和田心臓移植事件など、未解決事件を様々な角度から推理しているのは『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)です。ドナー(提供者)の脳死認定や手術に問題が散見され、その後31年間にわたって医学界では心臓移植が禁句になった黒歴史事件です。
『日本人を震撼させた 未解決事件71』は、グループSKITがPHP研究所から上梓した書籍です。
現在も、10件に1件の割合で未解決事件が存在します。
本書は、未解決事件解決のため、同じ悲劇を繰り返さないための「戦後犯罪史考」を標榜しています。
今回の和田心臓移植事件は、和田寿郎教授が行った、日本初の心臓移植手術が失敗したことで「事件」になりました。
ドナー(提供者)はもちろん、レシピエント(受容者)も死亡し、その脳死認定や手術に問題が指摘されました。
刑事事件としては不起訴になりましたが、その後31年間にわたって医学界では心臓移植が禁句になった、つまりその分野の医学的医療的発展が止まった黒歴史事件です。
本書は2022年9月19日現在、AmazonUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
和田心臓移植事件とはなんだ
和田心臓移植事件というのは、簡単に述べると、1968年(昭和43年)8月8日に札幌医科大学で行われた、和田寿郎教授による日本初の心臓移植手術失敗をめぐる事件です。
本書のタイトルは、『日本の医療を停滞させた、疑惑まみれの心臓移植手術』と記載されています。
心臓移植手術をは日本初、世界で30例目にあたるものでした。
本書によれば、日本の心臓移植手術は、海外より30年以上遅れていると言われています。
この手術の失敗で、医師たちが萎縮して長らくこの手術に挑もうとしなかったからだそうです。
というのも、これは手術失敗という事故ではなく、当時は殺人事件と騒がれたからです。
海で溺れた21歳の大学生が、搬送先の札幌医大附属病院で亡くなりました。
同病院では、重度の心臓疾患をもつ、18歳の青年が入院していました。
そこで、大学生をドナー(心臓提供者)に、18歳の青年をレシピエント(受容者)にしようと和田寿郎教授は、大学生の両親を説得。
和田寿郎を主宰とする札幌医科大学胸部外科チームは、手術にとりかかりました。
手術は最初、成功したかに見えましたが、18歳の青年は輸血後の血清肝炎や意識混濁などを起こし、急性呼吸不全で術後83日目に死亡。
すると、胸部外科が発表したすべての事実を否定するほど多岐にわたる疑惑が次々表沙汰になりました。
当初は絶賛していたはずのマスコミは、手のひらを返して非難を始めます。
真実が明らかになるのはいいのですが、このマスコミの掌返しというのは、なんとかなりませんかね。
そこで生じた疑惑とは、以下の2点です。
- 心臓移植のドナーにするために、大学生を見殺しにしたのではないか
- 移植手術以外にも18歳の青年を救える可能性はあったのに、より難度の高い移植手術を選んだのではないか
札幌地検が動きましたが、嫌疑不十分で和田寿郎教授は起訴されませんでした。
しかし、本書によれば和田寿郎教授の名声は地に落ち、殺人医師とみなされてしまったといいます。
もちろん、和田寿郎教授はそれを諒としていません。
和田寿郎教授によれば、青年は多弁障害を抱え人工弁置換術では根治できないと釈明しました。
しかし、青年は心臓移植適応ではなかった可能性も指摘されています。
まあ、こればかりは外野ではわかりません。
その後、いろいろな不手際や疑惑が出たといいますが、なんで最初から出なかったのか。
功名心と言うなら、和田寿郎教授以外にもその栄誉に預かれる人々も実はいたからではないか。
そのへんは、医学界のことがわからない私には判断は付きません。
ということで、それを当時、身近で見て小説にしたのが、和田寿郎教授に反対して講師の立場を放逐されたという渡辺淳一さんでした。
あの、“新情痴文学”と称された医師出身の作家です。
もとは札幌医科大学整形外科教室の講師であり、医師でした。
和田寿郎教授心臓移植事件をモデルとした『ダブル・ハート』
渡辺淳一作品といえば、『ひとひらの雪』『失楽園』『別れぬ理由』など、その作品群は“新情痴文学”と称されました。
「情痴に狂う男と女の姿を極めようとする新たな渡辺文学」(Wikiより)です。
渡辺淳一さんの作品についてのイメージは、作品によって程度は様々ですが、いわゆる「女性の不貞」について寛容であることです。
男もいい思いしたいんだ、なら女だって好きにしたっていいじゃないか、という公平な人間観をそこに観ることができます。
渡辺淳一さんも男であるから、自分が大事にしている女の人がおかしなことをしたら、決して愉快ではないでしょう。一般的に見ても倫理的に許されないことです。
しかし、そのような感情や倫理に埋没せずに、「不貞な生き方」を書ききってしまうというのは、作家としてすごいことだなあと私は思います。
もし私だったら、たとえ創作でも、「不貞な女性」を書くことを途中で嫌になって筆を折ってしまうような気がします。
それはともかくとして、渡辺淳一さんは社会問題となった医学事件も小説化しています。
それが、和田寿郎教授心臓移植事件をモデルとした、『ダブル・ハート』(文藝春秋、1969年)というタイトルの小説です。
渡辺淳一さんは、札幌医科大学整形外科教室講師をしながら、並行して北海道の同人誌で文筆活動を始めます。
和田寿郎教授に対して、学内にありながら講師の立場で疑義を呈したため、「白い巨塔」である医局にいられなくなり、作家として生きていくことになりました。
この手術で和田寿郎教授は不起訴になりましたが、複数の研究者による不作為が明らかになり、功名心による事実上の殺人事件といわれ、その後31年間、日本では心臓移植が禁句となった、つまりその分野の発展が止まってしまったのはすでに書いたとおりです。
医局を追われた当事者である渡辺淳一さんとしては、その突破口に、書くことが自らの使命と考えたのでしょう。
渾身の一作だったと思います。
『ダブル・ハート』をドラマ化した『冬の陽』
今日7回忌の #渡辺淳一 さん。男女の艶めかしい小説を連想しますが日本医学史上最大の黒歴史である和田寿郎教授心臓移植事件『#ダブルハート』も上梓。6年後に『#冬の陽』でドラマ化。北大路欣也が摘出医、中村敦夫が和田寿郎教授、石立鉄男がドナー、金沢碧が石立鉄男の妻役 https://t.co/d2Q2B32Tbp pic.twitter.com/0sARuF4dTq
— 富士壱太郎@ネット著述屋 (@fuji_ichitarou) April 30, 2020
『ダブル・ハート』は、『冬の陽』というタイトルでテレビドラマ化もされました。
1975年10月2日~1976年1月1日に、よみうりテレビ・日本テレビ系列の毎週木曜日21:00~21:54の枠で全14回放送されたテレビドラマです。
日本初の心臓移植手術ドラマとして話題になりました。
以下、俳優名は敬称略にさせていただきますね。
和田寿郎教授役は、後に市民派の参議院議員になった中村敦夫。
中村敦夫と対立して医局を追われた北大路欣也は、札幌の大学病院から夕張の炭鉱病院に転出してある女性(金沢碧さん)と出会いました。
ところが、北大路欣也の能力を利用したい中村敦夫はしばらくして北大路欣也を大学に戻し、いったん北大路欣也と金沢碧は別れます。
そんなあるとき、交通事故で瀕死の重傷を負ったトラック運転手(石立鉄男)が病院に担ぎ込まれてきますが、かつて北大路欣也の恋人だった金沢碧の夫でした。
石立鉄男は心臓移植手術のドナーとなります。
ドラマでは、石立鉄男が、北大路欣也に金沢碧をよろしくと言い残し心臓を提供。
最終回で、北大路欣也と金沢碧の2人は結婚します。
えー、仕方なかったとしても、自分の夫が亡くなった病院の医師団の一人と結婚するか?
しかも、強引な手術が問題になっているのに……
普通それはないだろう。
しかも、いったん別れた2人なのに、結局結婚したということは、石立鉄男との結婚生活はどうとらえているのか。
出演ドラマが次々あたって、絶大な人気を誇っていた石立鉄男の夫人という設定でしたからね。
そしてまた、金沢碧が、すごくきれいでヒロイン然としていたのです。
"Good morning"
金沢碧
(the "eyes") pic.twitter.com/XZJMYhlL8r— Hello George (feel free to chat in English) (@ryochikun22) December 28, 2019
だから、石立鉄男との結婚生活はダミーで、北大路欣也の道化役だったという展開に虚しさ(笑)もありました。
……と、結末になんとなく割り切れないものを感じたものの、タブー視されていた事件のドラマ化は意義がありました。
ヒロインに決まっていた大原麗子が、ギラン・バレー症候群で、急遽金沢碧に交代したことも話題になりました。
原作も絶版となり、ドラマのDVD化もされていないのですが、起こったことが事実なら、ぜひ後世に伝えていただきたい出来事だと思います。
以上、和田心臓移植事件など、未解決事件を様々な角度から推理しているのは『日本人を震撼させた 未解決事件71』(PHP研究所)です。でした。
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