日本人物史4 明治天皇/伊藤博文/野口英世ほか 日本人物史(つぼいこう、朝日学生新聞社)は、明治~昭和初期にかけて活躍した9人の偉人について功績やその人となりをまんが化しています。今回はその中で、小村寿太郎についてご紹介します。
『日本人物史』は、全4巻で42人の偉人を紹介しています。
Amazonの販売ページによると、1~4巻まで通して読めば、小学校の学習指導要領で示されている「覚えるべき42人」をすべてマスターできるそうですが、マスターしないまま大人になった私としては、いまさらですが大変勉強になりました。
小村寿太郎(1855年9月26日~1911年11月26日)は、日本の外交官であり、外務大臣として活躍しました。
明治政府の悲願であった不平等条約の改正に成功し、日本の国際的な地位を高めたといわれています。
幼少期から頭脳明晰で成績優秀。東京大学(当時の大学南校)からハーバード大学に進学し、英語を学びました。
卒業後は外交官としての道を歩み、北京や清国での勤務を経て、外務大臣に就任しました。
外務大臣として、日英同盟の締結により、日露戦争の勝利に貢献しました。
ポーツマス条約の締結や関税自主権の回復など、不平等条約の改正を実現しました。
小村寿太郎は、借金まみれの苦しい時期もありましたが、その器の大きさと男気あふれる行動で日本の外交に大きな足跡を残しました。
ということで、本作から詳しく見ていきます。
欧米諸国との不平等条約を改正
読み終わった。著者/吉村昭「ポーツマスの旗」日露戦争終結に奔走した明治の外務大臣「小村寿太郎」が主人公。条約締結に向けてロシアとの息詰まる交渉。ヨーロッパを巻き込んだ熾烈な情報戦が面白い。司馬良太郎の「坂の上の雲」に続く小説です。戦争は始めるより終わらせる方が難しい。 pic.twitter.com/lDnLl8sXId
— 文左衛門 (@CFADnFpiqAnFf0T) April 27, 2024
小村寿太郎は、日向(宮崎県)の下級武士の子弟としてうまれました。
うっ、またまた下級武士。
このブログでは、これまで何人も偉人伝をご紹介していますが、中世や近代は、「下級武士の子弟」というのが定番の「ほしのもと」になっていますね。
豊臣秀吉、福沢諭吉、高橋是清、坂本竜馬、渋沢栄一……
つまり、社会を変えるのにも、カツかつの水呑み百姓では困難。
せいぜい一向宗に入って、一揆を起こして社会を混乱させるのが関の山。
下っ端でもいいから「支配階級」の一員であること。
そして「下っ端」だから階級社会の矛盾に悩み、それをひっくり返そうとする意欲がわくのかもしれません。
そういえば最近も、一部上場企業は、「日東駒専」以下の学生の志願は「足切り」にするというニュースが話題になっています。
「下級武士立志伝」のデンでいえば、官僚や大企業における成功者の可能性は、「関関同立」や「GMARCH」にありということか。
今の受験事情はわかりませんが、偏差値60ぐらい? 上位16%……
「身分」が「学歴」にかわっただけで、日本は今も階級社会なのかなあ。
小村寿太郎は、現在の東大の前身である大学南校→文部省海外留学生→司法省と、非の打ち所のない秀才コースなのに、薩摩藩や長州藩でないというだけで冷遇されました。
しかも、父親の事業失敗による借金の肩代わり。
新婚の妻の着物を売り、同僚のタバコをたかり、飲み会はカネを払わないという生活を40歳ぐらいまで続けました。
それが、外務大臣に就任した陸奥宗光に認められ、清国の代理公使に抜擢されてから大きな仕事をするようになります。
食えなくて翻訳のアルバイトをしていたため、外国事情に詳しくなっていたことで、陸奥は「こいつは使える」と思ったようです。何が幸いするかわかりませんね。
その後は、アメリカ、ロシア、イギリスの公使や大使を歴任。
世界は、強い産業と武力を持つ欧米列強が、各国を奪い合う帝国主義の時代になりました。
1901年に外務大臣になった小村寿太郎にとって、外交上最大の問題はロシアでした。
伊藤博文や井上馨は、ロシアと交渉して、大韓帝国に対する権益を認めさせたほうがいいという立場。
しかし、ロシアは約束を破るから信用ならない、というのが桂太郎首相や小村寿太郎外相の考えでした。
小村寿太郎は、イギリスとの同盟を提案します。
清にもっとも大きな権益をもつのがイギリスで、清の隣国のロシアに進出されては困るはずだから、それを牽制する意味でイギリスにとっても日本との同盟はメリットがありましたし、イギリスはアフリカにも手を出していてアジアに金を出す余裕はなかったので、日英同盟は渡りに船でした。
そして日露戦争に。
日本有利で進み、講和条約締結となりましたが、講和会議に出かける小村寿太郎外相は、国民的ヒーローの扱いです。
しかし、「ま、帰るときは逆になってるだろうけどな」と、すでに先を読む小村寿太郎。
何しろこの頃の国民は、「賠償金は30億取れるだろう。出すまで戦争を続ければいい」と楽天的に馬鹿騒ぎ。
この頃の日本の税収は、2億5000万円でした。
国民の中には、こういう皮算用をする奴らがいるから、戦争の萌芽も許したらいけないんです。
今は、核一発で賠償金どころではなくなるんですからね。
案の定、ロシアは屁理屈で頑張り、領有権ではいくつかの戦果を得たものの、賠償金はなし。
すると今度は、国民は手のひらを返して、小村寿太郎を叩きにかかりました。
数万の大衆が暴動を起こしたのが「日比谷騒動」です。
いずれも先導しているのは御用マスコミですが、それをいちいち真に受ける国民の情弱さは、現代もちっとも変わっておりません。
しかし、日露戦争の講和条約は、ロシアの進出に歯止めをかけ、日本の国際的地位を高めたと言われています。
小村寿太郎はその後、欧米諸国との不平等条約すべての改正に成功。
ペリーの浦賀就航以来、明治政府が目指していた大きな目標を成し遂げました。
ま、ここで調子に乗って、自分たちこそ列強再分割の主導権を握ろう、と覇権争い(世界大戦)に参戦したために、我が国はいまなお大変な禍根を残しているんですけどね。
またぞろ「人生は偶然と必然」
宮崎県日南市の小村寿太郎記念館なら、いつでも背比べし放題!#お前そんなもんいつでも撮れるやろ選手権 pic.twitter.com/3U7vnIc3sR
— かまくら優太(鎌倉優太) (@kamakura_yuta) August 7, 2024
まんがでは、小村寿太郎は不遇だったと書かれています。
親の借金を背負ったり、藩閥人事で冷や飯を食わされたり、外務大臣の仕事に瑕疵はなかったのに、情弱な国民に手のひら返しの暴動を起こされたりと、ツイてないことは確かだと思います。
でも、そういうことに負けないで、仕事をしたので、こうやって歴史の本にもとりあげられているのです。
人生は偶然と必然で成り立っていますが、偶然は仕方ないにしても、必然だけは悔いのないように、苦しいときはタバコはおねだりして、飲み会があったら勘定のときはトイレに入って乗り切りましょう。でも成功したら、ちゃんとお返ししたほうがいいでしょうね。
小村寿太郎さんの仕事について、ご理解いただけましたか。
以上、日本人物史4(つぼいこう、朝日学生新聞社)は、小村寿太郎など明治~昭和初期にかけて活躍した9人の偉人の功績について漫画化、でした。
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