女優として確たる地位を築いた泉ピン子。どちらかというと悪役イメージでしたが旭日小綬章を受賞。「およそ、叙勲とは縁がないと思っておりましたので、誰が、という感じですね」。しかし、振り返ってみるとすでに肯定的な評価は以前から出ていました。
泉ピン子、旭日小綬章
この道、間違いなかった 泉ピン子さんに旭日小綬章 – YouTube https://t.co/HxxqaORM4c
— 共同通信公式 (@kyodo_official) November 4, 2019
「およそ、叙勲とは縁がないと思っておりましたので、誰が、という感じですね」と本人が言う通り、失礼ながら意外に思えたのは、泉ピン子の旭日小綬章受賞。
下積みが長く、過去には金銭問題のスキャンダル、共演者イビリや意地の悪さを報じられたこともあったので、国民的大女優というイメージが希薄だったのかも知れませんが、
まあ考えてみれば、女優として長年活躍し、『渡る世間は鬼ばかり』のような代表作もあります。
そればかりか、「共演者イビリや意地の悪さ」自体もギミックではないか、という指摘も一部マスコミでは行われていたのです。
改めて泉ピン子の評価を考える
たとえば、『日刊ゲンダイ』(2014年12月10日付)には、泉ピン子が芸能界ご意見番として支持されているという記事が出ています。
泉ピン子といえば、これまで芸能マスコミでは共演者イビリや意地の悪さばかり報じられ、少なくない視聴者が業界内でも“嫌われ者”だと思い込んでいたのではないでしょうか。
でももし心底嫌われているなら、そもそもご意見番として起用しないでしょう。
『日刊ゲンダイ』(2014年12月10日付)より
記事によると、和田アキ子の舌にキレがなくなってきたことから、泉ピン子が“新ご意見番”として、テレビの若手スタッフから絶大な支持を受けているという話です。
記事はWebサイトにも出ているので、関心のある方は御覧ください。
『和田アキ子食い “新・ご意見番”泉ピン子にTV界が熱視線』という記事です。
記事で興味深いのは、これまでの泉ピン子のイメージとは少し違った描き方がされていることです。
「若手スタッフから絶大な支持を受けている」という件です。
「絶大」ですよ。
率直なところ、泉ピン子は後輩の共演者をイビる、とこれまでは書かれてきました。
どちらかというと扱いにくい人というイメージがあったのではないでしょうか。
と同時に、泉ピン子自身も、そうした自分の立場は認識し、自らそのように振る舞ってきたようです
「ピン子が受ける理由は潔さにある。普段から自分のことを『どうせ私はうるさいババア』とか『嫌われ者だから』と公言し、視聴者受けを狙わない。だから、誰はばかることなく思ったことを口にするんです。嫌われ者の境地と言ってもいいかもしれない」(制作プロデューサー)
つまり、これまでの泉ピン子関連の記事は、泉ピン子が「嫌われ者」を計算し、最恐の泉ピン子というフィクションをずっと演じ続け、マスコミもそのキャラクターを守ってきた、と見ることもできるのではないでしょうか。
本当に「けしからん」振る舞いだったのか
たとえば、泉ピン子については、この記事の少し前、別の媒体でこんな記事が出ていました。
泉ピン子は共演者をいびるといわれているが、テレビカメラの回っていないところでも“最恐なふるまい”をすると書かれています。
ただし、決して非難じみたものではありません。
2時間ドラマの制作スタッフが明かす。
「楽屋へあいさつに行くじゃないですか。するとピン子さん、テレビを見てたりしててこちらには目も一切くれず、万札を投げつけるんです。それが“今回よろしくね”の意味で、受け取らないと収録中は完璧に無視されるんですよ。スタッフの階級などによって額は違いますが、相場はだいたい1万~5万円です」(『東京スポーツ』2012年11月29日付)
もちろん、この記事を額面通り受け取った一部の人は、「泉ピン子はけしからん」という紋切り型の批判的感想をもたれたようです。
が、私はそう単純には考えません。
芸能人のプロ根性という意味では、テレビカメラの回っていないところでも、ブラウン管で見た通りのキャラを貫くことはむしろ積極的な評価を与えられることです。
そして、それがどう報じられるかは記者の書き方次第でもあるから、それで即泉ピン子が非常識な人であると決め付けることもできないからです。
「泉ピン子はけしからん」と考えた御仁。
ちょっと立ち止まって考えてみましょう。
下積み時代にお金で苦労した泉ピン子が、安い給料で働く下請け制作会社のスタッフに対して、“これでうまいもんでも食べなよ”という気持ちは持つものの、自分のキャラクターも守るため、「札を投げる」という“乱暴な”行為を選んだとは考えられませんか。
もしそこで、渥美清演じる車寅次郎のように、やさしくスタッフの手に札を握らせて、「あんちゃん、いいから、いいから。これでなんか食べなよ」とやってしまったらどうですか。
泉ピン子のキャラクターはそこで終わってしまうのです。
「最恐な人、でも実はいいところもある」という結論が出てしまうからです。
そういう結論が出てしまったら、もう「最恐」というイメージも崩れてしまうのです。
そうではなくて、「最恐な人、でももしかしたらいい人かもしれない」という謎や可能性が残るところで止めておくのがいいのです。
「かもしれない」が大切なのです。
結論を出させない。視聴者の想像にお任せする。
それによって、泉ピン子は、「最恐」「実はいい人の可能性」という、どちらのイメージも生きるのです。
「泉ピン子はけしからん」と一面的にしか考えられない人は、そこまで考えが及ばない世間知らずだと思います。
そもそも、現場はもっと違う光景だったのに、記者が泉ピン子が意地悪に見えるように、記事はそう描いたのかもしれません。
いずれにしても、そういう報道があったのは、いじわる最恐女優・泉ピン子としては“してやったり”だったのだろうと私は思います。
泉ピン子は腹をくくっている
げんに、泉ピン子が「意地悪だ」というたたき記事は今までいくらでもありましたが、泉ピン子はそれに対して、1度でも取材拒否をしたり、名誉毀損で訴えたりしましたか?
泉ピン子は、ずっと前から、そういうイメージで生きていこうと腹をくくっているのです。
なのに、記事を額面通り受け止めて、泉ピン子に腹を立てているのは単純な捉え方です。
それは、マスコミと泉ピン子の詐術に引っかかっているのです。
記事の眼目は、泉ピン子の行為を即人格評価に結びつけて批判することではなく、また泉ピン子に対する好き嫌いの議論でもなく、芸能人というのはそういうデリケートな虚実ないまぜの仕事なのだ、ということを見抜くことにあるのではないでしょうか。
事の真相・真実にアプローチするというのは、一筋縄ではいかない、ということです。
そんなこともわからないようでは、人間の心を読める人にはなれません。
つまり、他人の身になって考えることはできないということです。
以上、どちらかというと悪役イメージの泉ピン子が旭日小綬章を受賞したことが話題になっているので改めて考える“芸能人の虚実”でした。
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