『嫉妬をとめられない人』でいう自分が勝てないと思う相手を否定したりけなしたりして無価値化しようとするのは自己愛者かも

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『嫉妬をとめられない人』でいう自分が勝てないと思う相手を否定したりけなしたりして無価値化しようとするのは自己愛者かも

『嫉妬をとめられない人』(片田珠美著、小学館新書)をご紹介します。誹謗中傷、いじめ、嫌がらせ、叱責、孤立…。親しい人からの行為に苦しんだことはありませんか。逆に自分が嫉妬する側になった場合もあるかもしれません。その心得について解説されています。

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嫉妬について考える

嫉妬というのは、なんともまあ利己的で醜い感情です。

理屈ではわかっています。

しかし、生身の人間は、嫉妬をすること嫉妬をされること、いずれからも無縁でいられることは難しいですね。

とくに、自分が気をつけていても、他者からの嫉妬は他者の内心の問題なので、自分ではどうすることもできません。

人間には、自分が勝てないと思う相手を否定したりけなしたりして、無価値化しようとする振る舞いが見られることがあります。

本書の紹介にもこう書かれています。

「以前は仲の良かった同僚が、最近は口をきいてくれない」
「なぜか自分にだけ、激しく攻撃してくる先輩がいる」
「成果を上げているのに職場で孤立していると感じる」

こんなふうに感じたら、あなたのすぐそばにいる、”他人への嫉妬がとめられない人”が何か企みをめぐらせているせいかもしれません。


著者である精神科医の片田珠美さんは、性悪説にたった人間の弱点・欠点の分析をこれまで行ってきましたが、では嫉妬についてはどうとらえているのでしょうか。

セクハラ、パワハラ、モラハラなど、社会はハラスメントを問題視していますが、片田珠美さんは「オバハラ」に着目しています。

想像力の欠けている、レベルの低い中高年女性のハラスメント=「オバサンハラスメント」を略してオバハラと呼んでいます。

オバハラとフレネミー

片田珠美さんによると、オバハラとは、心の奥底に潜んでいる“毒”がその背景にあると言います。

具体的に、オバハラの背景にある“毒”とは、

  1. 欲求不満
  2. 羨望
  3. 他人の不幸は蜜の味

の3つに大きく分けられるといいます。

要するに、他者を妬んだり貶めたりして自分の不甲斐なさを正当化したいという気持ちですね。

オバハラの例としては、

  • 離婚した人に……「子どもがかわいそうね」
  • 独身の人に……「そろそろ家庭を持ったら?」
  • LINEに……「忙しいなら、返事はいいわ」
  • 子どもを産まない女性に……「卵子の老化って、知ってる?」

などと言うことが書かれています。

4つのうち3つは、「あんたに関係ないだろ」という話です。

LINEの件も、自分を無碍に出来ないことがわかっている相手を追い詰めています。

一見、善意に見える言葉も含まれていますが、記事によると、心配するふりをしながら、グサッと傷つける発言をする人を、『フレンド』(友)と『エネミー』(敵)を合わせた造語で『フレネミー』と呼ぶそうです。

詳しくは当該記事を。

嫉妬は単純に「上」だけにするわけではない

本書によると、嫉妬というのは成功者である相手を妬んだり、自分より「下」と思っていた人間が自分より「上」になったりするときに起こるそうです。

まあ、それは一般的に理解されやすいでしょうね。

たとえば、自分と同期なのに出世した同僚に対してとか、自分より異性に人気のある同性に対してとか。

これはわかりやすい嫉妬です。

では何をもって、「上」と見るか「下」と見るか。

学歴や収入や人気など、比較的客観性のあることなら、上下のポジションはわかります。

少なくとも、嫉妬というのは、相手のほうに自分より「下」であると思わせたい、もしくは相手が「上にいるから下にしたい」という考えに基づいているわけです。

しかし、一見そうではない場合もあるので、ことは複雑です。

どういうことかというと、人間は

幸福だけでなく不幸にも嫉妬する

ことがあるのです。

私もブログを更新し、いろいろな方のコメントをもらったり、その方々のブログを巡回しましたが、人間の嫉妬というのは成功者に対してだけでなく、不幸を経験している人に対してもある、ということが最近になって実感できたことです。

普通に考えれば、幸福な人>不幸な人、ですよね。

たとえば、他者が不幸のどん底に転落したとします。

この時点では、まさに「他人の不幸は蜜の味」なんです。

かわいそうにのーっと周囲は舌を出しながら思っているのです。そして、内心では「こいつは自分より下になった」と思っているのです。

ところが、そういう経験をしても朽ち果てずに頑張って生きている人に対しては、今度はその不幸経験が嫉妬の対象になるのです。

最近は、TV番組でタレントが、貧乏や病気など、過去を含めた不遇をカミングアウトする「不幸自慢」がよく行われます。

高度経済成長を遂げた日本では、発展途上国に比べて、経済も倫理観もより成熟しています。

そこで、何不自由のないままある程度人生を来てしまった人が、一般的になってきているのです。

そうすると、今度は人生にドラマがあることが羨ましくなってしまうのです。

自分の人生が「何不自由ない」と、つまらないものに思えるのかもしれません。

大きな不幸がないコンプレックスが発生するのです。

人間というのは面倒ですね。

成功者だけではなくて、不幸のどん底に転落した人にまで嫉妬するのですから。

たかが平均寿命80年ぐらいの人生ですから、悲しかったり悔しかったりする経験がないなら、それに超したことはありませんよ。

もちろん、苦労したからこそ陰翳に富んだ人生になることもありますが、たとえば、貧乏で学校に行けなかった人を、学校に行けた人がどうして嫉妬する必要があるのでしょうか。

行くことで、その環境から自己実現を見い出せなかった自分が悪いのです。

でも、自分は何も悪くなくて、学校に行かなくても頑張っている他者が悪いことになってしまうのです。

自己愛こそが諸悪の根源

そうです。

嫉妬の最大の原因は自己愛なのです。

自己愛については、前回、『自己愛的(ナル)な人たち』をご紹介しました。

『自己愛的(ナル)な人たち』(岡野憲一郎著、創元社)「自分はイケてる、それを認めない周囲や社会が悪い」承認欲求が肥大化
『自己愛的(ナル)な人たち』(岡野憲一郎著、創元社)をご紹介します。あなたは自分を「イケてる」「本当はもっと社会的に認められるべきだ」なんて思っていませんか。承認欲求もたいがいにしないと、たんなる自己陶酔にとどまらずに周りは振り回されます。

嫉妬する対象がどうであろうが、自分自身の相対化ができていれば、相手を「下」に引きずり降ろそうなんて考えないでしょう。

だって、自分は全世界77億のうちの1人に過ぎない雑魚という自覚があれば、その人を引きずり下ろしたところで、そんなことにほとんど意味がないことぐらいわかるでしょう。

他人の苦労話や不幸経験に、嫉妬や羨望を感じるというのは、満たされていない自分を屁理屈でごまかしている自己愛者の証明なのです。

以上、『嫉妬をとめられない人』でいう自分が勝てないと思う相手を否定したりけなしたりして無価値化しようとするのは自己愛者かも、でした。

嫉妬をとめられない人 (小学館新書) - 片田 珠美
嫉妬をとめられない人 (小学館新書) – 片田 珠美

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