰が好き好んで定時制や通信制に行く必要があるんだ、と思われるでしょう。
どこにも行きどころがなかった生徒の、吹き溜まりになっている面も否定しきれません。
「当たり前」でない、定時制や通信制は、普通の人が行くところではないかのようなイメージがありませんか。
言うまでもありませんが、定時制でも通信制でも、学校教育法第一条によって認められた学校、いわゆる一条校ですから、間違いなく高等学校です。
現在は、以前に比べると、自分の課題や目標を持った人が、自分の立場に適した機関であると主体的に選択するケースも増えてきたし、また通信制高校の質も向上している事実も見ておくべきだと思います。
特に最近は、ネットを通じたキャンパス、授業やレポート提出、社会で役立つスキルをプロの指導のもと身に付けられるカリキュラムなどで、むしろ従来の全日制高校では実現できなかった新しい教育が実現しています。
決まった時間割と練習時間との折り合いがつかないスポーツ選手や、芸能活動を行っている人、毎日の通学がどうしてもむずかしいけど高校進学の気持ちはある、不登校や障碍者なども受け入れが可能である通信制高等学校は、大げさに述べれば、現在の学校教育のあり方を問う役割すらあるのではないかと思います。
非全日制だからとコバカにできるかな?
通信制の可能性について述べる前に、先程の、全日制高校が「当たり前」で、定時制・通信制が高校として一人前に見られていないことについて、あなたの偏見をぶち壊すために、非全日制が「エリート」ではないとは限らない話を書いておきます。
そもそも定時制や通信制高校の中には、全日制高校を「エリート主義」の面でも凌いでいる学校があることを示しておきましょう。
たとえば、東京・後楽園に、中央大学高等学校という定時制の高校があります。
中央大学の付属ということもあり、合格者の平均偏差値はおそらく70に届くのではないかと思います。
全日制高校出身で、定時制を見下しているあなた、中学時代は偏差値70ありましたか。
たぶん大多数の人は、そんな数字は出せていないと思います。
偏差値70以上の人は全体の2.28%ですから、300人いる中学校なら学年で6番か7番以内の成績でないと入れない計算です。
まあ、クラスレベルでは1番でないとだめでしょうね。
そして、多くは中央大学に進学します。
「なんだよ、定時制かよ」とバカにしていたあなたが、浪人しても逆立ちしても中央大学に入れなかったときに……。
通信制高校では、駒場東大前にある東海大学付属望星高等学校をご紹介しましょう。
落ちこぼれの学校という評判もあるようですが、本人が希望すれば、他の付属校同様、東海大学に進学できるそうです。
「なんだよ、落ちこぼれの通信制かよ」とバカにされていも、高校生活を頑張れば東海大学に進めるのです。
一方、県立一高に進んだって、東海大学に絶対入れるという保証はありません。
まあ、最終学歴だけで学校生活を論評することが本記事の目的ではありませんし、そもそもインターネットのコンテンツで勉強できるということは、「有名大学に入るための予備校的な勉強」に囚われない自由な学習をできる素地にもなっています。
ただ、「エリート主義」の人が、「定時制」「通信制」というだけでコバカにする道理はないという話です。
全日制と非全日制の違い
中央大学高等学校の生徒は、定時制と言いながらも全日制同様に、朝から夕方まで授業を受けて3年間で卒業します。
誤解があるかもしれませんが、そもそも定時制は夜、通信制は一方的に送りつけられたテキストで独習、とは限りません。
定時制の「定時」は昼でも構わないし、通信制も今は通年通学をしているコースはあります。
もちろん、制服も教室もあります。
担任もつきます。
通信制の場合、在校生の登校日数は、生徒の事情や考え方に基づき、選択制で年間4日~200日まで様々です。
履修は、法律で決められている授業数と試験以外は、ネットを使った通信教育によるレポート提出を採用しているところがほとんどです。
一方、全日制にあって、非全日制にはないものもあります。
中央大学高等学校が、なぜ定時制かと言うと、その理由の一つは、中央大学のキャンパス内に高校があるため、独自のグランドがなく、文科省が定める全日制高校の基準を満たしていないのです。
通信制高校についてはもっと顕著です。
全日制のある高校の通信課程は除くとして、通信課程のみの通信制高校は、大都市のビルのワンフロアを借りて開校されているケースも少なくありません。
見かけは、ほとんど予備校です。
通信制の場合は、登記上の本校は別にあって、スクーリングで体育の授業をまとめて行うということもあります。
いちいち膨大な敷地に、あれこれ建物を建てないと高校が開校できないわけではないということです。
その意味で、「無駄」を省いたものが、通信制高校といえるかもしれません。
「無駄」と書きましたが、もちろん全日制の先生方は、「無駄とは何事だ」と思われるかもしれません。
実際に、「無駄」な部分も含めた学園生活という認識は私もあります。
ただ、先程も書いたように、世の中には、すでに競技会や芸能活動などの課題や目標のある人もいるし、進学の意志はあっても200日通学はむずかしく、もしくは学校の行事によっては参加が困難である人もいます。
そういう人たちにとっては、ビルのワンフロアの高校でも事足りるわけです。
それどころか、ネットやスクーリングを使った授業によって、たとえば北海道と沖縄の人が、そこに在住したまま同じクラスになれます。
教室も校庭も体育館もすべてそろえた高校に毎日通う生活とは違うけれど、これはこれで21世紀の学園生活の姿ということもできます。
インクルーシブ教育への期待
通信過程が授業の内容的な違いとしていえるのは、おおむねインクルーシブ教育に前向きなことです。
ここでいうインクルーシブ教育というのは、障碍者が健常者と一緒に授業を受けることです。
「一緒に」といっても、お義理で教室の後ろに机を置かせてもらうのではなく、対等に授業に参加します。
現在、全日制高校で使っている教科書は、インクルーシブ教育用ではありません。
ですから、インクルーシブ教育のためには、いきおい既成の教科書にとらわない授業にならざるを得ないわけです。
各高校の企画力が試されるわけです。
もちろん、点数を取るための勉強しか考えていない人にとっては、価値を感じない授業になる可能性があります。
そういう人は通信課程に入らず、有名大学の合格者数を自慢している高校に進めば良いでしょう。
正直、通学はできるけど、なぜ高校に行くのか明確な目的意識があるわけではない場合も、「無難に」全日制高校に進んだほうが良いかもしれません。
ネットでリポート提出、年間数日のスクーリングのみ、ではやはり社会から切れてしまいますから、同級生との関わりで青春を経験する日々を過ごしたほうが良いと思います。
ただ、そこで「いじめ」にあったら、躊躇なく退学して、通信制に移ることをおすすめしたほうがいい場合もあるかもしれません。
「機会均等」という「民主的」な建前に対する再考の契機
繰り返しますが、通信制高校とは、スポーツ選手や芸能人など、全日制の「無駄」に付き合うよりは自分が研鑽する分野に時間を使いたい生徒、不登校や病気による長欠者、障碍のある生徒など、精神的、肉体的に全日制高校からはじき出された生徒などが在籍することが多い課程ということになります。
それとともに、通信制高校のあり方は、戦後教育の「機会均等」という「民主的」な建前に対する、再考の契機になっているのでははないかとも思います。
戦後教育の「機会均等」が、「平準化」や「悪平等」を生み出しているのではないかと指摘する人は少なくありませんが、一方ではむしろ格差を再生産して、結果として「落ちこぼれ」・不登校者や障碍のある生徒を排除してきたのではないかという疑問もあります。
それ、正反対のことを言っているようでいて、実は軌を一にした現代教育への本質的批判だと思うのです。
端折って述べれば、「みんなが同じことをしよう」というのが「機会均等」ですが、障碍者はできないんですから、できるための理解と支援がなければ「均等」にはならないし、だからといって最低限のことしかしない「均等」でお茶を濁していたら、学習塾などオプションをつけられる金持ちの子弟が勝つに決まっています。
もちろん、機会均等という理念そのものを否定しているのではありません。
逆です。
機会均等が尊いからこそ、それを建前だけだったり「事なかれ主義」的なやり方だったりすることで、逆の結果が出てしまった面はないのか、ということを通信制高校という全日制とは別のあり方が問うことになるのではないか、という話です。
みなさんは通信制高校について、率直な所、どのようなイメージを持たれていますか。
以上、通信制高校は、漫画『中卒労働者から始める高校生活』で注目されるようになった、年齢不問で自分のペースで学べる課程です、でした。
通信制高校があるじゃん!2020-2021年版 – 学びリンク編集部