『なぜ僕は「炎上」を恐れないのか 年500万円稼ぐプロブロガーの仕事術』(光文社新書)はイケダハヤトさんのブログに関する書籍です。今は「ブログはオワコン」というイケハヤさんですが、YouTuberやインフルエンサーにも通じる「ネット有名人」の真髄が書かれているので、新書ではなくてもあえて今回ご紹介します。
ブロガーにもプロがいる
『なぜ僕は「炎上」を恐れないのか 年500万円稼ぐプロブロガーの仕事術』(光文社新書)を読みました。
著者はイケダハヤトさんです。
彼は、本書を上梓した時点で、上位0.01%に入るトップブロガー。
ブログと言うと、企業や有名人の広報宣伝活動か、個人の趣味と思われがちですが、ブログで稼いでいる人もいるのです。
彼の持論である「炎上を恐れない」理由と、それができるために必要な条件を、中学時代、高校時代、大学受験の成功体験も具体的にまじえて紹介しています。
プロブロガーというのは具体的に、ブログの広告や、ブログがきっかけとなって講演会や雑誌の執筆などを収入とする人です。
というと、万人に尊敬されるブログを書いているのだろうなあと思うかもしれませんが、イケダハヤトさんのブログの「見どころ」は炎上です。
何を書いてもツッコミが入ります。
本書では、タイトル通り、イケダハヤトさんが炎上を恐れない理由について述べています。
学校時代の成功体験をもとに、ブログでも成功した。ブログで書くことは新しい価値観を創出することなので、簡単に受け入れられるようなことではつまらない、だから炎上大いに結構。
という内容ですが、実際に好んで炎上したがる人はいないでしょう。
本書では、学生時代の成功体験とともに、炎上することの意義を述べています。
読み終えた感想。
一口に言えば、実に面白く興味深い本です。
これまで書いた他のネット関連書籍のレビューがうそくさくなってしまいますが、これまで私が読んでいて、「うん、そうだな」と素直な気持ちで読めたのは、中川淳一郎さんとイケダハヤトさんの2人だけです。
ネットの“お行儀”を無視して尖る
ちなみに、中川淳一郎さんは、イケダハヤトさんを、すくなくとも一時期こてんぱんにヤッていましたが、私が見たところ、その2人には共通点があります。
それは、ネットの既存の“お行儀”だの、ユーザーの顔色だのよりも、自分の主張、提案を大切にする、ということです。
私はパソコン通信時代から、「ネチケット」なる“お行儀”が暗黙の了解のように存在することについてうんざりしていました。
いまだにFacebookでは、挨拶もなしに友だち申請するな、などと説教する奴がいますが、私はばっかじゃなかろうかと思っています。
いや、礼儀正しくされている方をどうこういうのではなく、それを「ねばならない」と、他人に強要する態度が迷惑で不毛だと言っているのです。(挨拶しない奴が嫌なら相手にしなければすむ話)
その「礼儀の強要」は結局、リアル社会の規範やしがらみをそのままネットに引きずり込もうとしている価値観であり、リアルにはないネットの自由な表現やコミュニケーションの可能性を、制約するものにほかなりません。
ですから、どんなに丁寧な解説をする書籍でも、通り一遍のお行儀論や、相手の顔色に重きをおく件が入ったところで、私は読む意欲をいっぺんになくしてしまいます。
その点、中川淳一郎さんは、そもそもその大多数のネットユーザーを戒め、ネットの「友達」なるものを全く認めず、イケダハヤトさんは、炎上を恐れずに自分の意見を述べています。
要するに、彼らはネットユーザーにこびへつらっていないのです。
その限りでも私は快哉を叫びたい。
炎上できる前提
ということで、ちょっと横道にそれましたが、『なぜ僕は「炎上」を恐れないのか 年500万円稼ぐプロブロガーの仕事術』の話です。
イケダハヤトさんのブログ記事では、毎回炎上を繰り返しています。
空気を読まず、つまりネットユーザーの顔色お構いなしに自分の意見を書きます。
私から見ると、炎上商法に近いようなものもないとはいえないのですが、アブドーラ・ザ・ブッチャーの流血試合、水戸黄門の印籠と同じで、炎上は記事の“お約束”になっているのでしょう。
しかし、本書の中でも書いていますが、炎上というのは、実際に経験した者でないとわからない恐怖感があります。
私もその昔、ジャニーズ関連のブログを書いていて、ある所属タレント(当時)が、当時フジテレビの女子アナらと未成年としてあるまじきトラブルを起こした時、「〇〇解雇」とトバシたことがあるのですが、そのときは反応がすごかったですね。
一人ひとりの悪意はわずかでも、それが大挙押し寄せることによる書き手のプレッシャーは相当なものです。
それでもイケダハヤトさんは炎上ブログをやめません。
なぜ彼は炎上に耐えられるのか。
彼が精神的に強いのか。
秘策があるのか。
どちらも違います。
まえがきから一部引用します。
炎上に耐えられるには精神だけではなく、客観的な前提が必要で、それは「いいたいことがいえる地位」だとイケダハヤトさんは言っています。
簡単にいうと、人を見下せる「すごい」ところに自分がいれば、安心して言いたいことが言えるようになるというのです。
そして、彼は、自分の少年時代、学生時代それを獲得した成功体験を、具体的に披露しています。
人とコミュニケーションが取れなかった少年時代は、ゲームの達人になって「先生」として一目置かれるようにした。
中学時代は父親からパソコンを買ってもらい、サイトをたくさん作って多くのアクセスを得て自信をつけた。
受験勉強は学校へ行かずに自分の試行錯誤におもいっきり時間を使って、二流の県立高校から偏差値55で私立最難関の早稲田大学政経学部に受かったなど。
成功したのは大変結構なことですが、このへん、「普通の人」から注文をつけると、ちょっとさびしい人だな、という気もしましたけどね。
人としては寂しい人だな、という気もしますが
つまり、イケダハヤトさんは、偏差値55のありのままの自分では友達を作れない人なんです。
彼はそもそも虚心坦懐で他人と仲良く出来る人ではないのです。
博識や学歴で一目置いてもらわないと人と付き合えない。
極端に言えば馬鹿にされるか自分がするか。
泣くか笑うかだけで、「中間」の薄笑いができないのです。
一歩間違ったら、ただの自己愛性パーソナリティ障害です。
でも、本来なら社会生活の落伍者になりかねない資質の逆手をとって、彼は炎上メーカーという“天職”を見つけたんでしょうね。
彼は、他者とは構えないと付き合いない人格や、ゲームを好き勝手にやらせてくれた家庭や、パソコンを買ってくれる父親や、受験勉強で休ませてくれた学校といった環境があってこそ、自分が成功できたことをわかっています。
ですから、本書は自分の成功について、環境を変えればいい、自分を変えればいい、などという安っぽい自己啓発セミナーの常套句でごまかすことはしません。
人間には環境と運がある、だから同じことをやっても全員が成功できるわけではない、ただ実践すればうまくいく確率は上がる、というスタンスで自分の経験や考えを紹介しています。
そう、人生というのは、“ほしのもと”と努力によって構成される複雑系なのです。
人生を「運命」だけで語ろうとするのはトンデモ、一方で、運不運などない!と言い張るのも傲慢な意見だと私は思います。
イケダハヤトさんは、成功体験を獲得するためのポイントは、
- 時間
- 情熱
- 環境
- 市場(ニッチなこと)
- 効率
- ゲーム化
にあるといいます。
本書には、早稲田の政経に合格するために行った、それらをふまえた具体的な勉強方法が正直に書かれています。
受験生やその親御さんには、そのノウハウだけでも本書を読む意義があるかもしれません。
精神主義では限界がある
もともと他者とのコミュニケーションが苦手なイケダハヤトさんは、コミュニティから弾かれないようにするために、自分の知識やスキルを高めたり、有名大学に入ったりして、他者から一目置かれるという戦略で、自分の居場所をつくってきたことを書きました。
その際必要なのは、時間、情熱、環境、市場(ニッチなこと)、効率、ゲーム化にあるということも知ったといいます。
そして、これらは、社会での成功にも通じるものだといいます。
まず、知識やノウハウの獲得や習熟には、たくさん時間をかけて取り組む者にかなわないということ。
そして、たくさんの時間をかけられるだけの情熱が本人にあること。
情熱があればたくさんの時間を使ってそのことに打ち込めるが、頑張って打ち込もうとしても人間は続かないといいます。
つまり、「頑張る」という精神主義では限界があると書いています。
そして、情熱を全面開花できる環境も大事だといいます。
たとえば、イケダハヤトさんは、何時間でもゲームをできる家庭環境にあったので、ゲームの達人になり、クラスで自分の居場所を作れた。
もし、ゲーム禁止とか、短時間しかできない厳しい家だったら、それはできなかった、というのです。
この件、親が子に対してベストの環境を用意するというのはどういうことだろうと考えさせられます。
塾に行かせて、テレビの時間を制限すればいいのか。
それと正反対だったイケダハヤト家のような場合もありますが、どの子供もイケダハヤトさんのように考え行動するとは限りません。
管理か放任か。
子育ての永遠のテーマですね。
話を戻すと、市場(ニッチなこと)とは、先人のいないところを狙うということ。
先行者利益なんていいますが、そのことです。
効率は文字通り、より短い時間で多くの成果を得るようにすること。
ゲーム化というのは、勉強や作業をやりやすくするように、目標や「あそび」を入れることです。
この6つが噛みあう展開なら、成功できる、つまり話を戻すと「圧倒的な地位」を獲得できる可能性があるといいます。
そのようにして、自分の裏付けをもったとき、炎上に耐えられるだけの強い心ができるといいます。
しかし、ここまで成功のための道筋を読むと、素朴な疑問が生じます。
では、そうまでして、なぜ炎上しなければならないのか。
そこまで博学で高学歴になったのなら、教科書のような破綻のない論理と知識に満ちたコンテンツを発信すればいいわけで、わざわざ私立最難関の大学にまで入って、その挙句が炎上ブロガーというのは順当な感じがしません。
なぜイケダハヤトさんは炎上を勧めるのか
しかし、彼は炎上についてむしろ積極的です。
彼は、炎上の「良い点」を次のようにまとめています。
炎上とは新しい価値観の創出である
ブロガーはアーチストであり、新しい価値観を創出しなければならない、という信念をイケダハヤトさんは持っています。
既存の価値観に埋没するのではなく、嫌われても、理解されなくても「新しいこと」を主張することが大切だといいます。
曰く、Facebookでみんなが「いいね!」を押すような投稿は、しょせんみんなが理解できることであり、既存の価値観でしかない。だからつまらない。
価値意識を問うテーマであるなら、全面的に賛成です。
たしかに、やれ毒を吐くとか、やれ○○を斬るとか、勇ましく自分の視点を売りにしていながら、実際にはマスコミの受け売りや、閲覧者に嫌われない無難なことしか書いていないブログは少なくありません。
もちろん私は、「無難な」ブログそれ自体を悪いこととは思いません。
が、わざわざ勇ましい標榜をするのなら、炎上覚悟で今までにないことを書いてみる勇気があってもいいだろうなあと思います。
自分と合わない人たちが遠ざかっていく
八方美人ではなく、自分の意見をハッキリ主張することで旗幟鮮明となり、「仲良くなれそうもない人たち」を、うまく遠ざけることができるとイケダハヤトさんは書いています。
まあ、価値観が合わない人に読まれて、平行線のコメントを付けられてもお互い不幸ですからね。
炎上することで「一流の人」が声をかけてくれる
「一流の人」というのは、同書によると「尊敬していた経営者の方」「雲の上の人」だそうです。炎上することで、その人たちが声をかけてくれる、と書かれています。
そしてそういう人は、誰かが自分の意見を発信し炎上する姿を見ると、過去の自分を思い出し、優しさがこみ上げてくるのかもしれません。一流の人たちは(その意見に賛同するか否かはどうでもよくて)「炎上を覚悟して、自分の確固たる意見を発信している」という態度そのものを評価しているように感じます。
要するに、炎上することは「ガイブン悪い」と恥ずかしがらなくてもいいんだよ、ということですね。
もうひとつ、炎上経験者は他人にやさしい、ということも書いていますが、これだけはどうでしょうかね(笑)
自分が痛みを経験したから、他者にも寛容になるということらしいですが、私自身はむしろ、炎上経験によって、他者に対して不寛容で神経質になりました。
ですから人それぞれということで、この点だけは無条件で賛同せず、留保をつけておきましょう。
もちろん、何でもいいから炎上すればいいということではありません。
アルバイトが冷蔵庫に入ってツイッターに投稿する炎上は、投稿する方も、炎上させる閲覧者にもイケダハヤトさんは賛成していません。
ただの愚行と新しい価値観の創出は違うし、バカをバカと叩くだけでは建設的ではないからです。
まとめ
……ということで、同書は全体を通して、正直に書かれているので、炎上どころか好感が持てます。
ブログに対する目的や価値観は様々と思いますが、ブロガーとは新しい価値観を創出するアーチストだ、という考え方に関心をもたれたら、ぜひ同書を読まれることをおすすめします。
以上、『なぜ僕は「炎上」を恐れないのか 年500万円稼ぐプロブロガーの仕事術』(光文社新書)はイケダハヤトさんのブログに関する書籍、でした。
なぜ僕は「炎上」を恐れないのか~年500万円稼ぐプロブロガーの仕事術~ (光文社新書) – イケダ ハヤト
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