佐川一政さんの訃報が話題です。そこで、『パリ人肉事件』を『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)で振り返ります

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佐川一政さんの訃報が話題です。そこで、『パリ人肉事件』を『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)で振り返ります

佐川一政さんの訃報が話題です。そこで、『パリ人肉事件』を『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)で振り返ります。蘭人女性を食した事件を起こしましたが不起訴処分になり、事件を題材にした『佐川君からの手紙』は芥川賞を受賞しました。

佐川一政さんが、2022年11月24日午後、肺炎のため東京都内の病院で73歳で死去したと報じられました。


留学中に蘭人女性を射殺し、遺体を食した「パリ人肉事件」で知られ、作家としても活動しました。

実弟の佐川純さんが上梓した『カニバの弟』の出版社が公式サイトで報告しています。


1981年のことなので、事件自体を知らない人たちが増えてきていると思いますので、佐川一政さんの『パリ人肉事件』を掲載した『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)から、振り返ってみたいと思います。

本書は、2022年12月2日現在、AmazonUnlimitedの読み放題リストに含まれています。

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フランスでは「心神喪失」も日本では「正常」と診断

『パリ人肉事件』と聞いて、どうして人肉を食したのか、どうして不起訴処分なのだろう、などと思われた方も多いのではないでしょうか。

人肉は、もちろん肉屋さんで売られていたわけではなく、フランス留学中に女性を殺害した、れっきとした猟奇殺人事件によるものです。

法治国家でそんなことがあるのか、と思われても無理ありません。

1981年6月11日。

フランス・パリ・エルランジェ通り100番地で事件は起こりました。

本書によると、佐川一政さんは、大企業の重役を父に持ち、経済的にはきわめて恵まれた環境に育ったそうです。

しかし、本人は病弱で、成人後も身長は150センチ程度。

性格は非常に内気で、文学、芸術、哲学などに傾倒し、関西学院大学大学院英文学専攻修士課程修了。

『川端康成とヨーロッパ20世紀前衛芸術運動の比較研究』で修士号を取得後、27歳でフランスのパリに留学しています。

そのとき、同じ大学で知り合い、親しくなった25歳のオランダ人女学生を、自分のアパートに招いて猟銃で射殺。

犯行の動機は、「彼女を食べたかったから」というものでした。

肉は2日間にわたって食べ続けたものの、全部は食べ切れないので、もてあました遺体の一部を公園の池に捨てようとし、不審を抱いた通行人に見つかります。

警察の取り調べで、犯行は素直に認めたといいます。

困惑したパリの司法当局は2年におよぶ精神鑑定を行なった結果、あまりに常軌を逸した犯行と、フランス語がうまく通じなかったこともあって、心神喪失と判断。

生後11ヵ月のころに患った日本脳炎の後遺症で、脳に重大な障害を負い、それが食人嗜好の遠因になったとされたのです。

精神病院で1年あまりをすごしたのち、日本へ強制送還されました。

ところが、帰国後彼を受け入れた東京の松沢病院は、正常と診断しています。

そこで、日本の警察は起訴する方針を固めたものの、フランスの司法当局は、事件の資料を日本側に提供することを拒否したのです。

自分のところで不起訴にしたものを、有罪にされたら、医学的にも司法的にも、メンツが丸つぶれということだったのでしょう。

資料がなければ争いようがないので、殺人罪で裁こうという動きは、立ち消えになりました。

ただし、医学的には精神異常ではないと診断した以上、いつまでも入院させておく意味はないので、1年3ヵ月後には退院。

結局、逮捕されてからわずか5年で、罰を受けることなく自由の身になりました。

本書は、こうまとめています。

食人嗜好を異常とするなら、彼はやはり精神病院にいるべきだろうし、食人嗜好があってもなお正常とするなら、あるいは食人嗜好自体が偽りであるなら、彼は刑務所にいるべきなのだろう。にもかかわらず、彼はそのどちらでもない一般社会で暮らしている。この矛盾をめぐる議論は、事件から30年を経たいまも続いている。

法治国家としての限界というか、法律で裁くとこういうこともあるんだなと思いました。

諸事情から起こる「未解決」な事件

『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)は、これまでいくつかの事件をご紹介してきました。

徳島ラジオ商殺し事件とは、1953年(昭和28)11月5日未明、ラジオなどの電気製品を商う男性(50)が、刃物で刺されて死亡した事件です。

徳島ラジオ商殺し事件など、未解決事件を様々な角度から推理しているのは『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)
徳島ラジオ商殺し事件など、未解決事件を様々な角度から推理しているのは『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)です。現在も10件に1件の割合で未解決事件が存在します。未解決事件解決のため、同じ悲劇を繰り返さないための「戦後犯罪史考」です。

目星をつけた容疑者の容疑が固まらず、検察は内縁の女性を犯人と決めつけたものの、実は強引な自白による冤罪事件でした。

和田心臓移植事件は、1968年(昭和43年)8月8日に札幌医科大学で行われた、和田寿郎教授による日本初の心臓移植手術失敗をめぐる事件も掲載されています。

和田心臓移植事件など、未解決事件を様々な角度から推理しているのは『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)です。
和田心臓移植事件など、未解決事件を様々な角度から推理しているのは『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)です。ドナー(提供者)の脳死認定や手術に問題が散見され、その後31年間にわたって医学界では心臓移植が禁句になった黒歴史事件です。

嫌疑不十分で医師団は起訴されませんでしたが、日本の心臓移植手術は、海外より30年以上遅れていると言われています。

ロス疑惑事件は、現地を旅行中だった三浦和義さん夫妻が、路上で2人組の強盗に襲われ銃で撃たれた事件です。

ロス疑惑事件など、戦後の未解決事件を様々な角度から推理しているのは『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)です。
ロス疑惑事件など、戦後の未解決事件を様々な角度から推理しているのは『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)です。疑惑はたしかにありましたが真偽は不明。しかし、その段階からマスコミはクロと決めつけたロス疑惑など「戦後犯罪史考」です。

『週刊文春』は保険金殺人と書きたて、ワイドショーでも盛んに取り上げましたが、捜査は一事不再理の原則が破られるなど強引な面もありました。

いずれも、人が人をさばくということの難しさ、法で裁くことの限界などを考えさせられます。

日本の戦後殺人事件の検挙率は、一貫して安定して高水準といわれています。

数字上は、90.0%~98.3%の間で推移していると発表されています。

しかし、それは見方を変えれば、10件に1件の割合で未解決事件が存在するということです。

その中には、冤罪も含まれているかもしれません。

今回の佐川一政さんの事件のように、調べたくても事情があってできなかったものもあるかもしれません。

そうした未解決事件解決のため、同じ悲劇を繰り返さないための「戦後犯罪史考」として、本書をご覧頂くことをお勧めします。

以上、佐川一政さんの訃報が話題です。そこで、『パリ人肉事件』を『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)で振り返ります。でした。

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