学問のすすめ(原作/福沢諭吉、作画/バラエティ・アートワークス)は、人間の自由平等、独立の思想に基づいた啓蒙書の漫画化です。従来の封建道徳を鋭く批判。誰もが自由な立場から実用的学問を身につけ、社会に貢献する人間像を求めています。
『学問のすすめ』は、1万円のお札でおなじみ、福沢諭吉翁の啓蒙的論文集。
バラエティ・アートワークスによる漫画化で、Teamバンミカスからリリースされています。
まんがで読破シリーズ(全56巻)の第13巻です。
本書は、前半後半にわかれています。
見出しは、
- 福沢諭吉物語
- 学問のすすめ
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」と、人間の尊さを説き、明治初期の刊行後300万部以上の売れ行きを記録した『学問のすゝめ』の漫画化ですが、それだけでなく、福沢諭吉という人がどのような子供時代、青春時代を過ごしたかも描かれています。
つまり、学問のすゝめが、どのようなバックボーンで出版されたかまでの歴史を、福沢諭吉の成長を通してわかり易くまとめているわけです。
私たちは何を信じ、何を疑うべきか?
自由とは何か?
義務とは?
独立自尊とは?
原著者・福沢諭吉の人生と併せてそれらが漫画化されています。
本書は2023年1月23日現在、KindleUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
人間は自己の独立のために学問が必要なのです
漫画は、福沢諭吉の誕生から描いています。
1835年1月10日、大坂(現在の大阪)中津藩蔵屋敷。
福沢諭吉は、学問好きの中津藩主・福沢百助の次男として生まれました。
清朝の法例集『上諭条例』が手に入った日なので、そこから1字もらったそうです。
しかし、福沢百助は諭吉が2歳のときに他界。
家族6人は、故郷中津(大分県)へ。
母親のお順は、内職で家計を支えたといいます。
お順は、貧乏なのに、身寄りのない子どもを家に連れてきたり、墓参りは欠かさないのに仏像を拝んだことは1度もなく、神様や占いも信じません。
「ただ信じるなんておかしくてできないよ。心に信じられることをするのが一番だよ」
要するに、現実的、合理的な考えということだと思います。
母親のこういう価値観が、福沢諭吉の生き様に大きな影響を与えたのでしょう。
諭吉は努力家で、どんなことでも粘り強く頑張って成果を出すのですが、それが上級武士の子弟に目をつけられ、いじめられることにつながります。
そのたび、諭吉は、封建社会の矛盾に疑念と憤りをいだきます。
兄。三之助は下級武士として生きていますが、諭吉が身分制度の矛盾に葛藤していることを知り、父親もそうであったと諭吉におしえます。
家老の子は家老に、足軽の子は足軽にしかなれない。
生まれた時から貴賤が決まってしまう封建社会について、諭吉は、「身分制度は親の仇だ」と考えるまでに。
日本は差別がないといった動画が批判されて、慌てて消した武D邦彦さんに聞かせたいセリフです。
1853年、いやでござんすぺりーさんが開国要求を行います。
中津藩では、守りのために大砲が必要だとなったが、大砲の扱い方を知るためには、オランダの原書を読まねばなりません。
そこで、オランダ語を読めるものを育てようということになり、兄の紹介で諭吉は長崎に行きます。
そして、砲術家・山本物次郎のもとで蘭学を勉強。
ところが、ここでも身分社会のとばっちりが。
一緒に学んでいたのが、あろうことか同じ中津藩の家老の息子・奥平壱岐でした。
諭吉のほうが優秀なため、壱岐の父親は、諭吉の母親が病気ということにして、諭吉を中津に戻してしまうのです。
真相がわかった諭吉は、ますます封建社会が嫌になり、大坂の中津藩蔵屋敷にいる兄のもとへ事情を話に行きます。
しかし、兄は、大坂で蘭学の勉強を続けることを勧めます。
そこで、緒方洪庵の適塾で再び勉強を。
充実した生活を1年にわたって送ります。
ところが、大坂勤めの年期が明けた兄が、中津に帰ってまもなく早逝します。
それによって、福沢家の戸主は諭吉となりました。
伯父は、蘭学修業をやめて中津に戻り、中津藩士として働けといいます。
しかし、もう諭吉には中津の下級武士としてゃっていく意思はなく、母親の許可をもらい、大坂での蘭学を続けることにしました。
そして、今度は、江戸屋敷で蘭学塾の教師の話が。
今度は修業ではなく、教えるために行くのです。
築地の長屋で、慶應義塾のはじまりとなる蘭学塾を始めます。
しかし、時代はオランダ語から英語の時代に移りつつありました。
蘭学修業に青春を費やした諭吉はがっかりしましたが、めげずに気を取り直して今度は英語を学びます。
1860年、日本はアメリカとの条約締結のために、遣米使節を送ることになりました。
軍艦奉行・木村摂津守が、咸臨丸で行くことになりましたが、家来たちは同行をしぶります。
そんなとき、諭吉は自ら立候補。
遣米使節団に加わります。
諭吉はそこで、アメリカの民主主義を学びます。
たとえば、ワシントンの子孫を尋ねても、「今はどうしているのやら」と現地の随行員は無関心。
アメリカでは、親が何をしたかではなく、本人が世の中に何を残したかが大事だというのです。
アメリカでは、封建制度のようなしがらみがないことに、抑圧からの開放が人を進歩させるのだと考えます。
さらに、政府はヨーロッパ諸国との外交を行うことになり、翻訳係として使節団に随行することになりました。
ここでまた、鉄道や議会などを知り、日本だけが遅れる訳にはいかないという気持ちをあらたにします。
諭吉は4年後、欧米の文化を紹介した『西洋事情』を著し、25万部を売りました。
そして、1872年には、『学問のすゝめ』を刊行。
明治の世の人々に、これから進むべき近代社会の道を示し、300万部のベストセラーとなりました。
本書では、その概要も紹介されています。
明治になって、封建社会は過去のものになり、老若男女、誰でも平等で自由になりました。
ただし、自分勝手と履き違えてはならなりません。
自由には責任が伴います。
自由とは、人からの干渉を受けずに活動できることですが、それは他者に頼らず自分で始末をつけようとする「独立心」が必要です。
そして、人間は自己の独立のために学問が必要なのです。
学問とは、座学だけでなくその応用と経験をいいます。
体
知恵
情欲
誠実さ
意志
この5つの要素を自在に扱うことこそ、自己の独立と成功の秘訣であると説いています。
自分の能力を高めるために、「人生の棚卸し」を勧めています。
自分の能力の点検をするのです。
自己の能力を高めるために、「見識」を高めることも書かれています。
以下、自分の能力や責任を啓蒙する提案がずっと書かれています。
詳細は、本書でご覧ください。
現代は「努力」社会の是非までも議論されている
遣米使節団には、勝海舟、ジョン万次郎など、歴史的な有名人がほかにも出てくるので、なかなか興味深い一冊です。
結びの部分では、
努力は運命さえも変える
努力あれば今日の愚か者も明日の賢人になり得るし
努力を忘れれば富める勝者も貧しい弱者に変わるかもしれない。
と、書いてあり、これは封建社会から、明治の近代社会において、実にインパクトのある啓蒙書だったろうと思います。
逆に言えば、江戸時代の封建社会は、努力だけではどうにもならない階級の壁があったということです。
日本は差別がないなどと言い、批判の嵐で動画を削除したT田邦彦さんは、いったい何なんだしょうね(大笑)
ただし、明治・大正・昭和20年までの日本が、すべての身分性が取り払われたかといえば、そんなことはありません。
だいたい、福沢諭吉自身、たとえ中下級であっても士族だから、ここまでの仕事ができたということを自覚していないのかもしれません。
士族の末席にいたから、可能性のある身分の中で封建社会の矛盾に気づき、新しい社会を展望スべく発展的人生を歩んだのです。
これが、水呑み百姓だったら、同じ人生は歩めなかったでしょう。
新しい民法ができるまでは、たとえ二本差しの人がいなくなった明治以降も、元の身分は戸籍に記載されていました。
元士族とか、平民とかね。
それが、就職や縁談に有利に働いていたことは間違いのない話です。
そして、21世紀の現代。
今はさすがにそれはなくなっただろう……と思いますか?
もしなかったら、マイケル・サンデルさんの「実力も運のうち」なんていう社会観は出るはずがありませんね。
その人の本来持っている能力、地道に努力しようという気持ち、価値観、前提となる文化水準などは、結局親の遺伝子や経済力や環境や人脈に大きく依存しています。
つまり、努力も能力も、しょせんどういう「ほしのもと」かによって影響されているのです。
それなのに、なまじ「公平」の建前をうたった能力主義の現代は、負けると封建時代のような家柄や階級などのせいにできず、その人は自尊心をスポイルすることになります。
身分制がない民主主義の社会は素晴らしい。
でも、その一方で、努力して立身出世することを「成功」という時代は、競争に煽られる社会として私達を追い詰めているのではないか。
そういうことを、本書は述べています。
なるほどと思いませんか。
封建社会か、「実力主義」を建前として表立った機会の差別だけはない現代社会か。
私は、どちらもまだ不十分だと思います。
さらなる機会均等は必要だと思いますが、残念ながら現代は、格差社会になっていますね。
みなさんは、いかが思われますか。
以上、学問のすすめ(原作/福沢諭吉、作画/バラエティ・アートワークス)は、人間の自由平等、独立の思想に基づいた啓蒙書の漫画化、でした。
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