大乗と小乗の世界(永井一夫著、22世紀アート)は、現代の仏教界の衰亡は大乗仏教にあるとし、お釈迦様の仏教を改めて見直しています。『ブッダは何を教えたか 四つの真理と八正道』というサブタイトルがついている電子書籍版です。
『大乗と小乗の世界: ブッダは何を教えたか 四つの真理と八正道』は、永井一夫さんが、22世紀アートから上梓したkindleです。
「大乗」とは大乗仏教で、小乗とはお釈迦様由来の仏教のことです。
何度かご紹介しましたが、ゴータマ・シッダールタことお釈迦様は、王子様という立場と妻子を捨て出家。
正業も持たず、試行錯誤の修行を重ねた末に、自ら悟りを開き仏陀となりました。
そして、それを直弟子に伝えましたが、それはまさにお釈迦様個人の悟りです。
つまり、仏教とは本来、その人の悟りなのです。
一方、大乗仏教とは、仏陀のように出家できない在家の人々も救うために、お釈迦様の仏教を翻案したものです。
大乗仏教は、大衆を救うためのものです。
ねらっているところが全く違うわけですから、大幅な書き加え、ときにはお釈迦様の仏教の本来の意味を変えてしまう場合もありました。
大衆を救うために、大乗仏教がもっとも大切にするのは利他です。
利他とは、自分のことはさておいて、他の人が、あるいは他の生き物が幸せになれるように行動する姿勢のことです。
利他の行いを重ねることで、人は悟りに近づけるということです。
仏陀だって、生まれ変わるたびに利他の行いを重ねてきたから悟りを開けたのだ、と大乗仏教では付け足しているのです。
ただし、どちらも仏教としての継続性、共通性はあり、それは、
- 絶対的創造主(神様)を前提としない世界観である
- 諸行無常、諸法無我、一切皆苦世界観である
といったことです。
アマゾン販売ページには、こう記載されています。
つまり、日本の仏教は大乗仏教一辺倒ですが、改めてお釈迦様の仏教を見直しましょう、という趣旨と解釈できます。
本書は2023年1月6日現在、kindleUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
中国の「フルイ」と日本の政治が仏教の「3宝」を骨抜きにした
本書は、お釈迦様の生い立ちや悟りを開く経緯、そして大乗仏教とはなにか、といったことを著者の意見を交えて述べています。
それに対して、Amazonの販売ページを見ると、本書は「論理矛盾をはらむ結論」という手厳しい指摘があります。
本書は、お釈迦様の教えは大乗仏教ではわからないとしながら、つまり、大乗仏教を否定するような趣旨のはずなのに、「大乗仏教最後の砦を守ってほしい」という結論が論理矛盾だというのです。
まあ、私も拝読しましたが、別に著者は大乗仏教を全否定しているわけではなく、小乗仏教(お釈迦様の仏教)とは違うといいたいのでしょう。
むしろゲーテの、「宗教を追っ払うと、こんどは不気味な迷信が裏口から忍び込んでくる」という言葉を引いているように、わけのわからないカルト宗教で社会が毒されないよう、日本の仏教には頑張ってほしいといっているので、論理矛盾とまでは言えないと思います。
要するに、「日本に伝えられた仏教が、不幸なことに、中国思想のフルイを通った大乗仏教」であることによる弱点や弊害を嘆いているのです。
具体的には、儒教という「フルイ」を指します。
これは、池上彰さんも指摘されています。
それと、戒律の甘さですね。
日本の仏教諸宗派は、お釈迦様の宗教に比べると、戒律が甘い、というよりほぼ一般人と同じでしょう。
これは、日本の政治的な事情もあると思います。
仏教は、「仏(仏陀)・法(仏陀の教え)・僧(仏陀の教えを学ぶ総集団)」の3つで成り立っていると言われていますが、中国から日本に仏教が伝わった際、その「僧」を維持するための「律」が導入されなかったことに原因があると、『別冊NHK100分de名著集中講義大乗仏教こうしてブッダの教えは変容した』(佐々木閑著、NHK出版)には書かれています。
それでも、ある程度は縛りがあったものの、明治期の「廃仏毀釈運動」で、国家神道を国の宗教にしようとして神仏分離など仏教を弾圧した混乱の中で、国家によって「僧侶はこうでなければならない」という縛りがなくなり、「僧」のあり方が変容してしまったと書かれています。
ですから、本書は、住職が事業を行い、肉や酒を喰らい、拝観料を取り、結婚をすることを「なんだそりゃ」と言っているわけです、
私は、檀家制度がくずれている現在、住職/僧侶のある程度の経済活動はやむを得ないものだと思います。
たとえば、経済活動を全否定したら、YouTuberになることも否定しなければならなくなります。
現代社会でそこまでするのは、無理があります。
むしろ、俗世を知らない住職/僧侶の法話では、説得力がありません。
しかし、肉や酒を喰らい、都知事候補の顔のシミ隠しを「厚化粧」と唾棄し、大衆を「馬鹿ども」などと罵って反省もしなかった瀬戸内寂聴さんのような住職には、やはり疑問を抱かざるを得ないのは確かです。
そして本書は、葬儀や法事には、経を読み、戒名(法名)を買い、位牌を作り、塔婆をたてる「習慣」を作り、それらをバカ高い金で行うやり方に、「いい加減しろよ」と言っているのだろうと思います。
まあ、最近では、檀家として抱え込まれなくても、安いお布施でそれらを行ってくれる派遣僧侶のビジネスモデルが確立しましたから、旧来の檀家制度で、バカ高いお布施をあてにしているようなお寺は衰退していくでしょう。
先の池上彰さんの書籍にもありましたが、カルト宗教の「流行」には、既存の宗教についての魅力が現代人にとってなくなってきているということはあると思います。
「金ばっかりとって、ろくに法話もできない」という住職/僧侶に、嫌気がさしてしまっているのです。
「小乗」の特徴を再評価しながら「大乗」の奮起を促す
それと、やはり法話の内容ですね。
あなたを幸せにさせない5つの間違った常識(菊谷隆太著)の記事でも申し上げましたが、
菊谷隆太さんは、浄土真宗親鸞会の立場からYouTubeで「法話」を行っています。
同会にはいろいろ意見がありますが、とにかく浄土真宗を前提としているわけですよね。
ということは、大乗仏教です。
それも、平安時代末期から鎌倉時代にかけて新しく成立した仏教宗派、いわゆる鎌倉仏教です。
その法話の中で、やたら「お釈迦様がおっしゃっている」という話が出てくるのですが、そもそもお釈迦様は浄土真宗なんて知りませんからね。
勝手にお釈迦様の名前を語るなよ、と思います。
もちろん、お釈迦様時代のお経から「法話」を行っていることもありますが、狙いが違う大乗仏教では当然翻案されていますから、その説明やつじつま合わせはきちんと行うべきです。
具体的には、菊谷隆太さんはある動画で「親孝行」の話をしています。
が、お釈迦様は、親孝行をすれば涅槃にたどり着ける、なんて悟りは開いていません。
菊谷隆太さんの話は、まさに本書が言ところの、中国(儒教)中国思想のフルイを通った大乗仏教ならではの「教え」です。
また、菊谷隆太さんは「感謝の気持ち」「ありがとう」という言葉を推奨していますが、これなどは仏陀は明確に否定しています。
●托鉢に回り歩いたとき、施しの食べ物を得られても得られなくても、 「よかった」 と思って帰って来なければならない。
●村へ托鉢に行ったとき、招き入れられても、食べ物をもらっても、喜んではならない。
『スッタニパータ』の詩句です。
一見矛盾しているようですが、矛盾はしていません。
托鉢を「よかった」と思う一方で、「村の人」の厚意に喜ぶな、と言っているわけです。
今風にいえば、あくまでも自分軸なんです。
大乗仏教にあって、お釈迦様の仏教にないのは「利他の心」です。
相手を思いやり、また相手もそれを受け止め感謝する、というやりとりをお釈迦様は否定しているのです。
私は、これは、大乗仏教に軍配をあげます。
ですから、菊谷隆太さんの「法話」は肯定できますが、「お釈迦様の教え」としてそれを述べるのは正しくないのです。
つまり、お釈迦様が言っていなくても傾聴に値することはあるのです。
ですから、全否定することなく、改めるべきは改めて頑張ってほしい、ということでしょう。
以上、大乗と小乗の世界(永井一夫著、22世紀アート)は、現代の仏教界の衰亡は大乗仏教にあるとし、お釈迦様の仏教を改めて見直す、でした。
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