学研まんが NEW日本の伝記2 豊臣秀吉 天下統一を完成させた武将(イラスト/楠田夏子、編集/田代脩)のKindle版をご紹介します。摂政や関白を経験した太閤であり、戦国時代に初めて天下を統一した経過と、晩年の意外な寂しさなどを描いています。
NEW日本の伝記シリーズ全16巻のうちの第2巻です。
先日は、第1巻の織田信長をご紹介しました。
今回は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、天下統一を果たした豊臣秀吉の話です。
天下統一、検地や刀狩も
豊臣秀吉は、織田家の下級武士・木下弥右衛門の息子で、幼名は日吉といいました。
弥右衛門は、いくさで足をけがして農民になった末、病でナくなり、妻(つまり秀吉の母)のなかは竹阿弥と再婚しましたが、継父で折り合いが悪い日吉は家出をしました。
豊臣秀吉というと、単純に農民のせがれが天下を取ったと歴史的には伝わっています。
が、実際には、士族の子弟がいったんは父親と身分を失い、さらに継父との確執や家出なども経験。それらを克服してのし上がったという、もう少し陰影のある生き様なのです。
家出後、今川義元配下の武士、松下嘉兵衛に拾われましたが、日吉が他の奉公人よりも優秀なため、そいつらからヤキモチをやかれると、見かねた嘉兵衛は「人には水に合う、合わないがある。自分にあったところでしことをした方がいい」と、多額の餞別でヒマを出します。
「日本一の人たらし」と言われた豊臣秀吉でさえ、織田家に仕官する前の職場(松下家)では同僚にいじめられて泣く泣く退職してたわけで、「どんな環境にも適応できる陽キャ」も「どんな環境からもはじき出される陰キャ」も存在しないんだよな。各環境における相対的な優位・劣位があるに過ぎない。
— 小山(狂) (@akihiro_koyama) February 5, 2024
紆余曲折あって、「実力本位」の織田信長に仕えて出世。
信長が本能寺の変で自ガイした後は、寝首をかいた明智光秀を倒し、その後継者になりました。
そして、仙台の伊達、小田原の北条、四国の長宗我部、九州の島津などを降伏させて天下を取りました。
秀吉は、天皇代行とも言える関白や、天皇補佐である太政大臣などに任じられ、朝廷と武家の両方の権威を持ちました。
彼は太閤検地や刀狩などの政策を行って、全国の支配を強化しました。
年貢だけに頼らず、堺での南蛮貿易や、石見銀山など金山・銀山開発などの収入源も見出しました。
かつて世話になった松下嘉兵衛を、大名に取り立てました。
晩年は、明の征服を目指して朝鮮に出兵しましたが、その最中に病に倒れてナくなりました。
彼の死後、彼の子である秀頼を中心とした豊臣政権は、秀吉が信頼していた配下の徳川家康との対立によって滅亡しました。
諸行無常ですね。
そうした激動の生涯が漫画化されています。
秀吉の生き様にも仏教が……
露と落ち
露と消えにし
我が身かな
浪速のことは
夢のまた夢豊臣秀吉 pic.twitter.com/DByo2DSmDG
— ヒロシ タカシマ (@bSdR4JLixF3Kby6) February 6, 2023
秀吉の生涯については、すでにいろいろな書籍で明らかになっていますが、私が印象に残ったのは、辞世の句です。
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
まるで露のように儚いような我が人生であった。 大阪での栄華の日々も、儚い夢のようだった、と読めます。
立身出世を果たし、戦国の世に天下統一を行い、好き勝手に暮らせたであろうに、満足な人生だった、幸せな人生だったとは言っていないのです。
最期に振り返ったときには、今までのことが儚い夢のように映った、というのです。
これはどういうことか。
人間の欲得というのは、どこまでも果てしないもので、これで満足ということはない。
そして、人生で達成したこと、獲得したことが、相対的に人並み外れたものだったとしても、そんなものは臨終を迎えるにあたっては、歓喜するほどのもんじゃなかったよ、と言っているわけです。
歴史に名を残す秀吉でさえ、「自分の人生、なんか大したことなかったな」と言ってシんでいったのです。
では、人生の揺るぎない幸福って、なんでしょうか。
その疑問にはまり込む、ある意味真面目な人は、仏教に取り組みたくなるんでしょうね。
お釈迦様の仏教(上座部仏教、原始仏教)や、浄土真宗などは、まさにその問題に答えています。
人間の欲得は限度がない。だから最初からあらゆる欲を滅せよ、というのがお釈迦様の教えです。
といっても現代は、経済と文化が一体となって発展していますから、古代のインドと全く同じようにはできません。
ただ、現代もお釈迦様の上座部仏教を標榜する、テーラワーダ仏教によれば、お金や物への欲は否定しないけれど、失うことや増やすことにこだわるな、と言っています。
失うことを恐れると、積極的に行動せず機会を失ったり、見返りを期待することで、シなくていい失望や人間関係の悪化を招いたりする、というわけです。
こだわらない人間になるためには、どうすればいいのか。
たとえば、ペットのお世話というのは、実はそれにかなった営みなのです。
ペットは、老いて寝たきりになっても面倒見てくれるわけではありません。
父の日にも、肩たたき券もくれません。
一所懸命誠実にお世話しても、なつかないだけでなく、ナくなってしまうこともあります。
ことほどさように、見返りを期待するものではありません。
でも生き物なので、盆も正月も日曜祭日もなく、当たり前のように日々お世話し続けるのです。
それでも、一緒にいるだけで十分。
そう思えたときは、さとりの階段を一段のぼったような気がします。
あとは、どんなことがあるでしょうね。
みなさんは、こだわりや欲得から自らを開放する試みはなにかされていますか。
以上、学研まんが NEW日本の伝記2 豊臣秀吉 天下統一を完成させた武将(イラスト/楠田夏子、編集/田代脩)のKindle版をご紹介します、でした。
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