『ジャイアント台風』(梶原一騎原作、辻なおき画)は、プロレスラー・ジャイアント馬場の人気を不動にした昭和の半生紀漫画です。雑誌連載後、現在まで何度も単行本化されている人気作品ですが、昭和らしい虚実ないまぜのファンタジーにあふれています。
ジャイアント台風とはなんだ
『ジャイアント台風』は、日本のプロレスラー・ジャイアント馬場(1938年1月23日~1999年1月31日)が、プロ野球の読売ジャイアンツを自由契約なってから、日本プロレスに入門。アメリカ武者修行時代を経て、日本プロレスのエースになるまでを描いた半生紀です。
ただし、そのストーリーには、全くの創作や、出来事は事実でも時期が違っていたり背景に脚色があったりと、虚実ないまぜの物語になっています。
54年前に初出も現在も電子書籍で閲覧可能
『ジャイアント台風』は、梶原一騎の変名である高森朝雄が原作、辻なおき作画で、『週刊少年キング』(少年画報社)にて、1968年28号~1971年29号まで連載されました。
その後、単行本は少年画報社より全12巻、講談社よりワイド版全7巻、朝日ソノラマより愛蔵版全3巻、講談社漫画文庫全6巻など、何度も出版されている人気作品です。
そして、現在は、グループ・ゼロからKindle版(電子書籍)が全4巻にまとめられてリリースされています。
1968年~1971年というのは、日本プロレスにおいて、ジャイアント馬場の一強から、アントニオ猪木とBI砲といわれたあたりまでの期間です。
その時期、すでにジャイアント馬場は、日本のリングではメインイベンター、インターナショナルチャンピオンだったわけですが、金曜日に放送された日本テレビのプロレス中継、そして漫画との相乗効果で、ジャイアント馬場人気はいよいよ不動のものとなりました。
ジャイアント馬場とアントニオ猪木は、戦ったらどちらが強いか、という論争はこの頃から始まってはいましたが、集客力では明らかにジャイアント馬場>アントニオ猪木であったことは、当時のレスラーや日本プロレス関係者の話でも明らかです。
虚実ないまぜの異色作
『ジャイアント台風』の原作は、現在のKindle版では梶原一騎、『少年キング』に連載していた頃は、変名の高森朝雄でした。
そして、作画は辻なおきです。
そう、同時期に『ぼくら』(講談社)で毎回50ページ連載されていた、『タイガーマスク』コンビです。
そちらも、タイガーマスクにとって心強い味方として、ジャイアント馬場が描かれていました。
梶原一騎先生の作風は
- スポーツ(格闘技)や学園が舞台
- 主人公の創作キャラクターと実在する選手との共演
- 主人公は孤独でハッピーエンドにならない
- とくに母親の縁が薄い
といった特徴が挙げられます。
その中で、『ジャイアント台風』は1は当てはまりますが、3と4は当てはまりません。
梶原一騎先生は、少年時代ちょっとグレていた時期があります。
その原因はわかりませんが、一般論として少年がグレる多くの場合、親からの愛情の受け方が十分ではないケースが見受けられます。
いずれにしても、あまり幸福と感じられなかった生い立ちから、人生の寂しさや、身内の縁の薄さがそのまま作品に反映されています。
『巨人の星』も『あしたのジョー』も『タイガーマスク』も、決してハッピーエンドではありませんでした。
ところが、『ジャイアント台風』は、ジャイアント馬場がディック・ザ・ブルーザーを破ってインターナショナル選手権を戴冠。
母親を東京見物につれていき、さらにルー・テーズを破ってインターナショナル選手権を防衛したところで終わっています。
要するに、文句なしのハッピーエンドです。
しかも、母親の縁が薄いどころか親孝行です。
なぜ、梶原一騎作品としは異例のハッピーエンドだったのか。
理由は簡単で、それらはすべて事実だからです。
乗り物酔いをする母親を気遣って、電車で東京見物をしたジャイアント馬場のエピソードは泣けてくる『ジャイアント台風』https://t.co/z5WsANkSho #ジャイアント馬場 #ジャイアント台風 pic.twitter.com/CYEzSs5qnF
— 石川良直 (@I_yoshinao) November 7, 2018
しかも、ジャイアント馬場の評価を上げる「良いエピソード」ですから、物語では積極的に描くべき箇所です。
2は、少し変則的になります。
つまり、主人公のほうが実在する選手(ジャイアント馬場)であり、周囲の人には架空の人物が出てきたり、登場する選手は実在するけれども、物語に描かれている事実はない、つまり創作だったりします。
たとえば、ジャイアント馬場がアメリカ武者修行に出た時、何かと世話を焼き支えるジョージ・ミノル・岡本という日系人の少年が登場しますが、実在はしません。
「オデッサの惨劇」と名付けられた、フリッツ・フォン・エリックとの対決も描かれていますが、実際にはその時期の対決はありませんでした。
ただ、実際のジャイアント馬場対フリッツ・フォン・エリックは、日本武道館三大こけら落としイベントとして行われるなど、ドル箱カードであり、『ジャイアント台風』の創作によって、相乗効果としてさらに人気が増したといえます。
また、ジャイアント馬場は、世界三大タイトルに挑戦した実績がありますが、物語では描かれているものの時期が違っています。
各レスラーのギミックも、梶原一騎先生の創作のものが目立ちました。
では、ストーリーが全く創作かと言うとそうではなく、ジャイアント馬場という実在のレスラー、しかも日本のマットのトップレスラーの半生記ですから、先程のインターナショナル選手権など、少なくとも国内の出来事は主要なところで事実が含まれています。
そして何より、特訓は冷静に見れば「ありえないだろう」と思われる物が出てきます。
入門を申し出たジャイアント馬場に、力道山はそのテストとして、バーベルをジャイアント馬場の手足にくくりつけてドレッシングルームに叩き込み、そこにハチの巣を放り込んでドアを締め、出てこれたら入門を許可するという、猟奇的事件のようなエピソードがあります。
また、武者修行中のニューヨークでは、マンホールの蓋を開けて、ジャイアント馬場にその上でブリッジをさせて、力道山がのっかるというシーンもあります。
まあ、力道山は生前、かなり無茶なことを要求する人だったそうですが、さすがにそれはないだろう、と思うような特訓です。
きわめつけは、フリッツ・フォン・エリックのアイアンクロー(掌全体で相手の顔面をつかみ、指先で握力を使って締め上げる)対策に、ジャイアント馬場の頭を土の中に埋め、その上を日系人レスラーデューク・ケオムカが運転するジープで走るという特訓です。
#にわかには信じられない漫画のシーン
フリッツ・フォン・エリックの必殺技「鉄の爪」に対抗するため、顔を地面に埋めてその上をジープで轢かせるという謎の特訓をするジャイアント馬場の図 pic.twitter.com/ROzwFrSD80— ashen@一週間のご無沙汰でした。 (@Dol_Paula) May 20, 2018
もっともこれは、作画の辻なおきさんが、「いくらなんでも」とためらったそうですが、梶原一騎先生は「いいんだよ、それで馬場はあんな顔になっちまったんだ」とこじつけたという話が、『梶原一騎伝』(斎藤貴男著、新潮文庫)に出てきます。
その一方で、スクワットを繰り返すトレーニングで汗の水たまりができたとか、ジャイアント馬場の必殺技である32文ドロップキックはペドロ・モラレスのサゼッションを受けたなど、本当の話も含まれています。
虚実ないまぜではありますが、ターゲットとなる少年たちは、物語の大部分を額面通り受け取ったのではないでしょうか。
ま、私も当時はその一人でしたが(笑)
平成に入って、ジャイアント馬場について書かれた「ノンフィクション」の書籍は、2冊ご紹介しました。
一方、『ジャイアント台風』は、昭和時代のファンタジー込みの半世紀漫画です。
今では、こういうストーリーを作るのはむずかしいかもしれませんが、だからこそ、もう経験することがないであろう昭和らしいファンタジーを令和の時代に電子書籍で改めて読んでみるのもまた一興ではないでしょうか。
以上、『ジャイアント台風』(梶原一騎原作、辻なおき画)は、プロレスラー・ジャイアント馬場の人気を不動にした昭和の半生紀漫画です。でした。
コメント
ジャイアント台風はリアルタイムで読みました。
雑誌連載で、20代前半の「馬場対猪木戦」が詳しく描かれていたので、単行本を楽しみにしていました。確か1963年の第五回ワールドリーグ戦での対戦の回で、数ページありました。両者が目まぐるしく技の応酬を繰り返していました。小生の記憶は、三本勝負の一本目、馬場がテキサスブルドーザー(ヘッドロックしたまま相手を何度もねじ伏せ、体重をかけて肺を圧迫する痛め技)で先取。二本目は、猪木が当時の決め技のネックブリーカードロップから馬場をフォール。三本目は技の応酬から、馬場がコーナーポスト上段からの豪快なフライングニードロップでフィニッシュしました。
実は、今回も単行本未収録なのです。猪木も故人になりましたし、是非復刻してほしい名場面です。
コメントありがとうございます。
そうですね、当時の連載したものを余すところなくまとめてもらえるとありがたいですね。
『タイガーマスク』も、赤き死の仮面との対戦前に、寄付したお金で作ったプールに直人が放り込まれたり、ルリ子さんが黒いビキニで登場したりするシーンがカットされていましたし、第12回ワールドリーグ戦、ザ・コンビクトを破ったものの、ドン・レオ・ジョナサンに敗れて決勝に出られなかったシーンもありませんでした。それはちょっと残念でした。