『お墓、どうしますか? 変容する家族のあり方』は、家族と墓の在り方が江戸時代から現代までどう変わったかをまとめています。

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『お墓、どうしますか? 変容する家族のあり方』は、家族と墓の在り方が江戸時代から現代までどう変わったかをまとめています。

『お墓、どうしますか? 変容する家族のあり方』は、家族と墓の在り方が江戸時代から現代までどう変わったかをまとめています。著者の米澤結さんが、大学院時代の研究テーマとして調べたデータがたくさん含まれた実証的書籍です。

『お墓、どうしますか? 変容する家族のあり方』は、米澤結さんが、ディスカヴァー・トゥエンティワンから上梓した書籍です。

江戸時代は、ムラなどの共同体の絆に対する意識が強く、家族としてのつながり意識は希薄でしたが、明治時代に制度化され、戦後の民法で家制度は否定されて家族制度になり、高度経済成長を経てさらに変容していることを解説しています。

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墓越しに見た家族

本書によると、米澤結さんは父親をなくしたとき、家族や墓について考えることとなり、大学院に入学。

学び進めると、親子の関係から墓、家族を見る本が少ないことに気づいたそうです。

本書のテーマは、「墓越しに見た家族」です。

第1章は、家族の一員として、日本の「家族」が江戸時代以前から現在まででどう変わったかを「家族の一員としての目線」でまとめています。

本書によると、江戸時代以前は、「家族」という意識は薄かったそうです。

絆はイエやムラ、親族などの共同体が提供するものだったとか。

商家は、奉公人を含めた大家族でしたが、跡継ぎは奉公人から抜擢するなど婿養子が基本だったそうです。

血縁よりも事業継承が大事だったようです。

一方、武家はのちの家制度につながる父系長男主義だったそうです。

私は、このくだり、リアリティを感じました。

まさに、私の先祖がそうだったからです。

私の父方の先祖は、商家でいわゆる女系。

その都度、長男でない武家の息子を婿養子に迎えていました。

曽祖父も高祖父もそうであったことが、戸籍調べでわかりました。

戸籍に記載される「族称」が「士族」になっていたのです。

曽祖父は、婚姻後は村長をつとめていたようです。

そして、明治時代になると、家父長と長男・長子への相続が、すべての国民に決められたそうです。

さらに、戦後は民法が変わり、家制度から家族制度になったため、戸籍は三代続かない、夫婦と未婚の子弟だけでひとつの単位になりました。

第2章では、家族のあり方が変わることで、墓も変わってきていることを紹介しています。

外国はどうか、という話もあります。

たとえば、日本と同じく火葬の割合が高いイギリスでは、散骨が主流だそうです。

ドイツでは葬儀のとき、火葬が始まると遺族は帰ってしまい、係員が遺骨を骨壷に納めて、公営墓地の納骨堂に持っていくのだとか。

火葬で骨になるところは、あまり見たいものではありませんから、ドイツ方式が良いのかも知れません。

いずれにしても、墓の在り方は絶対的な正解はないのですから、いろいろあっていいというのが結論です。

誰でも事情や考え方がある

私は子供の頃、亡くなったら墓に入るのは当たり前。

墓もないのは、その人が生きた証が残らないし、墓は子孫が自分のルーツを意識する、一族の大切な象徴ではないかと思っていました。

しかし、おとなになったら、考えが変わりました。

もちろん、私自身、現在、先祖と亡父の2つの墓守りをしておりますから、墓を否定するわけではありません。

ただ、人によっては様々な事情や心境がある、ということも理解しています。

先祖とは同じ墓に入りたくない、配偶者とは同じ墓に入りたくない、宗教が家族や先祖と変わったので同じ埋葬は望まない、子どもも配偶者もいないので墓を作っても墓守がいないから友人に散骨して欲しい等々、埋葬に対する心づもりは実に多様です。

いずれにしても、一族がひとつの墓に入るという、旧弊な家制度の考え方に固執することには賛成できません。

たとえば、夫に先だたれた夫人は、夫の一族の墓にも、自分の一族の墓にも入れず途方に暮れる、などという話はよくきくじゃありませんか。

夫が亡くなったからといって、急に他人扱いする一族にも問題があるし、誰かの墓に入れてもらうという夫人の了見も限界があるのでしょう。

ですから私は、埋葬も「一族単位」ではなく、その人自身の価値観を尊重したものであるべきだと思うのです。

墓じまいと無縁仏

最近は少子化時代であり、墓じまいや無縁仏のニュースをしばしば目にします。

無縁仏は、亡くなったその一族の最後の人が、墓じまいをしなかったから、そのようなことになったのでしょう。

墓じまいというのは、深刻な問題です。

ナニナニ家の墓、などといったって、子孫が途絶えたらそれっきりなのです。

私は、「ナニナニ家の墓」というのは、先祖を思い出し敬う場所として必要だ、などとノーテンキに思っていました。

ても、子孫に墓守という負担を背負わせる、まことに罪作りなものであることも確かなんですよね。

少子化で核家族の現代、家制度の名残と思えるものは、いちいち迷惑なのです。

たとえば、私も、福島に先祖の墓がありますが、残っている親類みんなほったらかしのため、埋葬されている人とは一面識もない私が墓守をしています。

が、墓じまいをしようとすると、墓守もしないくせに、家系が途絶えるなどと文句を言う親類もいます。

旧弊な家制度で思考停止するのは勝手ですが、檀家になれば、それ相当の金銭や墓参の負担がかかるんですよね。

それに、私の子どもは中途障害者ですから、とても祭祀継承者になどはなれません。

子孫がいらっしゃって、墓を守るというお考えの方を否定するわけではありませんよ。

でも将来的な墓守のめどがたたない一族は、すみやかに墓じまいできるような文化が、我が国で確立していただきたいものだと思います。

本書は、AmazonUnlimitedの読み放題リストに含まれています。

誰もが向き合わなければならない問題です。

大変興味深い内容です。読まれることをお勧めします。

墓については、以前、『ぼちぼち歩こう 墓地散歩』(石井秀一著、日刊スポーツ出版社)をご紹介したことがあります。

『ぼちぼち歩こう 墓地散歩』(石井秀一著、日刊スポーツ出版社)は、著名人の墓を巡った日刊スポーツの連載をまとめたもの
『ぼちぼち歩こう 墓地散歩』(石井秀一著、日刊スポーツ出版社)は、著名人の墓を巡った日刊スポーツの連載をまとめたものです。著者は日刊スポーツ編集委員。これまでに300もの墓を訪ねているそうです。墓マイラーの意味や意義を考えさせてくれます。

こちらもお読みいただけると幸甚です。

以上、『お墓、どうしますか? 変容する家族のあり方』は、家族と墓の在り方が江戸時代から現代までどう変わったかをまとめています。でした。

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