四百文字の偉人伝(秋田総一郎著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、タイトル通り1人400字で社会に爪痕を残した人物を紹介しています。古今東西、あらゆる偉人101人は、「反面教師的に名を残した人」「功績も罪悪も大きい人」も含めてリストアップされています。(文中敬称略)
本書『四百文字の偉人伝』(秋田総一郎著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、
1.「反面教師的に名を残した人」「功績も罪悪も大きい人」も含む!ことと、
2.400字で紹介!
というところが特徴です。
たとえば、アドルフ・ヒトラーも入っています。
これはべつに、ヒトラーのユダヤ人虐サツや戦争犯罪を免罪するわけではなく、「なぜそんなことをしたのか」という問いかけを行っています。
400字ですから、導入だけですが、その人の転機や生き様の特徴などをピンポイントで紹介しています。
その中で、今回は建築家の安藤忠雄(あんどう ただお、1941年(昭和16年)9月13日 – )をご紹介します。
通信教育から日本で有数の建築家になった
安藤忠雄氏が手掛けた VS.(ヴイエス)で行われている『「Continuum Resonance(コンティナム・レゾナンス):連続する共鳴」連真鍋大度新作個展』。VS.の目玉となる天井が特別に高い特殊な形状の展示空間を活かしきった映像展示が凄すぎる!
※展示撮影、SNS公開許可を頂きました… pic.twitter.com/SeajR05aoJ
— ロング@再都市化 (@saitoshika_west) September 8, 2024
安藤忠雄は大阪府大阪市港区生まれ、同市旭区出身。
最初の姓は「北山」でしたが、一人娘だった母親の実家・安藤家を継ぐため、生前からの約束に従い祖父母の安藤彦一・キクエの養子となります。
家を継ぐ養子というと、さぞ資産と身分のある旧家なのだろうと想像しますが、安藤家は大阪の下町にある間口2間、奥行き8間の長屋だそうです。
大阪府立城東工業高等学校卒業。
経済的な理由で、大学には通えなかったそうです。
失礼ながら、血縁があるとはいえ、よその家のお子さんを引き取っても大学も出してやれない。
「安藤」姓は、藤原氏に関係するという話もあるのですが、人ひとりを実親から引き離して譲渡しなければならないほど重要なことなのでしょうか。
旧弊な家制度の思想を引きずるわが国では、おそらく現在ですらこういうことが起こるのです。
姓なんて、旧華族や旧士族でもなければ、明治になって「平民苗字必義務令」という法令によって間に合わせでつけたものなのに。
「選択的夫婦別姓」制度は、それを改善するどころか、むしろ後退させるのではないかと私は大変危惧しています。人が「姓」に振り回されるなんて、バカバカしいと思います。
それはともかく、安藤忠雄はボクシングジムにも通い、プロのライセンス(フェザー級)も取得しましたが、所属ジムに来ていたファイティング原田の身体能力に圧倒され、1年半ほどでボクシングからは引退しました。
そして、中学生の頃から建築に興味を持ち工業高校に入ったので、独学で建築を学ぶことにしました。
本書によると、それは通信教育だそうです。
たぶん、当時の民間の通信教育というと、教材だけをどさっと送ってきてそれっきり、という感じではないでしょうか。
それでも安藤忠雄は、挫折せずに二級建築士に合格。
一級建築士のような高層ビルは扱えませんが、木造住宅の設計ができるようになり、経験を積んで、次第に大きなプロジェクトを手掛けます。
28歳で「安藤忠雄建築研究所」を大阪に設立。個人住宅を中心に設計を始めました。
その7年後の1976年に「住吉の長屋」が高く評価され、日本建築学会賞を受賞しました。
そこから、いろいろな話が入ってくるようになり、表参道ヒルズや地中美術館など、多くの著名な建築物を手掛けました。
Copilotに、その仕事をまとめてもらいました。
代表作とスタイル
– 住吉の長屋(1976年):コンクリート打ちっぱなしのスタイルを確立した作品。
– 光の教会(1989年):光と影を巧みに利用したデザインが特徴。
– 地中美術館(2004年):自然と調和した地下美術館。
– 表参道ヒルズ(2006年):東京のランドマーク的存在。
功績と受賞歴
– 1995年に建築界のノーベル賞とも言われるプリツカー賞を受賞2。
– 2002年には京都賞思想・芸術部門を受賞2。
– 2005年にはUIAゴールドメダルを受賞2。
– 東京大学特別名誉教授として教育にも貢献し、多くの後進を育てました。
人生哲学と影響
安藤忠雄は、建築を通じて人々に感動を与えることを目指し、常に新しい挑戦を続けてきました。彼の作品は、コンクリートの無機質さと自然の調和を追求し、多くの人々に影響を与えています。
ということです。
臓器が5つなくても通信教育からでも自己実現できる
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現在も世界各地を飛び回り、建築の最前線で活躍する安藤忠雄には、もうひとつ、注目されていることがあります。
これまでに十二指腸がんとすい臓がんを経験し、治療のため5つの臓器を摘出しました。
本来、人間の臓器に無駄なものはありませんから、それを5つもとって大丈夫なのかと心配になりますが、とくに治療が難しい膵臓がんから生還しているのは特筆すべきことです。
通信教育から建築家の大家になったことといい、困難な状態に置かれても生き抜き、チャンスをものにして自己実現する生き様は、偉人として本書で取り上げられる人物にふさわしいと思います。
その昔、吉本新喜劇で、岡八郎が、「わしはなあ、空手五段やぞ」と凄み、周囲の緊張が走ったところで「通信教育やけどな」と言って周囲がコケるシーンがありました。
しかし、現在のネット授業が導入された通信教育では事情が違いますし、もとより安藤忠雄なら、当時でもそこから空手も身につけられたかもしれません。
私は通信教育で、簿記検定の2級と3級に合格したことがあります。でも今は便利な会計ソフトがあるので、そこで得た知識は使わなくても通用してしまいましたが。
通信教育の経験はありますか。
以上、四百文字の偉人伝(秋田総一郎著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、タイトル通り1人400字で社会に爪痕を残した人物を紹介、でした。
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