ブッダと法然(平岡聡、新潮社)は、タイトル通り、仏教の開祖である釈迦と比較した浄土宗開祖である法然についての話です。

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ブッダと法然(平岡聡、新潮社)

ブッダと法然(平岡聡、新潮社)は、タイトル通り、仏教の開祖である釈迦と比較した浄土宗開祖である法然についての話です。ただし、仏教にあまり詳しくない方もおられると思うので、ここでは端的に、法然に絞っての紹介記事とさせていただきます。<span id=

先日、最澄が比叡山にお寺を建て、天台宗を興したことをご紹介しました。

最澄など、まんがでわかる偉人伝 日本を動かした312人(よだひでき著、ブティック社)は歴史に名を残す312人の功績を漫画化
まんがでわかる偉人伝 日本を動かした312人(よだひでき著、ブティック社)は、タイトル通り歴史に名を残す312人の功績を漫画化しました。この記事では、その中で、比叡山に延暦寺を建立した天台宗の開祖である、伝教大師こと最澄の話をご紹介します。

そこから、こんにちの日本の仏教各宗派の開祖が巣立っていきました。

真言宗、臨済宗、曹洞宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗……

巣立った時代名から、日本の伝統ある仏教各宗派の総称を、「鎌倉仏教」などともいいます。

天台宗のもとになるお経は、『般若経』や『法華経』で、独立した宗派もその影響がありましたが、それらを継承しなかった比叡山出身の僧による宗派もあります。

それが、法然(ほうねん、1133年 – 1212年)の浄土宗と、その弟子の親鸞の浄土真宗です。

あわせて浄土教ともいわれます。

今回ご紹介するのは、その法然の方です。

法然がどうして天台宗を継承しなかったかというと、仏道修行を否定し、専修念仏の立場に立ったからです。

要するに、阿弥陀仏をひたすら信じ、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることだけで、誰もが極楽浄土に往生できると説きました。

浄土宗は「他力本願」といい、自分が「いかにたくさん念仏を唱えたか」という自力のはからいで救われるわけではなく、阿弥陀仏を信じる信心ができるかどうかで成仏できるかどうかが決まります。

それを、「決定信」ないしは「決定心」といいます。

ちなみに、同じ概念を浄土真宗では、信心決定(しんじんけつじょう)といいます。

現在、日本の仏教信者ベスト3は、1位が浄土真宗本願寺派、2位が真宗大谷派、3位が浄土宗と、浄土教が圧倒的割合でベスト3を占めています。

その基礎を作った法然は、日本の仏教史において非常に重要な人物です。

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法然の教えは「念仏だけ」


法然は1133年に美作国久米(現在の岡山県)で生まれました。

幼名を勢至丸(せいしまる)といい、父は押領使(現在の警察的役割の官職)である漆間時国でした。

1141年、父が敵対する武士に襲われ重傷を負い、法然は父の遺言に従い、復讐を断念し出家を決意します。

法然は比叡山延暦寺で修行を積み、叡空や源空といった師のもとで学びました。

法然は、「智慧第一の法然房」と称されるほどの優れた才能を発揮し、仏教の教えを深く理解したといわれています。

1175年、法然は浄土宗を開宗しました。

阿弥陀仏を信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることで誰もが極楽浄土に往生できると説きました。

この教えは「専修念仏」と呼ばれ、従来の修行仏教とは異なる「他力本願」の教えとして広まりました。

法然の教えは、貴族や僧侶だけでなく、庶民や女性、さらには罪人までもが救われるべきだと説きました。

法然の教えは「念仏だけ」ですから、修行や寄付が難しい人々にも実践可能なものです。

社会のあらゆる階層に広がり、多くの人々に受け入れられ、仏教の救いを広く普及させることに成功しました。

しかし、それが他の僧侶や宗派の根深い嫉妬を生み、朝廷はいつも「あいつをなんとかしてくれ」と突き上げを食って困っていました。

そんなとき、1204年に、自分の側室が浄土宗に得度したことで、「ウチのとなんかあっったんだろ」と、後鳥羽上皇のヤキモチ的な怒りを買い、法然は土佐(現在の讃岐)へ、その弟子の親鸞は佐渡に流罪となりました。

そして、僧籍まで取り上げられ、法然は藤井元彦さんになってしまいました。

1207年に許され、1211年に帰京しましたが、もうそのときは歳を取っており、その翌年に京都で亡くなりました。

法然には多くの弟子がいましたが、特に有名なのは親鸞です。

親鸞は浄土真宗の開祖とされますが、親鸞自身は開祖の意識はまったくなく、生涯を通じて法然を師と仰ぎました。

法然の教えは、弟子たちを通じてさらに広まり、今日の日本仏教に大きな影響を与えています。

浄土宗と浄土真宗は戦争なんかしません

浄土宗と、浄土真宗の違いは、また親鸞をご紹介するときにでも、詳しく書きます。

一部ご心配な方が、浄土宗と浄土真宗で、宗教戦争が起きないかと懸念されていますが、もともと仏教は、自己の心の中の煩悩を取り除く宗教であり、陣地を広げて世界征服を考えているわけでもありません。

何より、浄土真宗系の大学では、今も浄土教関連の講座は、「法然上人」のエピソードから学ぶことになっています。

ですから、それはあり得ないと思います。

たしかに、浄土真宗は、一向一揆の歴史はありますが、それはあくまでもサイコパスな織田信長や、徳川家康など支配体制に対して、武士も農民も信徒が団結して抵抗したたたかいであり、他宗との覇権争いやクーデターのタグいではありません。

ちなみに現在、政府要人の靖国神社参拝に、政教分離の原則からもっとも旗幟鮮明に反対の姿勢を示しているのは、浄土真宗です。

と書くと、ネトウヨに叩かれそうですが、かつての安倍晋三後援者で、現在日本保守党支持を打ち出している井川意高さんも、靖国神社の政府関与には反対。歴代天皇が、A級戦犯合祀に不快感を示して参拝していないことにも賛成しています。


「靖国賛成は保守、反対は反日」などというセクト主義ではなく、あくまでも史実にのっとって是々非々の立場を取るというのが、井川意高さんのスタンスで、私もそれは賛成です。

それは、中国や韓国の機嫌を伺っているからではないし、東京裁判の公正性の問題などともまた別の話です。

私がいいたいのは、「右」も「左」も、そうやって是々非々でとらえる人達ばかりだと、もっと前向きな話ができて政治も前に進むということです。

……ええと、余談が長くなりましたが、これを読まれた浄土宗の信徒の方もいらっしゃると思います。

各地の寺院では、信徒におもネて、自力のはからいを推奨する住職/僧侶もいるかもしれませんが、浄土宗は少なくとも学問的には、他力本願の宗派ということは覚えておいてください。

ところで、ご自身のご実家の菩提寺や宗派って、ご存知ですよね。

ブッダと法然 (新潮新書) - 平岡聡
ブッダと法然 (新潮新書) – 平岡聡

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