借金を返すためにマグロ漁船に乗っていました(菊地誠壱、彩図社)は、両親の借金を返すためにマグロ船で働きお金を渡していた話

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借金を返すためにマグロ漁船に乗っていました(菊地誠壱、彩図社)は、両親の借金を返すためにマグロ船で働きお金を渡していた話

借金を返すためにマグロ漁船に乗っていました(菊地誠壱、彩図社)をご紹介します。両親の借金を返すためにマグロ船で働きお金を渡していた話です。高校を中退した17歳の青年による、マグロ船船員の過酷な労働、パワハラやいじめ、生命の危険などが描かれています。

昔から、マグロ漁船は、「ヤクザから借金のカタに乗せられる」「給料は超高額」といった都市伝説のようなイメージがありますが、その真相が語られているのが、本書『借金を返すためにマグロ漁船に乗っていました』(菊地誠壱、彩図社)です。

結論から書くと、「カタ」ではないけれども、「借金」が動機で著者はマグロ船にのりました。

そして、「給料は超高額」とはいえません。

たんに食えないから仕方なく、という生半可な気持ちでは、とてもじゃないけれど務まらない世界であることを明らかにしています。

本書によると、マグロ船船員は、「闇金や裏社会とも密接な関係がある」と書かれ、労働基準法が適用されない超ブラックな労働形態で、5~8時間の睡眠時間と、15分×4回の食事休憩以外は肉体労働。

さらにパワハラもひどく、暴力もあったようです。

著者は、そこに17歳のときに飛び込みました。そして3年間、短くて1ヶ月、長いときは1年間のマグロ船生活を送りました。

実家が5000万円の借金を作ったからです。

台風で養殖のアワビを駄目にして1000万の借金をこさえたのは不運としても、再建のフリをするために、勝算のない民宿を開業したことで借金が膨らんだとか。

まあ、第三者が評価するのもアレなんですが、教育熱心でもなく、父親はカタギでなさそうな怖さを感じる人で、そんな家庭で育った子供はちょいとグレてしまいます。

農林高校では停学を繰り返し、父親が不機嫌になるからと「もう学校はやめる」と宣言すると、父親はさっそくマグロ船に乗ることを勧めたそうです。

著者には悪いけど、私だったら、息子の退学を止めずに、マグロ船を勧めるような親には育てられたくないな。

しかし、著者は、いつも親に感謝して、手取り給料の大半を両親に渡しています。

ストレス耐性が低く、物事を合理的に考えるといわれるゆとり世代で、こんな「おしん」みたいな人がいるんですね。

著者には悪いけど、第三者的に見て、著者の親は、「ハジ」という言葉を知らないのかな、と思いました。

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かなり過酷な船員生活と内心の「生きがい」


すでに、著者のマグロ船経験は、YouTubeでも紹介されています。

マグロ船の船員の苦労は、多岐にわたります。

まず、船上での作業は、非常に過酷です。

いうまでもありませんが、船の揺れになれることが大前提です。

マグロは大きくて重いので、延縄を引き上げたり、マグロを船に積み込んだりするのには、大きな力と技術が必要です。

また、船は揺れるので、バランスをとるのも難しいです。

作業中に怪我をしたり、海に落ちたりする危険もあります。

本書でも、船長がドボンしています。

マグロだけでなく、サメが捕れることもありますが、サメは頭部を切り落とされても噛みつくので、頭をかち割って頭部を切り落とし、目玉に指を入れて自分の側に口が来ないようにして海に捨てるのだそうです。

船上での生活は、孤独で退屈です。

マグロ船は、1ヶ月~1年にも及ぶ長い航海をします。

その間、陸から離れて、同じ船の中での共同生活を送ります。

船員は、教養や社会経験の豊かな紳士、とは対極にある人々です。

コミュニケーションや人間関係には、とりわけ気を配らなければなりません。

さらに、船上での食事は、偏りがちです。

船には、コック長が乗っていて、船員の食事を作りますが、食材は、船に積んだものや、海外の港で調達したものに限られます。

新鮮な野菜や果物は、なかなか手に入りません。

ただ、捕れたマグロりおすそ分けはあります。

著者はけなげにも、それも両親にあげています。

どこまで親孝行なんでしょうか。

しかし、そこに悲壮感はなく、弟や妹のためにも、家族のためにも、自分が頑張らなければならないという使命感を生きがいとしていたようです。

親孝行というのは、犠牲や義務でするものではなく、自分の意志で行うものなのです。

マグロ船の実態と青年の成長

この本の見どころは、まずマグロ漁船の実態を赤裸々に描いたことです。

漁船員としての仕事内容や生活環境、給与や待遇、船内の人間関係など、知られざるリアルを詳細に語っています。

マグロ船での仕事が難しく、最初は何もできなかったといいます。しかし、徐々に仕事を覚えていき、上司や先輩から認められるようになり、マグロ漁船員という職業に誇りを持ち、自分の仕事を通して日本の食文化に貢献していると感じるようになりました。

さらに、同じ船に乗る仲間との絆が彼を支えてくれたことをかたっています。彼は、仲間と一緒に苦労したり、笑ったり、泣いたり、喧嘩したり、助け合ったりしたことで、仲間との信頼関係を築いていき、仲間との絆が自分の生きる力になったといいます。

つまり、17歳だった彼の成長や変化も描かれているわけです。

前述のように、第三者的に見て彼は毒親育ちです。

しかし、「毒親に育てられてダメな私になった」と、親の仕打ちや「ほしのもと」を人生の着地点とするのではなく、そのような親に育てられた自分を理解し、マグロ船の経験を自分の人生を歩んでいくための”出発点”としているのです。

この本は、マグロ漁船という特殊な世界に興味のある人はもちろん、自分の人生に悩んでいる人や夢を追いかけている人にも勇気や希望を与えてくれる一冊だと思います。

以上、借金を返すためにマグロ漁船に乗っていました(菊地誠壱、彩図社)は、両親の借金を返すためにマグロ船で働きお金を渡していた話、でした。

借金を返すためにマグロ漁船に乗っていました - 菊地誠壱
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