「今度飲みに行こうよ」といわれたら、社交辞令と聞き流しますか。そうかもしれませんが、人に対する優しさを感じませんか

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「今度飲みに行こうよ」といわれたら、社交辞令と聞き流しますか。そうかもしれませんが、人に対する優しさを感じませんか

「今度飲みに行こうよ」といわれたら、あなたは額面通り受け止めますか、それとも社交辞令だろうと聞き流しますか。TPOで意図やニュアンスは変わりますが、私はいずれにしてもそれを悪い意味では解しません。それどころか人に対する優しさすら感じるからです。

同僚の異性に言う建前としての社交辞令

日常の出来事や思ったことに対して、互いに気ままに意見を書き込む発言小町。

ちょっと古いのですが、『「今度飲みに行こうよ」は社交辞令?』という質問がありました。

「今度飲みに行こうよ」は社交辞令? | 恋愛・結婚 | 発言小町
つきあって1年の彼氏は、仕事の件で会社の女の子から電話がかかってくると、私の前でも今度一緒に飲みに行こうと誘います。私が他の女の子にそんなこと言わないでと言っても、そんなのは社交辞令だよといいます。実際に飲みに行ってるのかは、わかりません。…

しばしば議論になるテーマなので、質問部分を引用します。

つきあって1年の彼氏は、仕事の件で会社の女の子から電話がかかってくると、私の前でも今度一緒に飲みに行こうと誘います。

私が他の女の子にそんなこと言わないでと言っても、そんなのは社交辞令だよといいます。
実際に飲みに行ってるのかは、わかりません。

会わない日があると、他の女の子と飲みに行っているんじゃないかと心配で心配で・・・。
一般に「今度飲みにいこうよ」は社交辞令なのですか?

それとも彼氏が軟派なだけですか?


軟派かどうかはわかりませんが、その限りでは社交辞令ということでしょうね。

具体的な約束をしていないわけですから。

さすがに付き合っている人の前で言うのなら、内心はもしかしたらという気持ちはあったとしても、あくでも社交辞令としての建前としては成立すると思います。

「今度どこか行こう」だと、ちょっと問題ありでしょうが、「今度飲みにいこうよ」は、人間関係が出来ている、もしくはこれからそれを構築して、良い前向きな関係を否定しないことをさりげなく伝える方法として、ポピュラリティを獲得しているのではないでしょうか。←注:「人間関係」であり「肉体関係」ではない(笑)

一方で、質問者が心配しているのもわかります。

つまり、建前ではあっても、その「誘い」で本当に相手が合意して飲む機会があり、仲良くなってしまうことだってありえないことではないからです。

建前としての装いではあっても、それを額面通り受け止め実践することは、別に不自然ではありません。

だって、「飲みに行こう」と言ったことは事実ですから。

もちろん、建前としての装いなので、それが実践されなくても誰も責任を取る必要はありません。

どっちに転んでも、誰も困りません。

建前って、なんて便利なんだろう、と思います。

日本の社会は、こういう建前で、悪い言葉で言えば「ずるい」コミュニケーションに満ちています。

こういう「ずるい」世界が、我慢ならない、という人もおられるかもしれません。

私も、かつてはそうでした。

ただ、今は歳をとったからか、少し考え方が変わりました。

『今度~しよう』は本当に「無責任」なのか

たとえば、「『今度』飲みに行こうよ」という“社交辞令”を批判的に捉える新聞コラムが、これまた旧聞で恐縮ですが、2018年6月16日付『日本経済新聞』の平日朝刊、最終面の文化面に掲載中のコラムである『交遊抄』に出ています。

タイトルは『NO社交辞令』です。

2018年6月16日付『日本経済新聞』より

2018年6月16日付『日本経済新聞』より

著者(上田岳弘さん)は、「社交辞令の存在を認めない、という方針で生きている」「口に出して実行しないのは座りが悪い」と、冒頭から社交辞令を断言しています。

「今度飲みに行こう」「今度~しよう」という“社交辞令”を、「往々にして、自分から働きかけない限り、『今度』は永遠に訪れない」からだめだと捉え、女優の渡辺えりもどうやら同意見であると書いています。

言ったことは守りたい、という誠実さはわかりますが、では、「永遠に訪れない」と何が悪いのか、誰か困ることがあるのか、ということについては何も書かれていません。

といっても、上田岳弘さんの「方針」を否定しているわけではありません。

私も若い頃はそうだったし、そして事と次第によっては今も、「今度……」という物言いが苦手です。

私は、生真面目に、責任の所在が曖昧になるという理由から、「今度……」という物言いは容認できなかったのです。

飲むという話なら、具体的に約束すべきだ、それもなしに「今度飲もう」といい加減な約束をするとは何事だ、なんて思ったものです。

かつて、橋本龍太郎氏が総理大臣だった頃、総理は「今度食事でも」と“社交辞令”を言われると、その場でスケジュールを確認。いついつならあいている、と即答する人だというエピソードを聞きました。

それが、本当かどうかはこんにちまで確認していませんが、「社交辞令でごまかさないのはいいことだ」と、自民党支持というわけではないのに、橋本龍太郎総理のふるまいは評価し、自分もそうなりたいものだ、などと思ったものです。

そして、時は移ろい、今はどうかといいますと……。

あやふやな「忖度させる」言い方で翻弄することは、「モリカケ」問題に代表されるように、禍根を残し得るものです。

もとより、いい加減な約束を容認するものではありません。

ただ、「『今度』飲みに行こうよ」の「今度」というのは、いったいいつの約束なのか、ということを考えてみると、決していい加減なものではないように思えるようになりました。

従前は、日時も決めないことが無責任と思っていたわけです。

しかし、実は何月何日ということが決まっていないだけで、決して「空手形」とは言えない前向きな約束ではないのでしょうか。

「今度……」という“社交辞令”は、本当に好ましくない挨拶なんでしょうか。

「今度飲もう」のほんとうの意味

私が思い至った「今度飲もう」という意味は、

「これが今生の別れにならずに、命と縁があって飲めるよう、それまでお互い達者で頑張ろう」

という前向きな意味ではないかと思います。

お互い命と縁さえあれば、いずれ飲めるときもくるでしょう。

結果的に、飲む機会が永遠に訪れなかったとしても、生前お互い達者でやっていたのなら、それが何よりじゃないかと思います。

ですから、決して悪い挨拶ではなく、むしろそこには日本的な温かさすら感じるのです。

もちろん、冒頭の発言小町の「軟派」に感じる社交辞令のように、言葉はTPOで受け取め方も評価もかわります。

ただ、人生一寸先は何があるかわかりませんから、いくら誠実に「具体的な約束」をしたところで、挨拶してわかれた直後に交通事故でそれっきり、つまり約束は不履行ということだってあるかもしれません。

守れない約束はするな、というのはビジネスではたしかにそうですが、個々の人間関係でいうなら、次に会えることを期待する前向きな“挨拶”として、あってもいいのではないか、なんて考えるようになりました。

以上、「今度飲みに行こうよ」といわれたら、社交辞令と聞き流しますか。そうかもしれませんが、人に対する優しさを感じませんか、でした。

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フォトプリシラデュPreezUnsplash

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