坂本竜馬などを漫画化した『まんがでわかる偉人伝 親子で読みたい70人のおはなし』は、偉大な人々の物語をまんがで紹介する

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坂本竜馬などを漫画化した『まんがでわかる偉人伝 親子で読みたい70人のおはなし』は、偉大な人々の物語をまんがで紹介する

坂本竜馬などを漫画化した『まんがでわかる偉人伝 親子で読みたい70人のおはなし』は、世の中の役に立つ発明や発見をした人、リーダーとして強くたたかった人、人々の心に残る作品を創った人など偉大な人々の物語をまんがでわかりやすく紹介しています。

本作は、ここのところ何冊かご紹介している、よだひできさんの偉人伝マンガシリーズです。

国内外の偉人について、マンガでその生涯と功績を描いています。

この記事では、その中で、坂本竜馬(1836年1月3日~1867年12月10日)についてご紹介します。

坂本龍馬の名前の表記については、「龍馬」が一般的に使用されています。

しかし、歴史的な文献や資料によっては「竜馬」と表記され、本作でも「竜馬」になっているので、この記事も本作を尊重し「竜馬」で統一します。

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「武器商人」だからロクなものではないのか?


さて、坂本竜馬は、幕末の志士であり、日本の近代化に大きな影響を与えた人物として知られています。

ただし、一部には、竜馬は「武器商人」だからロクなものではない、というネガティブな評価もあります。

しかし、それを言い出したら、力道山も、五島慶太も、田中角栄も、世の中で一旗揚げた人なんて、みんな何かしら影があるもんですよ。それはどう説明しますか。

光と影の影を見ないようにする必要はありませんが、光と影を相殺するのも間違った考え方だと私は思います。

ことと次第によりますが、光は光、影は影です。むしろ、影があるから光がある、という弁証法的な見方をシたほうが、その人の全体像を正しく見ることができると思います。

坂本竜馬に対する「武器商人」という評価は、下記に書いたように、海援隊を通じて武器の取引を行っており、それが個人的な利益を追求していたと考えられているのです。

しかし、幕末の日本は内戦状態にあり、多くの藩が武器を必要としていました。倒幕派に対する武器や弾薬供給を行うことで藩を支援したことが、倒幕に貢献したこともまた事実です。

ですから、「武器商人」としての評価は、彼の活動の一側面に過ぎません。それをどう見るかは人によって様々かもしれませんが、全体的な功績や影響力を考慮しないと、成果としての倒幕を歴史の発展として捉えることができません。

薩長同盟、大政奉還、船中八策

坂本竜馬は、土佐藩(現在の高知県)の郷士(下級武士)の家に生まれました。

坂本竜馬は、母親がお産の前にお腹に竜が飛び込んできた夢を見たので「竜馬」と名付けられたそうです。

子供の頃はひ弱だったそうですが、身長176センチ、体重112キロの姉に叱咤激励され、幼少期から剣術の修行に励み、江戸に遊学して北辰一刀流の道場で学びました。

1853年に浦賀に来た、ペリーの開国要求に応じる幕府に不満を持っていた攘夷派でした。

そんなことで鎖国を解くなと。

今風に言うなら、単なる保守ではなく、本格的な右翼といったところです。

それが、勝海舟と出会い、「外国に目を向けて、優れているところは取り行けなければならない」と諭され、開国派に転向。

1867年(慶応3年)には、土佐藩の脱藩浪士たちと共に、亀山社中という、品物を船で運ぶ「カンパニー」を設立。

日本で始めての海運商社でしたが、後に「海援隊」と改称されました。

海援隊は、私設の海軍としての役割を果たし、貿易や物資の運搬、航海術の習得などを行いました。

また、商社としての活動は、薩摩藩や長州藩などからの資金援助を受けていたといわれます。

坂本竜馬の最大の功績の一つは、薩摩藩と長州藩の同盟を成立させたことです。

薩摩藩と長州藩は、もともと対立していましたが、幕府に対抗するために手を組む必要がありました。

薩摩藩は幕府の改革に失望し、長州藩は幕府からの圧力に苦しんでいたのです。

このような状況の中で、坂本竜馬や中岡慎太郎の仲介により、京都の小松帯刀邸で、薩摩藩の西郷隆盛と小松帯刀、長州藩の木戸孝允が会談し、6か条の同盟を締結。両藩は協力することを決意しました。

これにより、幕府に対抗する力が強まり、倒幕運動が加速しました。

坂本竜馬は、将軍徳川慶喜に大政奉還を提案。

幕府の権力を朝廷に返還させることに成功しました。

また、船中八策(せんちゅうはっさく)という新政府の基本方針をまとめ、明治維新の基礎を築きました。

1867年に提案した、新政府の基本方針をまとめたものです。

1. 大政奉還……将軍が政権を朝廷に返還すること。
2. 議会の設立……公議政体の確立、つまり議会を設けて国政を議論すること。
3. 憲法の制定……新しい憲法を制定し、国の基本法とすること。
4. 外交の開放……外国との自由な貿易を推進し、国際関係を強化すること。
5. 軍備の近代化……西洋の技術を取り入れ、軍備を近代化すること。
6. 経済の発展……産業の振興と経済の発展を図ること。
7. 司法の整備……司法制度を整備し、公正な裁判を行うこと。
8. 教育の普及……教育を普及させ、国民の知識と技能を向上させること。

これらの先見性と改革意欲が表れた方針は、明治維新の基礎となり、日本の近代化に大きく寄与しました。

立会川に銅像と浜川砲台

1867年、竜馬は京都の近江屋で暗殺されました。

犯人は京都見廻組とされていますが、真相は未だに明らかになっていません。

坂本竜馬は、わずか31年の短い生涯の中で日本の未来を見据え、多くの改革を推進しました。

彼の自由な発想と行動力は、今も多くの人々に影響を与え続けています。

東京都品川区の東端、大井ふ頭に近い立会川には、ペリー来航を受けて、土佐藩抱え屋敷に設けられた浜川砲台の警備に竜馬が駆り出されたことを記念して、京急線立会川駅近くの北浜川児童公園には銅像が、かつて土佐国高知藩の下屋敷があった新浜川公園には浜川砲台が復元されて置かれています。


砲台は、30ポンド6貫目ホーイッスル砲を原寸大(全長3メートル、車輪の直径1.8メートル)で再現したものだそうです。

私は、あまり明治維新をめぐる出来事には詳しくないのですが、その点で本作には理解を助けてもらいました。

みなさんは、冒頭の「武器商人」論争も含め、坂本竜馬の生き様をどう評価されますか。

まんがでわかる偉人伝 親子で読みたい70人のおはなし (ブティック・ムック) - ブティック社編集部
まんがでわかる偉人伝 親子で読みたい70人のおはなし (ブティック・ムック) – ブティック社編集部

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