レ・ミゼラブル(あゝ無情)はロマン主義のフランス文学。『まんがで読破』シリーズとしてバラエティ・アートワークスが漫画化しました。パンを盗んで投獄されたジャン・バルジャンと、ジャベールが警察署長の因縁をヴィクトル・ユーゴーが描きました。
『レ・ミゼラブル』は、『あゝ無情』というタイトルで日本でもお馴染みです。
本書は、そのヴィクトル・ユーゴーが著したロマン主義のフランス文学作品を、バラエティ・アートワークスが漫画化し、Teamバンミカスから上梓しました。
『まんがで読破』というシリーズ名がついています。
同シリーズの書籍は、これまでに島崎藤村の『破戒』や、森鴎外の『舞姫』などをご紹介しました。
さて、本作は、革命時代のフランスを舞台にしています。
1832年6月5日~6日にかけて発生した、パリ市民による王政打倒の暴動、「パリ蜂起」(6月革命、六月暴動)も物語中に出てきます。
パンを盗んだ罪をきっかけに、19年間の投獄生活を経て出獄したジャン・バルジャン。
司教の導きで心を入れ替え、名前を変え市長となります。
あるきっかけで、孤児のコゼットを育てることになりますが、そこに牢獄で看守をしていたジャベールが警察署長として赴任し、逃亡人生が続きます。
本書は2022年12月3日現在、AmazonUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
この記事は、Kindle版をもとにご紹介しています。
罪人はどこまでいっても罪人…ではなかった
『レ・ミゼラブル』は、フランスの作家ビクトル・ユーゴーによって書かれた長編小説です。物語は19世紀のフランスを舞台にしており、フランス革命後の社会的不平等と人間の善悪についての物語となっています。
物語の主人公は、元受刑者のジャン・バルジャンで、彼は19年間もの刑務所生活を送った後、自由を取り戻しました。しかし、彼は社会的に追い詰められ、なかなか再就職ができず、最終的には盗みを働いてしまいます。しかし、彼はその後、身分を偽って新しい人生を始め、市民としての生活を送るようになります。
物語は、バルジャンがコゼットという少女を養女として引き取るところから始まります。彼女の母親は、ファンティーヌという女性で、彼女は貧困に苦しんでいました。バルジャンは、彼女が社会的に追い詰められていることに同情し、彼女を救うために全力を尽くします。
一方、彼らの周りには、警察官のジャベールや、革命家のエンジョラス、そして、コゼットの母親の恋人であるテナルディエという悪徳商人がいます。彼らの人生が、バルジャンとコゼットの生活と交差することで、物語は進んでいきます。
物語は、フランス革命後の社会的不平等をテーマに、愛、献身、自由、正義、そして、人間の善悪を描いた、感動的で力強い物語となっています。
本作は、原作とは少し違うところもありますが、原則本作からご紹介します。
時は1815年の秋。
ディーニュのミリエル司教の司教館に、ジャン・ヴァルジャン46歳が訪れます。
姉の子ども達のために、1本のパンを盗んだ罪で19年も服役していました。
司教は温かく迎え入れてくれましたが、ジャン・ヴァルジャンは司教が大切にしていた銀食器を盗んで逃げてしまいます。
ところが翌朝、彼は憲兵とともに戻ってきます。
「こいつ、盗んだんでしょ。司教様からいただいたと言い張っているんですがね」
ところが、司教は、「ええ、たしかに食器は私が与えました」と言って放免させました。
その上、残りの2本の銀の燭台も彼に差し出し、こう言いました。
「私は、この銀器であなたの魂を悪から買い戻しました。あなたはもう、悪と縁を切ったのです。私はあなたを信じています。正直な人間になるのですよ」
ところが、ジャン・ヴァルジャンは誤解から若い煙突掃除の給金を盗んだカドで、また警察に目をつけられます。
かつてジャン・バルジャンの看守だったジャヴェール刑事は、「犯罪者はどこまでいっても犯罪者だ」と、以後不思議と彼の転居先に転任し、終生追い回します。
ジャン・ヴァルジャンは、モントルイユ=シュル=メールで「マドレーヌ」と名乗り、一介の労働者だったのに破産した工場を買収し、黒いガラス玉および模造宝石の産業を興して成功をおさめ、利益を市に分配して市民の信頼を得て、銀食器「事件」からたった4年で、何と市長になっていました。
このへんが、さすがに19世紀といえども「それはないだろう」と思うのですが。
ジャン・ヴァルジャンの工場では、ファンティーヌという女性が働いていました。
彼女はシングルマザーで、3歳になる娘コゼットを里親に出していました。
ところが、それがバレて工場を解雇され、その上コゼットの里親が業突く張りで、ファンティーヌから次々無心をするので、ファンティーヌは髪を売り、身体を売り、前歯を売り、病気になってしまいました。
その間、ファンティーヌはジャヴェール刑事に悪態をついて捕まりそうになったところを、ジャン・ヴァルジャン=マドレーヌ市長に止められます。
当時のフランスは三権分立はなく、市長がだめと言ったら逮捕も出来ません。
ジャン・ヴァルジャンは、自分が解雇したわけではありませんでしたが、病に倒れたファンティーヌの窮状を知り、彼女の娘コゼットを連れて帰ることを約束しました。
こうやってマドレーヌ市長とジャヴェール刑事は、絡みがあるのですが、どうしてジャン・ヴァルジャン本人とわからないんでしょうね。
さすがにそれは無理があると思ったか、ジャン・ヴァルジャンをカミングアウトするシーンもあります。
コゼットを迎えに行こうとした矢先、ジャン・ヴァルジャンと間違えられて逮捕された男のことをジャヴェールから聞かされます。
「正直に生きる」という決意の通り、ジャン・ヴァルジャンは裁判所にあらわれて自分の正体を明かします。
ジャン・ヴァルジャンは逮捕されて終身徒刑(終身刑)に。
ファンティーヌは、そのショックで亡くなってしまいます。
それでも、ジャン・ヴァルジャンは脱獄してコゼットのもとに。
里親は、ジャン・ヴァルジャンにコゼットの返還料を高くふっかけますが、ジャン・ヴァルジャンは即時払いで決着をつけます。
そして、ジャン・ヴァルジャンとコゼットとの生活が始まります。
その10年後、2人が日課であるリュクサンブール公園の散歩をしていたとき、弁護士であり、「六月暴動」の共和派(レプブリカン)の秘密結社ABC(ア・ベ・セー)の友に所属するマリユスに目撃されます。
パリでは、共和制を実現しようという勢力がいたので、官憲はそれを鎮圧しようとしていました。
マリユスはコゼットに一目惚れしてし、2人は急接近します。
一方、その秘密結社の会合には、パリに転勤になったジャヴェール警部の配下の者が、スパイとして紛れ込んでいます。
ジャン・ヴァルジャンは、マリユスを見てから嫌な予感がして、イギリスに引っ越すことを突然思い立ちます。
その予感はあたっていました。
マリユスを監視していた配下の者が、コゼットの名を、ジャヴェール警部に伝えるのです。
ジャヴェール警部は、そんにな都合よくジャン・ヴァルジャンのいるところに転勤するのか、というツッコミは、とりあえずここではしません。
ジャヴェール警部がジャン・ヴァルジャンを捉える前に、彼らが先に共和派の秘密結社ABC(ア・ベ・セー)の友を監視するスパイとバレてしまいます。
「権力者の犬め。柱に縛っておけ」
ジャヴェール警部は、柱にくくりつけらけますが、何と、それを見たジャン・ヴァルジャンは、彼を助けてしまいます。
「何を考えているのだ。なぜ私を殺さないんだ。死ぬまで追い続けるぞ」
しかし、ジャン・ヴァルジャンは、「キミは自由だ」と見逃します。
官憲は、共和派を包囲していました。
ジャン・ヴァルジャンは、コゼットの恋人であるマリユスを担いで下水道から逃げます。
そして、ようやく地上ーといっても橋の下ですがーに出ると、しつこくもジャヴェール警部が待ち構えていました。
「頼む。彼はコゼットの恋人なんだ。私を捕えるかわりに、彼を自由にしてくれ」
さっき助けてもらったからか、ジャヴェール警部も譲歩します。
「よし、わかった。そいつを送ったら、またここに戻ってこい」
「ありがとう」
「フンッ」
ジャン・ヴァルジャンは、コゼットの恋人であるマリユスを、馬車でコゼットの元へ届けます。
そして、コゼットに別れを告げてから、約束の場所に戻ります。
びっくりしたのは、ジャヴェール警部です。
「まさか本当に戻ってくるとはな」
「戻ってこいといったのはキミだろう」
「なぜ私を殺さなかった」
「人を傷つけたくなかったからだ」
「この私を憎んでいないのか」
「恐れてはいたが、憎んでなどいない」
「なぜだ」
しばし沈黙の後、ジャン・ヴァルジャンの手錠を外すジャヴェール警部。
「ジャン・ヴァルジャン。キミは自由だ」
ジャヴェール警部は、その手錠を自分にはめて、セーヌ河に身を投げました。
「罪人は罪人のままだと思っていたが、人を愛することこそが真実なのだ」と言い残し。
原作はまだ先があるのですが、本作はこのクライマックスで終わっています。
フランスの“大映ドラマ”
レ・ミゼラブル(あゝ無情)は、まあ、私の感想としては、「フランスの大映ドラマ」といった趣です。
かつて最大手の映画会社だった大映の「テレビ映画」制作部「大映テレビ室」が分社して、1971年に誕生したのが大映テレビ株式会社。
その大映テレビ株式会社の制作したドラマ群を、テレビドラマ史的には「大映ドラマ」と呼んでいます。
【テレビ】「大映ドラマ」トンデモ設定、ぶっとんだ演出&セリフでもヒットを連発!その歴史を振り返る [鉄チーズ烏★] https://t.co/emT7QvawBH pic.twitter.com/h8kNfLjpgw
— 赤べコム (@akabecom) May 28, 2022
主に1970年代~1990年代前半ぐらいに作られた「大映ドラマ」の作り方は一貫していて、その特徴は、
- ありえない設定
- 過剰で過激な演出
- 人間の実像を隠さない
- オーバーなセリフ
などにありました。
今のネット時代なら、ツッコミどころ満載ですが、サスペンス調でもあったため、当時は学校でクラスメイトと必ず話題にしたものです。
本作はそもそも、パンを盗んで懲役19年ですよ。
もちろん、それだけでなく罪を重ねたからであり、そこまでは、マブチモーター社長宅殺人放火事件の元死刑囚に通じるものがありました。
極貧が「貧すれば鈍す」につながったわけです。
しかし、その後、市長になるというのがね。
転落に転落を重ねた人物が、そんなに簡単に更生して市長になれるのかと。
マブチモーター社長宅殺人放火事件の元死刑囚も、更生するチャンスが有り、実際に当人も努力した面もあったようですが、でもやっぱりダメなんですよね。
そういう人は、そういう「ほしのもと」にあるとしかいいようのない運命の悪戯で、頑張っても必ず再転落の運命があり、ほとんどはそれに負けてしまうのです。
会社の経営者ぐらいなら、努力でなれないことはありませんが、市長というのは権力を握れますから、いろいろな人が狙っていて、足の引っ張り合いをしているはずです。
なのに、元懲役19年が、あっさりそれをすり抜けてしまうのかと思いました。
あとは、登場人物の出会い方とかね。
たとえば、その間、ファンティーヌはジャヴェール刑事に悪態をついて捕まりそうになったところを、ジャン・ヴァルジャン=マドレーヌ市長に止められるシーン。
「当時のフランスは三権分立はなく、市長がだめと言ったら逮捕も出来ません。」と書きましたが、だったらマドレーヌ市長は、市長権限で自分の逮捕だって止められただろう、というツッコミを入れることが出来ます。
そして、ジャン・バルジャンは住居を何度か変えていますが、ジャヴェール刑事はその都度転勤(?)で追いかけ続けているのです。
人を殺したわけでもなく、危険薬物を服したわけでもなく、政府を転覆させる悪巧みをはたらいたわけでもないコソドロに、そんなにエネルギーを注ぎ込むというのがわかりません。
フランス警察は、よほど暇なんですね。
ラストでは、因縁のジャヴェール刑事が死にます。
原作は、セーヌ河にかかる橋から身を投げるのです。
本作では、ジャン・ヴァルジャンの見ている前で、手錠を自らはめてセーヌ河に身を投げるのです。
ジャン・バルジャンが正直に戻ってきたというだけで、なんで命まで落とすの?
それまで、あんなにしつこく追ってたじゃないって思いました。
しつこく追い詰めるほどのものかどうかはともかくとして、ジャン・バルジャンに嫌疑があるのは事実なのに、なんで追いかける側が命まで絶つ必要があるのでしょうか。
ま、逃すということは、自分の立場上許されない背任なので、自分を許すことは出来ないという理屈なのだと思いますが、たとえばそこで何かの方便で逃して、また追い続ければ良いのでは?ルパン三世と銭形警部のように、なんて思いました。
たとえば、オー・ヘンリーの、老刑事が金庫破りを見逃した話(『よみがえった改心』)のようにね。
はっきり述べてしまえば、死なせるのは過剰というか「蛇足」ではないかと。
まるで『新幹線大爆破』(1975年、東映)で、すでに犯人を追い詰めているのに、わざわざ射殺したシーンを思い出しました。
時代が違うといえばそれまでですが、ことほどさようにいささか大仰になっている印象がありました。
まあ、それだけ、逆境を生き抜く不屈の人生と、スリリングでドラマチックな展開を描きたかったということでしょうね。
以上、レ・ミゼラブル(あゝ無情)はロマン主義のフランス文学。『まんがで読破』シリーズとしてバラエティ・アートワークスが漫画化、でした。
レ・ミゼラブル (まんがで読破) – ユゴー, バラエティ・アートワークス
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