十河信二など『四百文字の偉人伝』(秋田総一郎著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、タイトル通り1人400字で社会に爪痕を残した人物を紹介しています。古今東西、あらゆる偉人101人は、「反面教師的に名を残した人」「功績も罪悪も大きい人」も含めてリストアップされています。(文中敬称略)
本書『四百文字の偉人伝』(秋田総一郎著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、
1.「反面教師的に名を残した人」「功績も罪悪も大きい人」も含む!ことと、
2.400字で紹介!
というところが特徴です。
たとえば、アドルフ・ヒトラーも入っています。
これはべつに、ヒトラーのユダヤ人虐サツや戦争犯罪を免罪するわけではなく、「なぜそんなことをしたのか」という問いかけを行っています。
400字ですから、導入だけですが、その人の転機や生き様の特徴などをピンポイントで紹介しています。
これまで、本書から安藤忠雄と井深大をご紹介しました。
今回は、国鉄総裁をつとめた十河信二(そごうしんじ、1884年4月14日 – 1981年10月3日)をご紹介します。
十河信二は、日本の鉄道事業に大きな功績を残した実業家であり、特に東海道新幹線の実現に尽力したことで知られています。
彼は明治から昭和にかけて、鉄道インフラの発展において中心的な役割を果たし、後世の日本社会に多大な影響を与えました。彼の生き様と功績にフォーカスします。
反対を押し切って開業にこぎつける
赤レンガの東京駅舎に向かって、あら、こんなところにどなたが?とググったら、十河信二氏でした。まあ、伊予西条駅に記念館のある方じゃないの。(楠木) pic.twitter.com/Lu5lE1aR3Q
— 劇団桃唄309 (@momouta309) November 8, 2024
十河信二は、1884年に香川県に生まれました。
旧制中学や高等商業学校を経て、東京帝国大学に進学し、法律学を学びました。
卒業後、鉄道院(のちの日本国有鉄道、通称「国鉄」)に入省し、鉄道業務に従事します。
十河信二の最大の功績は、1955年に国鉄総裁に就任した後、東海道新幹線計画を強力に推し進めたことです。
当時、国鉄は輸送力の限界に直面していました。
戦後復興の中で人口が増え、経済活動が活発化する中で、東海道本線など主要幹線の輸送需要は増加し続けていたからです。
右肩上がりの日本の経済力を支えるため、鉄道の高速化と輸送力の増強が急務とされていたのです。
当初、国鉄内では高速鉄道の実現について懐疑的な意見が強く、また巨額の資金を要することから反対も多くありました。
しかし、十河は計画をあきらめず、「夢の超特急」として新幹線の実現に向けた計画を進めます。
彼は当時の首相や国会議員を説得し、また国鉄内外で強力なリーダーシップを発揮して、計画に対する理解と支援を得ました。
また、国際的にも評価が高まるようアプローチを行い、世界銀行からの融資を獲得することに成功しました。
この融資は当時の日本経済においても異例のもので、非常に困難な交渉の末に実現したものでした。
技術的には、技術者たちに大胆なアイディアを採用するよう促し、高速鉄道に適した車両や、専用のレール、運行システムを開発させました。
結果として、従来の鉄道とは異なる高速鉄道の基礎が築かれ、1964年に東海道新幹線が開業しました。
新幹線は東京と大阪を約4時間で結び、日本国内外に衝撃を与えました。
これは当時として画期的な速度であり、日本の経済発展においても重要な要素となりました。
1964年の東海道新幹線開業は、日本に新たな高速交通時代をもたらしました。
新幹線は輸送量を大幅に増加させ、東京・大阪間のビジネス往来を劇的に活性化させました。
また、これにより国鉄の収益も改善され、新幹線はその後の日本経済の発展を支えるインフラとして定着しました。
十河の新幹線開業への貢献は評価され、彼は「新幹線の父」として称えられました。
たんに速いだけでなく、「安全性」「正確性」「効率性」を兼ね備えた理念は、現代の新幹線の運行にも脈々と引き継がれています。
新幹線というと、いまだに0系車両をイメージします
ねぇみんな知ってる?
「新幹線の父」が東京駅で列車を見守っていること??第4代国鉄総裁の十河信二さん。
東海道新幹線を実現に導いた人物なんだズラ?1973年(昭和48年)4月20日、東京駅18・19番ホーム新大阪駅側に十河総裁の碑が建立されていて、日々、新幹線を見守っているよ?? pic.twitter.com/dWf69ae3NS
— ずらし旅【JR東海公式】 (@zurashi_tabi) April 12, 2024
「コンクリートより人」派の人々は、山を崩してトンネルを掘り、地域住民の土地を買収する新幹線建設に反対しました。
また、新幹線建設は、田中角栄が推進した「日本列島改造論」の一環として行われましたが、田中は全国的なインフラ整備を目指し、新幹線や高速道路の建設を含む大規模な公共事業を推進しました。
これにより、地方経済の活性化や交通網の整備が進みましたが、一方で多額の国費が投入されたことで、政府の財政負担が増大したとの批判があり、国鉄の分割民営化の口実にもされました。
しかし、そういう批判者が、今や当たり前のように新幹線や高速道路を使い、インターネットを利用するのはどういうことなんでしょうか。
不可逆的な物流や生活の質の変化に対応するために、科学技術の導入はむしろ必然ではないかと私は思います。
「コンクリート」か「人」かのオール・オア・ナッシングではなくて、「コンクリート」と「人」の関係をどう調整していくかを考えるのが政治だと思うのですが、いまだに政治の議論というと、オール・オア・ナッシングなので、結局、数の力で強行採決するか、何も決められないか、しかなくなってしまうのです。
SLもブルートレインもいいですが、やはり新幹線は便利だと思います。
関東関西間が日帰り出張ができる。これはすばらしいことです。
私は、最も長い距離としては、山陽本線「新山口」まで日帰り出張で利用したことがあります。
時間ギリギリでも飛び乗れる新幹線のほうが飛行機よりもいいという判断でしたが、まあ本音は新幹線が好きだったんですね。
たしか、のぞみで4時間半ぐらいだったと思います。途中、東広島駅で鯛めし弁当買って。
新幹線と飛行機、効率的に選んで利用されていますか。
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