まんがでわかる日本の偉人伝総集編(よだひでき著、ブティック社)は、吉田松陰など日本の歴史に名を残す58人の生涯と功績を漫画化

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まんがでわかる日本の偉人伝総集編(よだひでき著、ブティック社)は、吉田松陰など日本の歴史に名を残す58人の生涯と功績を漫画化

まんがでわかる日本の偉人伝総集編(よだひでき著、ブティック社)は、吉田松陰など日本の歴史に名を残す58人の生涯と功績を漫画化した書籍です。人の為に尽くした人、リーダーとして活躍した人、すぐれた発明や作品を残した人など、日本の偉人たちの感動のエピソードを1冊に凝縮しています。(文中敬称略)

本書は、よだひできさんが過去に上梓した、偉人伝シリーズを1冊にまとめた書籍です。

よだひできさんは、国内外の偉人の生涯と功績を漫画化した書籍をほかにも上梓していますが、本書「総集編」として、その中の日本人58人を改めて1冊にまとめています。

これまでにも、2作ご紹介しました。

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まんがでわかる日本の偉人伝総集編(よだひでき著、ブティック社)は、宮沢賢治など日本の歴史に名を残す58人の生涯と功績を漫画化した書籍です。人の為に尽くした人、リーダーとして活躍した人、すぐれた発明や作品を残した人など、日本の偉人たちの感動のエピソードを1冊に凝縮しています。
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さて、今回はその58人の中で、「尊王の志士を育てた」といわれる吉田松陰(1830年~1859年)をご紹介します。

たった29年の短い人生でしたが、その最大の功績は、叔父の玉木文之進が開いた松下村塾を引き継ぎ、多くの優れた人材を育てたことです。

吉田松陰の教育方針は、単なる知識の伝授に留まらず、人間の品格や志を高めることに重きを置いていたとされています。

その影響は、明治維新を精神的に支えた弟子たちの活躍に見ることができます。

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明治維新を支える要人を育成

吉田松陰は、1830年に長州藩(現在の山口県萩市)で「杉寅之助」として生まれましたが、7歳のときに叔父の吉田大助の養子となり、「吉田大次郎」と改名しました。

その後、通称として「寅次郎」を名乗り、さらに「松陰」という号を使用するようになりました。

実家は、またしても下級武士の子弟で、生活は楽でなかったそうです。

父親は、「学問でのし上がれ」と、9歳で藩校(武士の子を教育するために各藩が作った学校)の明倫館に入学させます。

吉田松陰は、すぐに頭角を現し、兵学師範(先生)に就任。

11歳で藩の殿様(毛利敬親)の家庭教師になりました。

吉田松陰の夢は、アメリカ、イギリス、オランダ、ロシアなど世界を回ること。

22歳の時、殿様の参勤のお供を命じられ、江戸に行くチャンスを掴み、洋学者・佐久間象山のもとで学びました。

松陰は影響を受け、日本各地を回るたびに出ました。

「日本の現実をこの目でしっかり見てみたい」

各地の学者と語らい学問を深め、各地の貧しい人たちの生活をつぶさに見て、「日本をなんとかしなければならない」と感じました。

しかし、この旅は藩の許しを得なかった廉で、士族の身分を取り上げられてしまいました。

本当の理由は、日本の実体を知られたからかもしれません。

1854年、アメリカと日米和親条約を締結。

吉田松陰は、アメリカ船に密航を企てて失敗。投獄されます。

出所後も、杉家に幽閉され、そこで叔父の看板を引き継ぎ、松下村塾を開講。

のちの明治維新を支える高杉晋作・伊藤博文・久坂玄瑞といった要人を育てました。

松陰の松下村塾は、一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、身分や年齢に関係なく自由な議論が行われ、文学だけでなく登山や水泳なども行うという「生きた学問」だったといわれます。

松陰は尊王攘夷派でしたが、1859年に大老の井伊直弼の粛清(安政の大獄)によって39歳で処刑されました。

吉田松陰の生涯は短かったものの、その影響力は計り知れません。彼の教育と思想は、後の日本の近代化に大きな影響を与えました。

『孟子』の思想を反映


吉田松陰は多くの名言を残しており、その思想は現代にも影響を与えています。

著作や手紙は50を超え、その中には『士規七則』や『講孟余話』などがあります。

『講孟余話』は、孟子に私淑する吉田松陰が、孟子について講義した際の、注釈や所感をまとめた書物です。

松陰の好んだ孟子の言葉に、「至誠にして動かざる者、いまだ是れあらざるなり」があります。

精一杯の誠意、真心をもって相手に接すれば、それで心を動かされない人はいない、という意味です。

『孟子』の思想が、松陰をはじめ当時の多くの有識者に受け入れられたのは、(大乗)仏教の「利他の思想」がすでにあったからではないかと思われます。

孟子は仁義を重視し、徳による統治を理想としました。仏教もまた、慈悲や智慧を重視し、他者への思いやりや正しい行いを奨励します。

孟子にしろ仏教にしろ、他者に気遣いながら個人の倫理的な成長を促すことを目的としています。

今、日本はグローバル化かなんか知りませんが、この道徳心が確かに崩れてますよね。

とくに、孟子の国の人達のモラルが……。

『士規七則』は、吉田松陰が松下村塾の門人たちに向けて書いた教訓書です。

1.志を立てること:志を持つことが全ての基盤であり、志がなければ何事も成し遂げられない。
2.学問を重んじること:学問を通じて自己を高め、社会に貢献することが重要。
3.誠実であること:誠実さは人間関係の基本であり、信頼を築くために不可欠。
4.勇気を持つこと:困難に立ち向かう勇気を持ち、正しいことを貫く。
5.礼儀を守ること:礼儀を重んじ、他者を尊重する態度を持つ。
6.節度を守ること:自制心を持ち、過度な行動を避ける。
7.忠義を尽くすこと:主君や国家に対する忠誠心を持ち、義務を果たす。

これらの教えは、松陰が武士の門人たちに対して求めた理想の姿を示しています。

が、別に武士でなくても、現代人に通用する、もとい通用させたい事柄だと思いませんか。

まんがでわかる日本の偉人伝総集編 - よだひでき
まんがでわかる日本の偉人伝総集編 – よだひでき

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