カープー苦難を乗りこえた男たちの軌跡(松永郁子著、駒沢悟監修、宝島社)をご紹介します。長谷川良平、上田利治、古葉竹識、外木場義郎、衣笠祥雄、山本浩二、達川光男といったOBの証言を中心に、その多くを1975年の初優勝までの苦闘に紙数を費やした資料的価値の高い書籍です。
日曜日は、大瀬良大地投手(広島東洋カープ)の「ノーヒットノーラン達成」でプロ野球の話題は持ちきりでした。
大瀬良大地ノーヒットノーラン達成!
祝勝会にて!これが今のカープの雰囲気です!笑
乾杯の音頭はやはりあの人!笑
#カープ #大瀬良大地 #ノーヒットノーラン pic.twitter.com/HWM3opy1aj— ???????????? (@CARP_taku1127) June 7, 2024
奇しくも背番号14。
あの、ノーノーを3度(うち完全を1度)達成した外木場義郎さんと同じですね。
カープのノーヒットノーラン達成者
1965/10/02 外木場義郎(1回目)
1968/09/14 外木場義郎(2回目・完全試合)
1971/08/19 藤本和宏
1972/04/29 外木場義郎(3回目)
1999/05/08 佐々岡真司
2012/04/06 前田健太
2024/06/07 大瀬良大地?? pic.twitter.com/UunkvMciSN— 綾城うしお??にじそ09【K-62】 (@ayaragiorange) June 7, 2024
藤本和宏投手なんて、もう広島ファンでも覚えていないんじゃないですか。
ということで、本書は広島東洋カープの歴史を、選手を中心に振り返っています。
監修者の駒沢悟さんは、新聞記者でしたが、長くラジオ日本の広島戦解説をつとめておられました。
印象に残る「赤ヘル」以前の戦士たち
私の子供の頃のプロ野球は、ちょうど巨人のV9のさなかでした。
情報は巨人一辺倒でしたから、巨人に対する憧憬がないわけではありません。
ただ、勝負事というのは、勝者だけではなく敗者もいて成り立つものです。
勝者への関心が増すほど、一方で勝者を勝者たらしめた敗者への関心も高まるという、弁証法的な関心から、広島東洋カープへの興味はどんどん深まりました。
まあ、弱いだけなら、サンケイ→ヤクルトや、大洋(現横浜DeNA)などもありましたが、広島カープはチームだけでなく、球団そのものが脆弱というところが惹かれましたね。
しかも、当時は12球団で唯一、四大工業地帯ではない自治体にフランチャイズがある、つまりマイナー感の否めない「地方球団」。←広島の方ごめんなさいね
ラジオの中継を聴いていると、野次が怖いし(笑)
相手チームが、ヒットやホームランを打つと静まり返っているし(笑)
そして、選手も個々には大変魅力ある選手がいました。
順位をつけるのはむずかしいのですが、この3人は挙げたいですね。
金城基泰
憧れて真似した
1975年カープ初優勝した時の胴上げ投手、金城基泰さんの美しいアンダースローに憧れて草野球の試合でアンダースローを真似ていましたねえ。
でもアンダースローってかなり難しく、すぐにオーバースローに戻しました?? #おひるーな pic.twitter.com/AdIuzKz9Lq— 水がめウサギ (@RyoProst) March 14, 2024
広島 初のリーグ優勝 胴上げ投手です。
このシーズンの抑えの切り札は、宮本幸信でしたが、古葉監督は、途中から1軍に合流した金城をたてました。
中継解説の別当薫さん(前監督)まで、「金城と水沼のバッテリーは息が合うんですよ」と肩を持ってたし。
その前年、20勝(最多勝)したオフに大事故。眼球を摘出する大手術で、特殊なコンタクトレンズをつけなければ日常生活を送れなくなったものの、翌シーズン後半に奇跡的にマウンドに復帰。
不幸によるハンデを背負ってカムバックした「辛さを克服して生きる」経験に惹かれるものがあり、金城基泰投手はもっとも印象に残る投手です。
外木場義郎
ノーヒットノーラン3回(うち完全試合1回)という不世出の怪物なのに、200勝していません。
弱いチームだった。長谷川良平監督に干されたことがある。エースとして責任持って無理したため晩年は不遇だった、といった理由が考えられます。
藤本和宏
8年のプロ生活で、勝ち星がついたのはわずか1シーズン。
ところがその唯一のシーズンで、ノーヒットノーラン、2桁勝利、防御率1位まで達成と、太く短すぎるプロ生活。
3人共タイトルホルダーなのに、引退後は外木場が数年コーチを努めただけで、指導者としては球界に残れませんでした。
藤本和宏に至っては、引退後は杳として消息が知れないといいます。
どうも私は、恵まれない「運命」の中で前向きに生きて短くともせいいっぱい光り輝いた、梶原一騎先生の描くヒーローのような人たちに惹かれるようです。
焼け野が原の広島から立ち上がった球団の苦労
『カープー苦難を乗りこえた男たちの軌跡』は、原爆の焼け野原から立ちあがったプロ球団広島が、幾多の苦難を乗り越え1975年の初優勝に辿りつくまでの数々のドラマが克明に記されています。
普通、安定した経営母体を親会社として球団は誕生しますが、広島球団は、もともとが特定の企業を親会社として誕生した球団ではありません。
市民球団といわれますが、市民が出資者という仕組みができていたわけでもないので、インディー球団といった方がいいでしょう。
創設2年目で大洋に吸収合併が決まりながら、土壇場で後援会制度や樽募金で維持することを決めたり、母体となった広島野球倶楽部が累積赤字でどうにもならなくなったときは、いったん会社を潰して債務を清算して新会社を作ったり(要するに登記上は偽装解散)、それを地元の税務署員が見逃したり、登記上は「新会社」であるにもかかわらず連盟は規定の新規加盟金を免じたりと、周囲の理解(お目溢し)のもとにギリギリの経営状態で持ちこたえてきました。
チームとしては、とくに根本陸夫監督と、ジョー・ルーツ監督によって行われたチーム改革が、リーグのお荷物球団から1975年の初優勝につながったといいます。
たとえば、根本陸夫監督は、元巨人の関根潤三や広岡達朗などをコーチに招聘して、プロ野球界の「ど真ん中」の考え方やプレーを啓蒙しました。
カープファンに限らず、プロ野球ファンなら興味深く読める本だとおもいます。
みなさんは、ご贔屓球団はありますか。
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