地獄の蟹工船~日本の貧困史~(北上祐帆、ぶんか社)は、プロレタリア文学の金字塔であるる小林多喜二さんの『蟹工船』を翻案した漫画です。同時収録の『野麦峠物語』と『瀬戸の花嫁』も含め、貧困の中でもたくましく生きる女たちの物語です。
『地獄の蟹工船~日本の貧困史~』は、北上祐帆さんの作画で、ぶんか社から上梓されています。
プロレタリア文学の金字塔といわれている、小林多喜二さんの『蟹工船』を翻案しています。
蟹工船というのは、蟹を漁獲して、船内で缶詰加工まで行う船のことです。
戦前に、オホーツク海のカムチャツカ半島沖海域で行われた北洋漁業で使用されました。
劣悪で過酷な労働環境の中、暴力・虐待・過労や病気で労働者は次々と倒れていきます。
が、そこで働く人たちは貧困層のため、そういう船だとわかっていても乗らざるを得ません。
本書の収録作品は、すべて北上祐帆さんの作画による3品です。
- 地獄の蟹工船……前編と後編がありますが、どちらも収録されています。
- 野麦峠物語……製糸工場で早朝から深夜まで働き続ける女工の物語です。
- 瀬戸の花嫁……船を住居とする家船の漁師に嫁いだ女性の物語です。
いずれも、貧困の中でたくましく生きる女たちのストーリーです。
こうしたストーリーは、悲哀系と見られて、ともすれば敬遠される向きもありますが、決して暗いだけのストーリー展開ではなく、むしろいずれも温かみのある結末です。
本書は2022年10月25日現在、AmazonUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
プロレタリア文学の翻案を思わせる設定
地獄の蟹工船は、タイトル通り蟹工船が舞台です。
蟹工船というと、文学史上有名な作品は、小林多喜二さんの『蟹工船』です。
プロレタリア文学の金字塔と言われています。
プロレタリアとは、プロレタリアート(ドイツ語: Proletariat)のこと。
資本主義社会における、賃金労働者階級のことです。
プロレタリア文学とは、資本家から搾取される労働者の厳しい労働実態、暮らしを書いた文芸作品のジャンルです。
モチーフは、地主や資本家に搾取される労働者の怒りや心の声などを表現したものです。
とくに宣言はされていませんが、本作『地獄の蟹工船』は、小林多喜二さんの『蟹工船』の翻案作品と思われます。
小林多喜二さんは、『蟹工船』や『党生活者』などを書き、特高警察(日本の秘密警察)から拷問を受けて殺されています。
特高警察というのは、国体護持のために、共産主義者や社会主義者を筆頭に、国にとって都合の夜悪い思想信条を査察・内偵し、取り締まる組織です。
小林多喜二さん自身は蟹工船に乗ったわけではありませんが、取材を重ねてリアルな作品に仕上げたのです。
『党生活者』の「党」というのは、日本共産党です。
作品それ自体がお上の逆鱗に触れただけでなく、当時非合法だった日本共産党とのつながりを睨まれたのです。
先日ご紹介した『人間失格』(太宰治/作、比古地朔弥/構成・作画、学研パブリッシング/秋水社)の中に、主人公・つまりは太宰治自身が、日本共産党の秘密の会合に出席しているくだりがあります。
非合法政党なので、堂々と活動できないのです。
特高警察に見つからないよう、こっそり会合を開いていたわけです。
主人公、たぶん太宰治自身は、マルクス主義に傾倒したわけではないけれど、彼らの日陰者としての活動が自分の性にあっていた、と書かれています。
話を戻すと、オリジナルの『蟹工船』には特定の主人公がおらず、蟹工船で酷使さたれ貧しい労働者達の群像劇になっていますが、本作『地獄の蟹工船』は、作業監督の浅川の情婦である女性・あかねを主人公とし、その視点によって物語が進みます。
蟹工船とは何だ
ところで、蟹工船というそのタイトルは知っていても、具体的に蟹工船というのはなんだろうと思われる方も多いのではないでしょうか。
作品から引用しますと、蟹工船というのは、ロシア領カムチャツカ領海に侵入して蟹を獲り、船内で加工して缶詰にするために仕立てられた船です。
獲った蟹を、船の中で加工までしてしまうのは、海に出ている期間が長いのと、甲殻類は死ぬと足が速いこと、獲ったままだと他国の領海侵入違法操業の証拠になってしまうことなどもありますが、もっとも大きな理由は、船の中で加工することで、航船に適用される航海法も工場に適用される労働法規も適用されない脱法の運用が可能であることです。
蟹の缶詰は、欧米への輸出商品として価値が高かったそうです。
船は博光丸という名前で、作業監督は浅川達夫。
北洋工船蟹漁に従事していた博愛丸(元病院船)がモデルになっています。
本作はこの設定も、小林多喜二の『蟹工船』そのままです。
海軍の駆逐艦が船を警護していますが、違法操業ですから、ロシアが監視船に見つかれば沈められます。
民間の船の他国領海侵入を駆逐艦が護衛するのは、政府が領土の侵略等を目論んだ調査・測量の含みがあるからです。
船は格安で買い叩いたものを、ロクに修繕もせずに使いますから古く、乗員数は300~400名です。
カニ漁を行う川崎船という小型漁船を、この物語の設定では8槽用意しています。
前述のように、蟹工船は「工船」であって「航船」ではないため航海法は適用されず、つまり危険な老朽船を改造して使っています。
また、船の中で加工するため工場でもないので、労働法規も適用されません。
国が護衛していながら、航海法も工場法も適用されない、超リスク、超ブラックな現場です。
大資本の儲け主義と国策むき出しで、資本側の非人道的酷使には労働者の人権など全く顧みられません。
乗員労働者は毎日16時間以上も働かせられ、もちろん休日はなく、風呂も入れません。
船医は一応いますが、体調が悪くなっても働かせられるアリバイ役で、病気の診断がついても酷使の証拠になるので診断書は出ません。
船のオーナーである資本家に雇われた監督が、船の中では唯一の支配者です。
誰も監督に歯向かうことはできず、歯向かうと拷問されます。
統制がとれないものは排除するのです。
労働組合なんてありません。
いったいぜんたい、そんなブラックな労働条件に、なんで乗るんだと思われるかもしれませんね。
もちろん、乗員労働者は好き好んで乗っているわけではありません。
貧しい農家の、家督を継がない長男以外、つまり次男以降が多かったようです。
貧しさが前提にあるわけですが、生まれた順で、蟹工船に乗るか乗らないか、運命が分かれるなんておかしいですよね。
家制度というのは、そういう矛盾を抱えているんだということも知ることができます。
バラバラな労働者を過酷な条件で働かせる船
舞台は、昭和初期の北海道。
主人公の女性・小林あかねは、作業監督の浅川達夫が女郎部屋から身請けしました。
刑務所帰りの三国龍平が、雑夫として蟹工船に乗船します。
蟹工船の労働者は、蟹を獲る漁夫と、缶詰加工の作業を行う雑夫などで構成されていました。
あかねは、てっきり新婚旅行のつもりでしたが、あかねが船に乗るのは、4ヶ月もの長丁場を過ごすための浅川の性欲処理役でした。
船の運用会社から作業監督を任されている浅川は、船では最も偉い唯一の指揮官です。
浅川はあかねに教えます。
「この船の労働者はバラバラだ。共通しているのは、ここしか働くところがない貧乏人で、組織(労働組合)を組む知恵など一切ないこと。年齢も下は15から老人まで。出身地もバラバラなら、もとの職業も開拓農民、坑夫、学生、貧民街の少年やらバラバラだ。実に会社にとって都合がいい奴らだよ」
翌朝、同じ運営会社で並んで進んでいた蟹工船の秩父丸から、沈没のSOSが入りました。
船長は、近くにいるので救出に向かおうとしますが、浅川はそれをやめさせます。
「しかし400名以上の命が……」
「関わったら、1週間は足止めを食って当船の蟹の獲れ高が減る。秩父丸は保険に入っているから、かえって沈没したほうが会社の得になるんだ」
そのやりとりを聞いたあかねは、このときから浅川の人となりに疑問をいだきます。
博光丸はロシアの領海内に入りますが、ためらう船長に対して浅川は、「領海に入ると入らないのでは獲れ高が全く違う」と言って領海に入らせます。
そして、浅川は意のままにならない労働者をどこまでもムチで叩いて働かせます。
見かねた三国が、「おい、監督、いい加減にやめろよ」と言うと、浅川は「誰だ、今言ったのは」と逆ギレして今度は三国の背中を傷だらけにします。
あかねは、ボイラー室で倒れている雑夫を発見。
人権を無視した労働状態を聞かされます。
「1日19時間働かされるのに、食事は腐った塩漬けにご飯だけ。悪臭の寝床はすし詰めで、虫に食われて痒くて眠れない。風呂は月に2回」
あかねは、それを確かめるべく、船首に潜入。
すると、浅川がムチで老人や子供の労働者・清志を叩きながら働かせ、三国が「清志はまだ子どもだ。少しは休ませろ」とかばっている光景を目にします。
その報復で、甲板に吊るされた三国を救出したあかねは、労働者に食料や備品などを内緒で届けることを約束します。
さらに、浅川に暴力を受けた三国の傷の手当ても。
「あかねは、浅川のどこが気に入って妾になったんだ?」と三国
「どこも。子供のときに売られた女郎屋のおかみさんが、勝手に浅川と話をつけたのよ。いやって言ったってしょうがないよね」
「しょうがない……か。この連中が貧乏なのはしょうがない。仕事がきつくても、ないよりはいいと朝からこき使われている。しょうがないと諦めている。ケッ、なんか腑に落ちないぜ」
信頼関係ができたあかねと三国は、川崎船で帰国を試みたり、労働者たちを団結させてストライキに踏み切ったりします。
オリジナルの『蟹工船』では、川崎船が転覆するのですが、ロシアの人たちが助けて親切にしてくれたので、異国の人も同じ人間と感じるようになります。
本作『地獄の蟹工船』では、あかねと三国、あと2人の労働者がロシアに漂着。
あかねと三国は夫婦ということにして、ひとつの部屋を使わせてもらいます。
そこでひとつになった2人。
三国は、自分がやくざになったいきさつをあかねに打ち明けます。
「炭鉱夫だったオヤジは乱暴者で、オレは命の危機を感じて12歳で家出をしたんだ。家出したオレを拾ってくれたのが組の親っさんさ。その恩義に報いるために、オレは組の鉄砲玉として生きてきた。だが、この間、刑務所を出所したときに、何の気まぐれか、一度まともに働いてみたくなったのさ。今となったらわかる。あかねと出会うためだったんだ」
ストライキは、ある労働者が病死した際、亡骸を家族に届けず海に捨てた浅川を見て、明日は我が身と感じた労働者たちが団結します。
もちろん、地獄の船ですから、それでめでたし、めでたしとはなりません。
三国はストライキの首謀者として、駆逐艦に乗っていた海軍警察に逮捕されてしまいます。
あかねは、浅川との関係が破綻し、部屋を追い出され、浅川からは身請けの金を返せと言われます。
あかねたちは無事日本に帰れるのか。
あかねと三国の関係はどうなるのか。
結末は本書をご覧いただけばわかりますが、オリジナルが悲惨な展開なのに比べて、本書はAmazon販売ページのコメントに書かれている通り、「温かいラスト」であるということだけはほのめかしておきましょう。
いずれにしても、原作の設定やストーリーを活かしながら、あかねと三国というオリジナルにはない登場人物を活写したことで、オリジナルともひと味違う作品に仕上がっていると思います。
貧困と鮮やかに戦う美しい女たちの物語
なお、本書はそれ以外にも、涙の女工哀史を描いた『野麦峠物語』、船で暮らしていた家船(えぶね)の漁民の生活を描いた『瀬戸の花嫁』など、いずれも「貧困と鮮やかに戦う美しい女たちの物語」(Amazon販売ページより)を収録しています。
『瀬戸の花嫁』については、1972年に同名のタイトルをつけた小柳ルミ子さんの歌が有名ですが、歌は瀬戸内海の小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われているので、家船を舞台とした本作はそれとは別のオリジナル作品です。
『野麦峠物語』も、有名なノンフィクション小説『ああ野麦峠』とは別のオリジナル作品です。
3作とも、みなさんに一読をおすすめしたいものばかりです。
なお、著者の北上祐帆さんについては、これまでにも以下の作品をご紹介しました。
こちらもご覧いただけると幸甚です。
以上、地獄の蟹工船~日本の貧困史~(北上祐帆、ぶんか社)は、プロレタリア文学の金字塔であるる小林多喜二さんの『蟹工船』を翻案、でした。
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